
| 街のCD屋さんMightyのコラム 合言葉は”音楽が好きだから…” | ||||||
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| VOL.25 12/09/2001 | ||||||
| 音楽人 河島英五氏との想い出 | ||||||
| 〜ご冥福をお祈りします〜 | ||||||
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| ある冬の晩方、店前にバイクが止まり大柄なヘルメットを被ったままの男がカウンターの横に来て、いきなり”こんばんわ”と言った。名前も告げずにヘルメットを被ったままだったのでその時店内にいたお客様は誰も気付きませんでしたが、私は河島英五氏だと一目見て分かりました。もし、私が河島氏だと気付かなかったら氏は失望していたでしょうが、私が即分かった事で河島氏も安心したようでなごやかな雰囲気になりました。 ”おれも昔レコード店の店前でみかん箱の上で演奏してキャンペーンやってたんやで”…とか、しばらく世間話をした後、河島氏が”なんか紙ないか”と言ったので、店頭POP用に用意していたケント紙帳を差し出したら、頼みもしないのにケント紙全部にサインをしました。どうやら市内の仕事場から東大阪の自宅に帰る時当店前の道路を通っていたようで、通り道に昔懐かしいレコード店があったのでふらっと寄ってくれたようです。これが河島氏との最初の出会い1990年2月5日の事でした。 その後、何が気に入ったのかちょくちょく当店に顔をみせるようになりました。その当時、ヒット曲”酒と泪と男と女””時代おくれ””野風僧”で得た歌手河島英五ブームも一段落し、ヒット曲もなくそのキャラクターを生かしたタレント活動(ラジオ番組のDJ)を主にしていたようでした。でも、歌手(アーティスト)がタレント活動をする事に葛藤を覚えていたいたようで、私に”俺、タレント活動しててもええよな?”と人生相談を受けた事もありました。 河島氏の”気さくな人柄”を表すエピソードをいくつか紹介させていただきます。 当時、河島氏が川中美幸にシングル曲”たこ焼人生”と言う曲を提供(作詞・作曲:河島氏)をしていたのですが、当店に来てそのシングルを見つけだし”これ俺が作ったんや!売れてる?”と聞くので”売れてます!”と答えました。(本人を目の前にして”売れてまへん”なんて言えません。そのシングルは3年後に廃盤となりました) また、あるとき自分のCDの”しきり”があるのを発見し、嬉しかったのか自分のCDを取りだし”この『天びんばかり』ちゅう歌めっちゃええんや”とアーティスト自らが、レコード屋のオッサンに薦めてました。(河島氏は世間で有名な曲よりデビュー曲の『天びんばかり』が一番のお気に入りだったようでした) その後も、”イカ焼き”を持ってきたり、私の似顔絵を書いたり、F-1(フジテレビ)を一緒に見たり、あまり音楽とは関係無い会話を楽しんでいました。来店しているお客様と絡む事も無く、今時珍しい古い形態のレコード店でリラックスしているように見えました。 そうこうしている内に河島氏に運が向いてきました。91年の紅白歌合戦に『酒と泪と男と女』で初出場したのです。それを契機に、CMナレーションやTVドラマ出演などタレント活動にひっぱりだこの状態になってきました。そして、93年の秋来店された時に、ちゃんとした色紙に河島氏のサインを書いてもらいました(店内に掲示)。その時私から”楽屋で使って下さい”と電気カミソリをプレゼントしたら、河島氏も氏が写っているテレホンカードをくれました。93年9月29日その日が河島氏の最後の訪店となりました。 その後、死期を悟っていたのか愛する家族のために”しゃにむに”働く河島氏の姿がTVの中にいました。 死ぬ真際に近所で河島氏の野外コンサートがあるとの事でしたので、そんな重い病気とは知らずまた寄ってくれるのではないかと期待していたのですが・・・ 貴方は、亡くなっても貴方の残した名曲は、 いつまでも人々に歌い継がれるでしょう そして、私は貴方の気さくな人柄を 一生忘れる事はないでしょう ・・・有り難う河島英五・・・ |
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| 最後に来店していただいた時に 書いていただいたサイン色紙。 そのとき、河島氏が写った (カヌーに乗っている写真) テレホンカードも貰ったので (これにも直筆サイン入) 色紙に張りつけて保存している |
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