街のCD屋さんMightyのコラム 合言葉は”音楽が好きだから…”
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VOL.35 2/17/2002
検証:米米CLUB ※音楽アーティストの典型的なライフサイクル(一生)
〜メディアに消化されてしまった超個性派集団〜

一般社会では、バブル景気は1990年株式市場の大納会が終焉でしたが、レコード業界のバブル景気はやや遅れて91年から93年にかけて”TVドラマ主題歌カラオケBOX”のブームとともにやってきました。
※みんなアルバムを買うのをやめTVドラマ主題歌のシングルを大量にまとめ買いしてました

その華々しい業界に時期を同じく開花したのが米米CLUBでした。その”超個性派集団米米CLUB”のライフサイクル(一生)をレコード業界内部からみた感想を述べさせていただきます。

もともと米米CLUBは、文化学院のコンパで当時流行っていた”トムトムクラブ”のパロディで”コメコメクラブ”ってネーミングが面白い…てな事で始まり、特に意味の無い””にこだわって盛りあがろうという企画のお遊びが始まりです。そして、その場に居合わせた不特定多数の内、唄の歌える人が歌を歌い、詩・曲を書ける人が楽曲を作り、ギターを弾ける人はギターを弾き、その他の人は観客となって仲間内で楽しむコンパそのものが=米米CLUBだったのです。

そのコンパの輪が広がりパブから学園祭ライブハウスからホールへとコンパの場が大きくなってしまっただけで、それはひたすら演っている本人たちが楽しむためのエンターテイメントだったのです。もちろんその場に居合わせたすべての観客もコンパの構成員=米米CLUBの一員としての意識を持っていたと思います。

そして妖しくダンディなカールスモーキー石井、毒々しい化粧のジェームス小野田、女の子なのにめっちゃギターの上手い博多めぐみちゃん(実は”チンチン”が付いていた)他稀代まれなるそのエンターテイメント性と高い音楽性が一部の熱狂的なファンの支持を受けてメジャーでも人気を博する事になるのです。

しかしながら、たまたま作った”毒気のない曲=「君がいるだけで」”があにはからんやカラオケブームにも乗り276万枚も売れてしまいメディアや企業から”注文付きのオファー”が来るようになり、ただ単なる演ってる本人たちが楽しむ遊びの延長上にあった米米CLUBが仕事として成り立つ結果となってしまいます

※企業やメディアはその知名度と奇抜なヴィジュアルを商品を売るために利用したいだけなのです。言い方を換えれば米米CLUBは、そのアマチュアな生い立ちゆえ図らずも”米米CLUB”という知名度と奇抜なヴィジュアルを企業に結果として売ってしまたのです=お金に換えた

仕事となればたくさん売らなければならない。もちろん企業の”注文付タイアップ”も付いているので当たり触りの無いカラオケ用の毒気のぬけた大衆向けの曲を作らなければならない。今度はターゲットが大衆だから昔の熱狂的ではあるが一部のコアなファンのため用の曲はもう作れない=昔のファンの切り捨て演ってる本人が楽しめない初期メンバーの脱退バンドのアイデンティティの崩壊

最終的には、米米CLUBの本質を理解しないメディアや企業が”米米CLUB=石井竜也”と捉え、お茶の間用の毒のない芸人映画監督=文化人として石井竜也をバラ売りして、上げたり下げたりしながら徹底的に消化し尽くしポイと捨てたのです。

当時、コアな米米ファンが何人も言ってました。
”カールスモーキー石井には興味はあるが、石井竜也には興味は無い…”
”米米CLUB”と言うコンパが面白かったから参加してただけで
コンパ会場から出ていった者には誰であろうと興味がないという事だと思います。

※しかし、これは米米CLUBが特殊な事例ではなく典型的な事例です。ほとんどのアーティストが大小長短の違いはあれど必ずたどる道(一生)であります。たまたま米米CLUBがレコード界のバブルピークとタイミングが一致し派手に見えただけです。
例外は桑田佳祐(コラムVol.22参照)と浜田省吾(メディア無視派)ぐらいでしょうか…

《結論》
米米CLUBとは、グループ名ではなく
不特定多数によるコンパの名称”だったのです

♪エービバデ フジヤマ スシ ゲイシャ♪ …最高です…

以下年表です

1985年
10月21日 1stアルバム「シャリシャリズム」&シングル「I CAN BE」発売 米米CLUBデビュー

1986年目立たず
4月21日 シングル「Shake Hip!」発売
7月21日 シングル「加油」発売
10月10日 アルバム「E・B・I・S」発売

1987年
4月22日 アルバム「PARADISE」発売
6月21日 アルバム「SINGLES」発売
9月21日 シングル「Sure dance」発売
10月21日 アルバム「KOMEGUNY」発売 たらたら売れ出しレコード業界も注目しはじめる

1988年 3月初期メンバー(博多めぐみ他)脱退
8月26日 シングル「KOME KOME WAR」発売 初のTOP10入り
9月21日 アルバム「GO FUNK」発売 ブレイク前夜の予感
10月21日 シングル「TIME STOP」発売

1989年
10月21日 シングル「FUNK FUJIYAMA」発売 ブレイク!メディアが注目
11月11日 アルバム「5 1/2」発売

1990年
4月8日 シングル「浪漫飛行」2種類で発売 CMタイアップ 両方ともミリオンセラー達成
12月12日 シングル「Shake Hip!」発売

1991年
1月25日 アルバム「K2C」発売
4月25日 アルバム「米米CLUB」発売
9月21日 シングル「ひとすじになれない」発売

1992年音楽アーティストとしてのピークの年
5月4日 シングル「君がいるだけで」発売 TVドラマタイアップ売り上276万枚 日本レコード大賞受賞
6月25日 アルバム「octave」発売 売上210万枚
12月10日 シングル「ORION」&アルバム「聖米夜」発売 この年の後半すでにバンドの変化現れる

1993年
5月21日 シングル「ときの旅路〜REXのテーマ」発売 映画タイアップ 文化人に成り下がる
10月1日 シングル「愛はふしぎさ/DAY DREAM」発売
11月1日 アルバム「Phi」発売

1994年石井竜也第1回監督作品「河童」公開 カールスモーキー石井の一人売り始まる
3月25日 シングル「ア・ブラ・カダ・ブラ」発売
9月21日 シングル「俺色にそまれ」発売
11月10日 シングル「手紙」発売
12月10日 アルバム「PhiU」発売

1995年
2月20日 アルバム「DECADE」発売
4月21日 シングル「ワンダブルSUNでぃ」発売 初期メンバー脱退
5月21日 シングル「JUST MY FRIEND」発売 新メンバー加入
7月24日 シングル「すべてはホントでウソかもね」発売
11月23日 アルバム「SORRY MUSIC ENTERTAINMENT」発売

1996年
3月1日 アルバム「H2O」&シングル「STYLISH WOMAN」発売 新メンバー加入

1997年
1月25日 シングル「Special Love」発売
3月1日 アルバム「PUSHED RICE」発売
3月5・6日 東京ドーム「THE LAST SYMPOSIUM」 米米CLUB解散 以上

日を改めて米米CLUBとともにレコード業界のバブル期を走り抜けたチャゲ&飛鳥の波乱万丈のストーリー題して『2度目の春』を述べさせていただきたいと思っています
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店内に掲示してある
”新ドラ〜のリスト”
古いネタでスイマセンm(__)m

店長の予想付!!
◎=本命
〇=対抗で本命と同等の力あり
▲=一発逆転の大勝あり
△=有力

※これもバブル期の
TVドラマ主題歌ブームの
なごりです。

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