マスコミの横暴



痛ましい事件が起こった。鳥インフルエンザの発症報告が遅れたということで批判を受けていた会社の会長夫婦が自殺した。
たしかに「恣意的」と言われてもしかたがない報告の遅れは、批判に値する行為だとは思う。 しかし、俺はなんとも言えない憤りを覚えた。自殺を選択した彼らに、結果論として同情したからではない。 彼らの会見の模様が報道されるたびに感じていた憤りだ。

マスコミに対して、だ。

たしかに、今回の事件は、消費者や同業者はもとより、社会に対する影響も多大で、発症を隠蔽していたとすれば、悪質と言わざるを得ない。 さらに、会長や社長の会見では、不誠実とも思える態度や言動も目立った。

しかし、それを追求する記者たちの態度があまりにも横暴で許せなかった。 あえて、「マスコミ」と書かず、「記者たち」と書いた。彼らは勘違いしているのではないか。 マスコミには事件を報道する「社会的義務」はあるかもしれない。 しかし、会長や社長を捜査する権限はない。 ましてや、集合体としてのマスコミの威を借る記者たち個人には、鳥インフルエンザの被害者とも言える会長や社長を罵倒して、自殺に追い込む権利があろうはずがない。

何様だと思ってるんだ。

記者たちひとりひとりの罵倒が、会長夫婦を精神的に追い詰めていったに違いない。 記者たちは、自分の言葉が自殺の引き金になったかもしれないということを認識しているのだろうか。 時にファッショとも形容されるマスコミの黒い力は、報道という大義名分に漂白されがちだ。 今回の事件は、単に、途方にくれた経営者の自殺という簡単な構図ではない。

(11th Mar,2004)


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