居酒屋かあさん



昼飯を何にしようか考えた。洋食や脂っこいものは、きょうの気分ではない。和食がいいなあ。 そういえば、今年は「新さんま」を食ってないなあと思ったとたん、どうしてもさんまが食いたくなって きょうの昼休みは久々に「居酒屋かあさん」に行った。

知ってると思うが、この店はご飯のおかわりだけでなく、生卵もテーブルの上の器からいくつでもどうぞ、という店だ。 しかし、夏の間は衛生面を考えて、生卵サービスは中断。その代わりにふりかけが出ていた。 そもそも俺は、ご飯にふりかけをかけるのはあまり好みじゃない。 本当においしいご飯には、おかずなんていらないし、ふりかけなんかで色や味をつける必要はない。 ふりかけは、ご飯に対する冒涜だと思う。 まあ、その辺の食い物屋で食わされるご飯にそこまで忠誠心と尊敬の念を持つ必要はないが、 いずれにしても、基本的にふりかけをご飯にかける習慣はない。 そうなると、当然ふりかけ代も値段に入っているであろう「かあさん」の定食に割高感を感じてしまう。 だって、俺はふりかけをかけないんだもん。

さて、それやこれやで、しばらく「かあさん」には行ってなかったが、とにかくきょうの昼休みに行ったわけである。 ビルの前の路上に看板が出ている。「ご飯、味噌汁おかわり自由、生卵サービス」 おっ!味噌汁までおかわりできるようにしたのか。 よしよし、生卵のサービス再開したな。ちょっとハッピー。 さらに横に小さい張り紙。「新米入荷しました。」 おおっ!ラッキー!さらにハッピー!

階段を昇ると、入口にまた張り紙。「お楽しみスタンプ・・・ランチ1回でスタンプ1個。スタンプ10個で、ランチ1回無料」 おおおっ!!洒落た真似を!かなりハッピー!!

ガラッと戸を開けて、いかにも慣れた足取りでカウンターに座った。12時直後だったので、まだそれほど客はいない。 カウンターの上を見ると、ちゃんと生卵がある。いいぞ、いいぞ! ふりかけもあった。きっと、夏期に生卵の代わりに置いたのが好評だったんだろう。俺には関係ないが・・・

いずれにしても、ハッピー気分は続いている。もうすぐ「かあさん」達は、いつものようにパニックになるはずだが、 今は余裕がある様子だ。珍しいことだが、(呼ばないのに)すぐに注文を取りに来た。 「ご注文は何になさいますか?きょうの日替わりは、あじフライです。」 さんまに決めていた俺は、もちろん「さんま定食!」。ところが、驚くべき答えが返ってきた。 「すみませ〜ん。きょうは、さんまは間に合わないんです。」 「・・・・ええっ!?」俺は、かなり動揺した。 さんま定食は、この店で7〜8種類しかない常設メニューのひとつだ。 これからランチタイムという時間、しかもさんまの旬であるこの季節にさんまがないというのは、 全く予期していなかったのだ。

焦点の定まらぬ目で茫然と他のメニューを探す俺に、さらに「かあさん1号」は続ける。 「メンチカツも・・・・・・あっ、メンチカツなら大丈夫です。」 メンチカツも・・・・・・の、「も」と「・・・・・・」がくせものだった。 この「も」と「・・・・・・」のせいで、俺は一瞬「メニューの殆どはダメなんだ」と思った。 その後、「あっ、メンチカツなら大丈夫です」と言われて、 俺はうかつにもホッとして「じゃあ、メンチカツ」と言ってしまったのだ。 やられた・・・「かあさん1号」が去った後、俺は猛烈に後悔した。 よりによって、きょうは避けたかったフライ物じゃないか。肉じゃがくらいにしておけばよかったのに・・・

しかし、「かあさん1号」のセリフには謎が多かった。 「きょうは、さんまは間に合わないんです。」と言ってたな。 「間に合わない」ってどういうことだ?今、どこからか取り寄せてるのか? 「メンチカツなら大丈夫です」と言ったが、こっちが、さんまを注文してるのに、代わりにメンチカツをすすめるかね? 「さば塩」とか「さば味噌」をすすめるのが普通だろ。

俺はさっきまでのハッピーな気分から、一気にアンハッピーになったが、気を取り直して「かあさん」たちを観察した。 この店のもうひとつの楽しみ・・・かあさん達のパニックショーが始まる。

メンチカツを注文してしばらくたったところで、俺の隣りの男性に「かあさん2号」が料理をもってきた。 「大変おまたせしました。さば味噌です。」 男はそれを受け取ると、驚いたことに「ご飯のおかわりください」と言ったのだ。 「えっ」と思って俺が見ると、茶碗には生卵の跡が残っていた。 どうやら、ご飯と味噌汁だけ早く来た後メインディッシュがなかなかこなくて待ちきれずに食べ始めたんだろう。

客の都合を全く考えず、できること(ご飯と味噌汁を運ぶこと)を忘れないうちにやっておこうというのか。 さすが「居酒屋かあさん」。大胆不敵だ。

そう理解したとき、「かあさん3号」が俺にご飯と味噌汁を持ってきた。 早すぎる・・・嫌な予感がした。これでは隣りの男の二の舞だ。 味噌汁と生卵だけで満腹になったら悲惨なことになる。メインが来るまで待たなくては・・・。 しかし、俺はあることに気づいた。 さすが新米だけあって、ご飯はつやがあっておいしそうだ。味噌汁もアツアツで湯気が立っている。 つまり、メインを待つということは、このアツアツのご飯と味噌汁をみすみす冷ましてしまうということだ。 生卵とアツアツのご飯を前にして、ご飯が冷えていくのを見るというのは、手足を縛られた状態で 恋人がレイプされるのを見るようなものか。 俺は耐え切れずに、箸をとった。そうか、隣りの男はこんな気持ちだったのか。

ふと気がつくと、後ろのテーブルに若い男が2人座っていた。 「かあさん1号」が通りがかったので、ひとりが「すいません、メンチ2つ!」と叫んだ。 しかし1号は「すみません、ちょっと待ってください」と言って通り過ぎて、別の客の注文を取りに行った。

次に2号が、ご飯を乗せたお盆をもって通った。また若い男は叫んだ「メンチ2つ!」 だが、またもや2号は「ちょっと待って」と言って通り過ぎた。

今度は3号がやってきた。若い男はまた「メンチ2つ!」 すると3号は「はい。ビール2つね」と言って立ち去ろうとした。 「違う。メンチ!」 「え?ビールじゃないの?」 「だから、・・・メ!・・・ン!・・・チ!」 「ああ、メンチ1つね」 「違う!2つ!」 「はいはい」

そこへ2号が戻ってきた。 「あ、注文は?」 「メンチ2つだけど、今、別の人に言いました。」 それを小耳に挟んだ3号が、キッチンに戻ってきた2号に「注文書いた?」 2号は書いてない。当たり前だ。注文を受けたのは3号だ。 自分が注文を受けといて、他人に「書いた?」はないだろう。 しかたなく3号は伝票に記入していたが、 パニックの状態にある「かあさん」達は、伝票にテーブルNo.と「メンチ T」と書く時間さえままならないのだろう。

俺はと言えば、しばらく食ったところでアツアツのメンチカツが来た。 ここの良いところは、揚げ物や焼き物の作り置きはしないことだ。 まあ、だからこそ段取りが大変になるんだが・・・

ひととおりパニック観察をして、食事も終えた俺はレジに向かった。 いちばん心配だったのは、このパニック状態のかあさん達がスタンプカードをくれるかどうかということだった。 渡すのを忘れるとかなら俺が言えばいいことだが、 「忙しいから、きょうはいいでしょ?」くらいは言いかねない連中だ。 おそるおそる750円を払った俺に、3号が「カードは持ってますか?」と聞いてきた。 持ってないと答えると、彼女はスタンプが1個押してあるカードをくれた。 「また使って下さい」 俺は財布の中に大事にカードをしまった。心配してただけに嬉しかった。

俺って単純・・・・・でも、また行こうっと!

(28th Oct,1999)


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