特急サザン



10年くらい前、仕事の都合で大阪に住んでいた。 大阪を知らない人にはわかりづらいと思うので、多少詳しく説明する。 「大阪に住んでいた」と書いたが、正確に言うと職場は大阪市内で住まいは堺市だ。 通勤に使っていた最寄り駅は南海電鉄の南海本線「諏訪の森」という駅だった。 南海本線は文字通り紀伊半島を和歌山県方面へと南下する。 当時はまだ完成していなかったが、関西空港もこの沿線にある。

職場からの経路は、始発である難波(昔の南海ホークスの本拠地があったところだ。)から 急行で最初の駅が「堺」、そこで各駅停車に乗り換えて3つ目が諏訪の森だ。 実はこの南海本線には1時間に何本か、 和歌山へ向かう特急サザンなるものが運行していた。 全席指定で、当時500円(だったかな?)の別料金が必要だった。サザンの停車駅は急行と同じで難波の次が「堺」。 しかも急行の場合は堺に着くと各駅停車が待っているが、 サザンは各駅停車に連絡していないから、結局はサザンの次に発車する急行に乗っても同じ事になる。 さらに堺駅までは、サザンも急行もわずか10分程度だから車内で落ち着く間もない。 要するに、俺にとっては全く乗る必要の無い電車ではあった。

しかし、全席指定の特急というのは何となく心引かれる存在だ。 500円を余分に払えば済むことなら、話のタネに1度乗っても罰は当たらないだろう。 そう思って、ある日、500円を自動販売機に投入してついにサザンの切符を買った。 俺の席はある車両の一番前だった。「なるほど、これがサザンかあ・・・」 あこがれてたという程のものではないが、気になっていた電車に乗ってとりあえず満足した。 たまたま隣には若くてきれいな女性が座っていて、それも嬉しかったが10分後にはお別れだな。

さて、そんなことを考えているうちに、サザンはあっという間に堺についてしまった。 電車が停車するかどうかという時にスッと席を立ってデッキの方へ行き、出口の扉が開くのを待った。
停車して5秒・・・・・・・・「!?」・・・・・・ドアが開かない!
6・・・7・・・8・・・9・・・10秒・・・「エッ?エッ!?なんで開かないんだ?」 別の車両からは乗客が出てきているのが扉ごしに見える。 「故障に違いない!」別の車両まで走るしかない!

俺は前の車両にダッシュした。好奇の視線を感じながらスーツ姿で走った。 「ああっ、閉まるうううううう」・・・・・・・・・無情にも目の前で扉は閉まった。 俺は呆然とドアの前で立っていた。元の車両へ戻るのは気恥ずかしかった。 あのきれいなネエちゃんにぶざまな姿は見せられない。俺には戻る場所がない。(全席指定だし・・・)

しばらくすると車掌が通りかかった。切符のチェックで巡回しているんだろう。 デッキにいる俺に気づいて、不審げに「ここで何を?切符はお持ちですか?」と聞いてきた。 (なんだその目は?犯罪者を見る目だろそれは!) 「向こうの車両の扉が堺で開かなかったんで降りそびれたんです。」俺はムッとしてつっけんどんに答えた。 「えっ?あ、そうでしたか・・・。扉は1つおきに開くんですよ。」 「そうですか・・・」俺は無表情で相づちをうった。 (初めてサザンに乗った俺がその事を知ってるわけないだろ。大体なんでそんな複雑なシステムにしたんだ!)俺は憮然としていた。 「次は岸和田ですよ。]車掌は哀れむような口調で追い討ちをかける。急行なら止まる駅もサザンはいくつか飛ばすから ずいぶん南の岸和田まで行くことになる。 ちょうどそのとき、各駅停車に乗り換えて俺が降りるはずだった諏訪の森駅の横を通過した。 「仕方ないじゃないですか。それとも、途中の駅で降ろしてくれるんですか?」 俺は、諏訪の森駅前のさびれたパチンコ屋を横目で見ながら苦々しげに答えた。 先週あのパチンコ屋で負けたことを急に思い出して無性に腹が立った。 「い、いや・・・じゃ失礼します。」車掌は愛想笑いを浮かべて去っていった。

酔っ払って寝過ごした事は何度もある。井の頭線で「何度目を覚ましても、いつも下北沢」状態や、 山の手線で「目が覚めたら後ろに戻っている(実は約1周又は2周している)」状態だってある。 しかし、全くのシラフで乗り過ごしたというのが自分で納得いかない。悶々とした時間が過ぎ岸和田についた。 すぐさま上りのホームに行き急行に乗る。今度は「羽衣」という洒落た名前の駅で降りて各駅停車に乗り継ぐわけだ。

羽衣駅に着くと目の前のホームに電車が止まっており発車ベルが鳴っていた。「お、タイミングいいじゃん。」 俺はその電車に飛び乗った。車内は空いていた。俺がシートに腰掛けるとすぐ電車は動き出した。 「やっと家に帰れる・・・」 しかし、何故か落着かない。なんとなく他の乗客の視線を感じるような気がする。 それに、うまく説明できないが車内の雰囲気がどことなくいつもと違う気がする。 不安になって周りを見回していると車内アナウンスが聞こえた。「次はキャラバシ、キャラバシです」 キャラバシ?そんな駅あったっけなあ?たしかにいつも諏訪の森で降りてるからその先の駅には馴染みが薄い。 しかし漠然と名前くらいは聞いた事があるはずだが、「キャラバシ」という駅名には全く心当たりがなかった。 たまたま車内に掲示してある南海電鉄の路線図が目に入ったので、あわててよく見てみた。 (えっとキャラバシ、キャラバシ・・・あれえ無いぞ) 何度見直しても羽衣から諏訪の森までの間に「キャラバシ」はない。どういうことだ。この電車はどこへ行くんだ?

言い知れぬ恐怖に似た感覚に襲われ、さらに目を凝らして路線図を見た。 (俺は羽衣からこの電車に乗ったよな) そうつぶやきながら羽衣駅のところをよく見た。・・・ハッ!こ、これは何だああああ!! なんと路線図の羽衣駅のところから、ピョコンと出ている路線がある。 その路線は2つの駅で終わっている。つまり羽衣の先にたった2つの駅があるだけの路線なのだ。 そう、まるで盲腸のように・・・。そして、羽衣の次の駅は・・・・「伽羅橋」だった。

げえええええ!俺は今ここにいるのか?くっそおおお、なんてこったい! パニックになって次の停車駅すなわち伽羅橋で降りた。 なんか寂しい駅だなあ。どっと疲れを感じながら、反対側のホームに行くために歩きはじめた。 少し歩くと改札口に駅員がいた。改札を通らないといけないのか。 定期券は諏訪の森までだから説明しないと通してくれないだろうな。 「すみません。難波からサザンに乗ったんですが、扉が開かなくて堺で降りられなくて、岸和田まで行ってから 羽衣まで戻ったんですが、間違って今の電車に乗ってしまって・・・」 辛く長い説明を聞き終えると駅員は気の毒そうに、でも笑いをこらえながらこう言った。 「大変でしたねえ。でもここは単線なので、結局今の電車が又戻ってくるんですよ。

(そうくるか・・・)

だんだん何があっても動じなくなってきた。 「ハイハイ」ってなもんで向かい側のホームへ行き、「さっきまで乗っていた電車が戻ってくる」のを待った。 乗るときは慌てていたので気づかなかったが、しばらくして戻ってきた電車は、2両編成(1両だったかも)の短い電車だった。 南海本線とは似ても似つかぬその地味な車両編成がよけい俺をミジメな気持ちにした。

さて、羽衣まで戻りようやく各駅停車で諏訪の森についた。今度こそ家に帰れる・・・。 改札口で定期券を見せて出ようとしたその時、駅員が「ちょっとお客さん」と呼び止めた。 (・・・またかよ、今度は何だ) 「今の難波行きの電車に乗ってたんですよね?この定期券は難波から諏訪の森まででしょ。 料金設定が違う関係で追加料金がいるんですよ。」 説明の意味は分からなかったが理解しようとも思わなかった。 「実は・・・」 サザンの車掌、伽羅橋の改札の駅員に続き、本日3回目の説明(しかも自分の恥ずかしい行為についての)を終えると、 その駅員は「どうぞ。きょうは追加料金はいいです」と改札を通してくれた。 (当たり前だろ・・・)

ようやく家にたどりつくと、女房が「お帰り。遅かったね、どうしたの?」

本日4回目の説明は、ビールを飲んでからにさせてくれ・・・。

(3rd Jun,2000)


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