再会という出逢い
最後はほとんど小走りだった。
地の館に駆け込んで扉を閉めると、ルヴァはそのまま扉にもたれて肩で息をする。
…あんなところで出会うなんて…
わ、私に、気が付いたでしょうか…
大丈夫…ですよね…ちらっとしか顔合わせてませんし…
あの頃とは私の服装も変わってますしね…
限られた日数のうちにアルカディアの謎を解くために、女王を始め、皆が力を尽くしていた。
ルヴァも毎日調べ物や研究院での検討に忙しい。
今日も朝から研究院で過ごしていて、帰りがけにふと足を伸ばした公園で、彼に出会ったのだった。
周りとなにか違う雰囲気を漂わせている存在を感じて、そちらに視線を向けた時…
瞬間、それが彼であることがわかった…
気が付くと、ルヴァはその場に背を向けて必死で歩いていた。
会いたかった。
一目でもいいから、もう一度会いたかった。
なのに、なぜ自分はこうして逃げているのだろう…
ルヴァの頭脳を持ってしても、それは理解不可能だった。
歩く速さはどんどん速くなり、最後はほとんど小走りに走っていた…
ようやく息が整ってきた。
落ち着くためにお茶でも飲みましょうかと、ルヴァはもたれていた扉から身を起こし、部屋の奥に歩を進めた。
数歩歩いたところで、背後で音を立てて扉が開く。
予感が、した…
そうっと振り返ると、長身の男が中へ入って後ろ手に扉を閉めるところだった。
顔を上げて、鋭い瞳がこちらを向く。
…目が合った…
「アリオス!」
「やっぱりあんた俺を知ってるんだな」
「どうしてここへ…」
「悪ィな。跡つけたんだ」
「あ…」
「あんた、俺の顔見た途端に逃げ出したろ。俺のこと知ってるやつがいるんだと思って…跡つけてきた。
なぁ、俺のこと知ってるんなら教えてくれよ。俺は誰なんだ」
「え…。あなた、自分のこと…」
「あぁ、名前以外何も覚えちゃいねぇ。俺が何者なのか。どうしてここにいるのか…
ここがどこなのかもわからねぇ」
どこか切なげに訴える青年を、ルヴァは黙って見詰めていた。
「…おい!」
声を掛けられて、ルヴァは自分が彼を見詰めたまま突っ立っていたことに気が付いた。
「あ、あぁ…こちらへ…。今、お茶をいれますから…」
ルヴァは先に立って建物の奥へと進んでいった。
聖地とは違って、ここでは執務室と私邸とが背中合わせになっている。
私邸の方に招じ入れて、ソファを勧め、飲み物の用意をする。
緊張を抑えるように、ゆっくりと丁寧にお茶を淹れる。
「すみませんね、ここにはお茶しかなくて…。あなたにはコーヒーか…アルコールの方がいいのでしょうけれど…」
「いいぜ、別に…。これ、うまいな」
一口飲んだアリオスの言葉に、ルヴァは嬉しそうに微笑んだ。
「あんた…、そうやって笑うと幼くなるんだな」
「え?」
「なんか、ガキみてーで可愛いぜ」
「あ…」
ルヴァの頬がかぁっと熱くなる。
そんなルヴァの様子を見て、アリオスはふっと笑った。
「それで…?答えてくれよ」
「はい?」
「俺が誰なのか。ここはどこなのか。どうして俺はここにいるのか」
「あ…はい…」
ルヴァはここがどういう場所なのかから話し始めた。
「…じゃあ、何か? あと100日足らずでこの土地の謎を解いて、未来の宇宙を救うってのか?」
「はい」
「途方もねぇ話だな。女王に守護聖か…。あんたたちは何なんだ。神様か何かか?」
「そうだったら、もっと簡単に解決するんでしょうけどね」
あははは…とルヴァは笑う。
「で?俺は何者なんだ」
「あなたは…今お話した新宇宙の住人ですよ」
「新宇宙の?」
「えぇ」
「じゃあ、なんであんた俺のこと知ってるんだ」
「…それは…二つの宇宙は交流がありますし…」
ルヴァは、一つ大きく息を吸った。
「あなたとは…親しい友人でしたから」
「友人?」
「はい」
「だったら、なんでさっきヒトの顔見た途端逃げたんだ」
「あの…」
どうして逃げたか…その答えはルヴァこそが知りたかった。
あんなに会いたかったのに、なぜ自分は逃げたのか…
「突然のことで…びっくりしたんですよ。気が付いたら身体が動いていて…」
「ふぅん…」
アリオスが探るようにルヴァを見詰める。
「ま、別にいいけどよ…ところで、あんた、なんていうんだ」
「え?」
「友人…だったっていうのにすまねぇな。すっかり忘れちまってる。名前…もう一度、教えてくれるか」
「あ、はい。私は…ルヴァといいます…」
「ルヴァか…」
アリオスはルヴァの名を何度か口の中で繰り返した。
何か思い出そうとしているようだったが、ふっとあきらめたように笑った。
「…いい名だな。ルヴァって呼んでいいか」
「えぇ、もちろんですよ」
ルヴァは、精一杯平静を保って微笑む。
「あの…アリオス…」
「あぁ?」
「あなた、今はどこにお住まいなんです」
「どこにも住んじゃいねぇよ」
「え?」
「なんか気が付いたら、だだっ広い草原の中にある大木の根元にいたんだ。
どこへいっていいかも分からねぇし…なんとなくあっちこっちうろうろしてる…」
「じゃあ…ここに居ますか」
さり気なさを装ってルヴァは言った。
「それは助かるが…いいのか」
「雨露くらいはしのげますから。たいしたお世話は出来ませんけれどね」
「構わねぇよ」
そんなわけで、アリオスは地の館で暮らすことになった。
******
穏やかな日が過ぎていった。
昼間、ルヴァは、育成の依頼を受けたり、研究院を訪れたり、アルカディアの様子を見にいろいろな場所に出掛けたりしている。
1日の執務が終わって私邸の方に引き上げてくると、そこにはアリオスがいる…
アリオスは昼間はどこかへふらっと出掛けることもあるが、たいていはソファに寝そべってルヴァの蔵書を読んでいる。
ルヴァが戻ると本から目を上げて「よぉ」と声を掛けてくれるのが、ルヴァは嬉しかった。
想像したこともなかった幸せな日々が…嬉しかった。
今日もアリオスの笑顔が自分を迎えてくれると思ってドアを開けて、何の反応も返ってこないのにルヴァは一瞬戸惑った。
慌てて見回した部屋の中で、アリオスはソファに身体を伸ばして眠っていた。
右手は開いた本を持ったまま床に投げ出されている。
本を読みながら眠ってしまったんですね…
ルヴァはやんちゃ坊主を見るように、クスリと笑った。
そのまましみじみとアリオスの寝姿を眺めていると、不意に気が付いた。
あの頃は、常に剣を帯びた戦いの装いだった…
そう。アリオスでいる時も、レヴィアスに戻った時も、彼はいつも戦いの中に身を置いていた。
その彼が、今、ごく普通のシャツにパンツ姿で安心しきったように眠っている。
あなたはもう…戦わなくてもいいんですね…
そう思ったら目頭がツンとした。
「おい、ルヴァ…何泣いてるんだ…」
「え、私は泣いてなんか…」
「泣いてるじゃねぇか。どうしたんだ」
寝ていたはずのアリオスがいつのまにかすぐ傍にいた。
「いえ…どうもしていません…」
「どうもしてないんなら、泣くなよ」
アリオスはルヴァの腰を引き寄せ、指先でルヴァの涙を拭った。
「あ…」
ルヴァの頬が微かに染まる。
「…なぁ…以前にもこうやってあんたの涙拭いてやったこと…なかったか」
何か思い出しそうで思い出せなくて、もどかしそうにアリオスはルヴァを見詰める。
ルヴァの潤んだ瞳がアリオスを見上げる。
アリオスに見詰められながら、ルヴァはあの旅の途中の出来事を思い出していた。
*******
雪の降りしきる惑星に立ち寄った時、泊まった宿の宿帳に、ルヴァは思いがけない名前を見つけた。
遥か昔に自分を置いて聖地を立ち去った人…
自分の目が信じられなかった。
もうこの世にいるはずないと覚悟していたのに…
その人と一足違いですれ違った…
宇宙の危機も何もかも振り捨てて、跡を追って行きたかった。
そんなこと出来るはずもないと分かっているのに、ざわめく心を抑え兼ねて、ルヴァは眠れぬ夜を過ごしていた。
そんな夜、辺りが寝静まった頃、突然ささやかなノックと共に部屋に入ってきたのは、彼らに同行している旅の剣士だった。
「おい、ルヴァ…あんた大丈夫か」
「え、なんですか。私は別に…」
「あんた午後からずっとおかしかったろ。メシもほとんど食わなかったし」
「おかしくなんか…ないですよ。私はなんともないです…」
そう答えた途端、アリオスに抱き寄せられた。
慌ててルヴァが振りほどこうとするのを、アリオスはしっかりと抱え込んで離さなかった。
「そんな泣きそうな顔で無理して笑うんじゃねぇよ。仲間にも言えねぇことで苦しんでんだろ」
アリオスはルヴァの頭を胸に抱きこむ。
「俺はあんたたちの仲間じゃねぇからよ、あんたたちの内部事情なんて知ったこっちゃねぇ。
だから、遠慮しねぇでぶちまけちまっていいんだぜ」
抱き締める手の優しさが、必死で保っていた冷静さを突き崩す。
いつしか、ルヴァはアリオスの胸の中で泣きじゃくっていた。
何も言わずただ泣いているルヴァを、アリオスは優しく抱き締めていてくれた。
涙と共にだんだん辛い想いが癒されていった。
やがてルヴァが泣き止むと、アリオスは指先でルヴァの涙をぬぐって微笑みかけた。
「一人で我慢するな。泣きたいときには俺の胸を貸してやるからよ」
え、と見上げたルヴァの口元に、不意に口付けが落とされる。
驚くヒマも無く口腔内を余すところなく攻め立てられて、ルヴァは何も分からなくなった。
アリオスの袖を握り締めてやっと身体を支える…
唇が解放されても、ルヴァは動く事が出来ず、アリオスに体重を預けていた。
アリオスは軽く笑ってルヴァを抱き上げベッドに横たえた。
「あんた、べらぼうに頭いいくせに、危なっかしいというか…頼りないというか…何だか放っとけなくってよ…
ずっとあんたのこと見てたんだぜ」
とびっきりの笑顔と共に落とされた口付けは、あまりにも優し過ぎて…ルヴァはまた泣きたくなった。
優しい口付けが何度も繰り返されるうちにだんだん激しく情熱的になっていって、いつしかルヴァはアリオスの背に両腕を回してしっかりと抱き締めていた。
そうして長い夜の間、アリオスの熱に煽られ追い上げられて何度も絶頂に上り詰め、最後には意識を手放していた。
朝になって、憑き物が落ちたようにぽかんとしているルヴァを見て、アリオスはふっと微笑んだ。
「あんた、思い詰めるタイプだろ。でもな、くよくよしたってどうにもならねぇぜ。辛いことは忘れちまいな」
耳元でささやかれる言葉が、ルヴァの心に温かい灯を灯す。
「あんたの傍には、俺がいるんだぜ、ルヴァ…」
それからの旅の間、アリオスはいつもルヴァを支えてくれていた。
ふと心細くなるような夜は、一晩中傍にいてくれた。
かつての恋を失った日以来臆病になっていたルヴァの心が、次第にほぐされていって、気が付けばルヴァは新しい恋の中にいた。
厳しい戦いは続いたが、そんな日々にも密かに幸せを感じているルヴァだった。
しばらくして、アリオスという人物は彼らの前から消えてしまったけれど、
彼に良く似た皇帝と称する侵略者を倒しはしたけれど、
ルヴァの心の中には、いつもあの共に旅をしたアリオスの姿があった。
新宇宙で再生を遂げたと聞いて、嬉しかった。
彼の辛い過去を全て忘れて、まっさらな人生を歩いて欲しいと願った。
自分とのことも忘れてしまって構わない。ただただ幸せに生きていって欲しいと、ルヴァは思った。
もう二度と逢えなくても、どこかでアリオスが楽しそうに笑っていると思うだけで、それだけで良かった。