■ 願うものは・・・ ■
守護聖となることに反発して反抗して突っかかってばかりいた新しい鋼の守護聖が、最近随分落ち着いてきた。
ルヴァの講義を抜け出したりすることも、あまりしなくなった。
まがりなりにも予習復習もやってくる。
となれば元々賢い少年である。
学習進度は快調に進んでゆく。
教える側もそれならというので、さらに詳しいことを教えたがるのだが、分野によってはゼフェルはたいそう積極的な姿勢を見せてルヴァを喜ばせた。
「ゼフェル〜、そろそろ休憩にしましょう。お茶を入れてきますからね〜」
「お、おう。じゃこれだけやっちまうから」
ペンの動く速度が速くなった。
その様子を見て、嬉しそうな微笑みを浮かべると、ルヴァはお茶の支度をしに行った。
テラスのテーブルに移動してお茶にする。
香りの良い緑茶。
お茶請けにはゼフェルの好みを考えて、あられやせんべいの類が用意されている。
醤油味の、かなり噛み堪えのあるあられを、ゼフェルは気に入ったらしい。
派手に音を立てて勢い良く噛み砕いてゆく。
その音にふっと「へん、ざまぁ見やがれ」という雰囲気を感じ取って思わずルヴァの顔がほころぶ。
と、顔を上げたゼフェルと目があった。
「何だよ、ルヴァ、何笑ってるんだ」
「え、いえ、私は別に笑ってなどいませんよ」
言いながらやっぱり笑いが込み上がってくる。
「笑ってるじゃねーかよ。ふん、どーせ俺がガキくせーとか思ってんだろ」
すねて横を向いた様子が可愛くってまた笑ってしまいそうだったが、どうにか平静を保つ。
「ゼフェル。最近のあなたはとってもいい子ですねぇ。勉強もよくするし、第一、逃げ出さずにちゃんとここに来てくれますからね。私は嬉しいですよ」
真正面から褒められて、ゼフェルはうろたえる。
「べ、別にいい子になったわけじゃねー。たまたま講義の内容がそれほどつまらなくねーからよ、気まぐれで来てんだ。いつまたサボりだすかしらねーぞ。そん時になって驚くな」
「えぇ、えぇ、わかってますよ。あなたは本当はいい子だってね」
「…ちぇっ」
またひとしきりあられを噛み砕く音。
お茶の香り。
静かな午後・・・・。
「ねぇ、ゼフェル…。それにしても何があったんでしょうねぇ、あなたが守護聖の立場を嫌がらなくなったのは」
沈黙・・・。
乱暴に噛み砕く音。
ずずっとお茶をすする音・・・。
「はあ…」と、聞こえるか聞こえないかの大きさで、ルヴァが溜息を漏らす。
「カティスがよ」
湯飲みの底をみつめたまま、ぼそっとゼフェルが呟く。
カティスの名を聞いてルヴァの心臓はトクンと一つ大きく動いた。
それを表に出さないのは、まぁ、それが年の功というものか。
「カティスがどうかしましたか」
「いや、カティスがよ、なんでか知らねーけど、最近よく話しかけてくるんだ。んで、あれこれ話してるうちによ、なんか、あぁ、守護聖ったってそう肩肘張ったものでもねーんだなって思って…。そしたらなんか突っ張ってるのも馬鹿らしくなって…。ジュリアスみてーに、なにかってぇと『守護聖たるもの…』なんて言われるとよ、けっ、俺ァそんなごたいそーなもんにゃなりたかねーや!ってムカッとくるんだけどよ。カティスみてーにお気楽なおっさんでも守護聖なんだって思うと、まぁそれもいいかってさ…」
「お、お気楽なおっさん、ですか…。そう、ばかりではないと思うんですけどねぇ…」
小さな声で抗議するルヴァの言葉は全く無視された。
「考えたらルヴァだってよぉ、頭はめちゃくちゃいいのに常識ねーもんな。行動だって、とろとろして危なっかしいし…それでも守護聖様だってんだからよ、大騒ぎして反発するこたねーや」
「あ、あのぅ、ゼフェル…」
「あ、勘違いするなよ。守護聖辞めてぇって気持ちは変わっちゃいねーぜ。ただ、子供みてーにだだこねるのは止めたってことだけだかんな。勉強だってよ、守護聖でなくたって知識は必要だって思うからやってるんだ。それだけだぜ」
しゃべり過ぎたと思ったか、ルヴァの微笑みに居心地が悪くなったのか、ゼフェルは乱暴に湯飲みを置いて立ち上がった。
「さあ、休憩は終わりだ。残りの予定もさっさとやって終わらせちまおうぜ。ルヴァ先生よぉ」
部屋へ戻っていくゼフェルを見ながら、ルヴァは呟いた。
「カティス。私がゼフェルのことで悩んだりしていたから…。私はいつもあなたに助けられてばっかりですねぇ」
部屋へと急ぎながら、ゼフェルは今の会話を反芻した。
ルヴァに言ったことは嘘じゃない。
カティスのお陰で守護聖に対する認識が改まったのも本当のことだ。
ただ、ルヴァには言わなかったことがある。
カティスといろんな話をして、外の世界へ抜け出すルートも教えてもらったし、カティス秘蔵の酒も飲ませてもらった。
共犯者の親しさみたいなものを感じて、カティスになついた頃、ある時カティスはストレートに聞いてきたのだ。
「お前、ルヴァのこと好きだろ」と。
うろたえるゼフェルの抗議を、カティスは「見てりゃわかる」の一言ではねのけた。
「なぁ、ゼフェル、お前の苛立つ気持ちはわかる。守護聖なんてと言いたい気持ちも、まあわかる。でもなぁ、お前のやっていることはルヴァを悲しませるだけなんだって、お前わかってるか」
「なっ、俺、俺は、そんなこと…」
「考えてもみろ。お前がルヴァの講義を逃げ出して、一番悲しむのは誰だ。お前がいつまでたっても守護聖の自覚を持たないのは、自分の指導方法がいけないのかと悩むのはだれだ。お前がなにかしでかした時、矢面に立ってジュリアスの叱責を受けたり、ジュリアスをなだめたりしているのは誰だ」
「……」
「ルヴァはお前のことをずっと考えてるぞ。ここで、守護聖として生きていくのが逃れられない運命ならば、その運命を少しでも前向きに受け止めて、自分の人生を、恨んだり嘆いたりするのではなく、守護聖としての誇りを持って、楽しく喜びに満ちたものになるように生きて欲しいってな。お前が、ここで幸せでいられるように、自分がしてやれることは何なんだろうと自問して、苦しんでる。自分の運命を嘆くばかりで、そんなルヴァの気持ちにも気がつかないほど、お前はバカか」
「……」
「そんなバカにはルヴァは譲ってやらんぞ」
「!……カティスッ!」
「俺は守護聖になって長い。いつの間にか守護聖の中で一番の古株になっちまった。いずれ、ルヴァを残して聖地を去ることになるだろう」
「カティス…」
「ルヴァを一人っきりで放り出して行きたくはないが、どうしようもないことだ。俺が去った後、ルヴァをしっかりと支えてくれるヤツがいてくれたら、少しはルヴァの慰めになるかもしれん…」
「……」
「ゼフェル、大人になれ。俺がルヴァを任しても大丈夫だと思えるほどの、いい男になれ。さもないと…」
「さもないと?」
「俺はルヴァを離さない。たとえ女王陛下に背くことになっても、俺はルヴァと共に生きていく。誰にもルヴァは渡さない」
本気とも冗談ともつかない口調でそう言って、カティスは笑って酒をあおった。
しかし、その眼差しは笑ってはいなかった。
どこまでもひたむきに、ルヴァへの想いを示していた。
そうして、ゼフェルは決心したのだ。
ルヴァを泣かせることはしないと。
ルヴァがいつも笑っていられるように、やれる限りのことをやろうと。
いつか、カティスが聖地を去るとき、胸を張ってその前に立てるようになろうと。
「あ〜、ゼフェル、相変わらずあなたは足が速いですねぇ。私はすっかり息が切れてしまいましたよ〜。あぁ、もう準備は出来てますね。それでは次の章に進みましょうか〜」
「おう、いいぜ」
ルヴァの声に、ゼフェルはペンを持ち直した。
× × ×
ゼフェルが帰っていって、辺りは少しづつ夕暮れの気配が忍び寄ってくる頃となった。
ルヴァはテラスへ出て、夜に向かい花弁を閉じつつある花を眺めていた。
花に覆われたテラス。
その向こうの庭も、常になにかしらの花が咲いていて、ルヴァを楽しませてくれる。
あれこれとカティスが持ち込んで、いつの間にか花に埋もれる庭となった。
咲く花の一つ一つが、カティスのルヴァへの愛を囁いているようだった。
「カティス…」
呟いた途端に後ろから抱きしめられた。
耳元で「ルヴァ…」と囁く声がする。
ルヴァは身をよじって背後の侵入者と向かい合った。
「カティス…、びっくりするじゃありませんか。いつ来たんです」
「ん、今。ルヴァ、お前、今俺を呼んだろ。だから来たんだ」
「またそんな…。あなたはいつもそんな冗談ばっかり言うんですから…」
「冗談なんかじゃないさ。お前が呼べばいつだって、どこにいたって、俺はお前の許に駆けつける」
そんなこと、無理ですよ、と言おうとしたルヴァの口唇に、カティスの口唇が重なる。
穏やかなキスはだんだん激しさを増し、むさぼるようなキスに変わっていく。
キスの熱さに理性を奪われそうになって、ルヴァは必死に身を引き離した。
「カッ、カティスッ…!こんなところで…」
「誰もいやしないぞ。いたって俺は構わないが」
「私は構いますよ。ホントにもうあなたって人は…」
潤んだ目で睨むのが、本人は真剣なのだろうけれど、誘いとしか感じられなくて、カティスはくらくらする。
いつまで経っても恋愛に疎い生真面目なこの恋人は、だからこそ余計に自分を魅惑するのだよなぁ、と思うと益々ルヴァが可愛くて…。
あぁ、俺は本当にルヴァにまいってるぞ、恋愛なんて星の数ほどもこなしてきた俺が、まるで初恋の少年のように純情じゃないか…
「カティスッ、何笑ってるんですか。離してください、苦しいですよ〜」
「嫌だ。久しぶりに逢えたんだ。離したくない」
「カティス〜」
「今夜はずっと一緒にいような」
耳元で囁かれて、ルヴァはボンッと赤くなった。
「あのぅ、カティス…」
「ん、何だ、ルヴァ」
「ゼフェルのことですけど…ありがとうございました」
「あぁ、いや、別に大したことじゃない」
「いいぇ、大したことですよ。ホントに助かりました」
ルヴァの全開の微笑を、カティスはしみじみと観賞する。
夕食後のひととき、二人はゆったりと居間のソファにくつろいで、ルヴァはお茶の湯飲みを、カティスはワイングラスを手にしている。
「でも、さすがですねぇ。あのゼフェルをあんなにおとなしくさせられるなんて。やっぱりあなたはすごい人ですよ、カティス」
「何を言う。ルヴァこそ、あのやんちゃ坊主にしっかり慕われているじゃないか」
「私なんて全然だめですよ。ゼフェルは私のことなんてうるさいヤツぐらいにしか思っちゃいません」
どうしたらいいんでしょうねぇと顔が曇るのを、近付いてきたカティスがその顎を促えて上を向かせる。
「悩むな、ルヴァ。俺がどうしてあの坊主の面倒を見たと思うんだ。お前にそんな顔をさせない為だぞ」
「え?」
「ゼフェルの教育係になってから、ルヴァはあいつのことばかり考えている。どうしたらあいつが守護聖として一人前になるだろうと、そのことばかり考えている。そうして、そんなふうに眉間にしわを寄せて考え込んだり、泣きそうな顔で悩んだりしている。俺は、お前にそんな辛い表情でいて欲しくないんだよ」
「カティス…」
上を向いたルヴァに覆い被さるようにして、優しいキスが降りてくる。
「ルヴァ、いつも笑っててくれ。お前の微笑を守る為なら俺はなんでもやってやる。困ったことがあったら、すぐに言うんだ。我慢なんかしてちゃだめだぞ」
「カティス〜、私も子供じゃないんですから、そんなに甘やかさないでくださいよ〜」
「ん、甘やかして言うわけじゃない。ルヴァに余計な物思いをして欲しくないだけだ。俺と一緒にいる間は、いや、離れている時も、ルヴァには俺だけを見て、俺のことだけを考えていて欲しいんだ」
「そんな無茶言わないでください」
「ルヴァは俺のことを考えるのは嫌か?」
「そりゃ嫌じゃないですけど…」
「ならいいだろ。いつも俺の傍にいて、俺だけを見つめてくれ。俺がこの聖地にいられる間はずっと…」
「カッ、カティスッ!…まさか、サクリアが…」
カティスはルヴァの湯飲みを取り上げて、自分のワイングラスと一緒にテーブルに置き、膝を突いて、ソファに座るルヴァの目線と同じ高さで向かい合った。
真摯な眼差しがルヴァを見つめる。
「ルヴァ、俺のサクリアは…」
ルヴァはやや青ざめた表情でカティスを見つめた…
「…カティス……」
カティスは、目を閉じて呼吸を整える。
息を詰めて見守るルヴァ。
カティスは静かに目を開けた。
「とても元気だ」
言い終わった途端、こらえきれないようにカティスは吹き出した。
一瞬唖然としたルヴァは次の瞬間、真っ赤になってカティスにぶつかっていった。
「カティスのバカッ!びっくりしたじゃないですかっ!わ、私は、本気で心配したんですからねっ!」
叫びながら両手でカティスの胸を叩く。
カティスは笑いながら受け止めていたが、叩きながら泣きじゃくるルヴァを、座り込んだまましっかりと抱きしめた。
「すまん、ルヴァ。冗談だよ。悪かった。泣かないでくれ」
「…知りません!…カティスなんて、カティスなんて…」
「俺はまだ大丈夫だ。まだルヴァの傍にいられるよ」
「…知りませんっ」
「だけどな、いつかは来る事だぞ、ルヴァ」
「カティ…ス…」
ふいに真面目な物言いになったカティスに、ルヴァが顔を上げる。
「それがいつかはわからない。けれども必ず来る現実だ。だから、その時まで、一瞬でも無駄にしたくない。可能な限り、俺はルヴァの傍にいたい…」
「カティス…」
「傍にいてくれるな」
また涙の溢れそうなルヴァの瞳がカティスを見つめ、強く頷いた。
「えぇ、えぇ、カティス。私を離さないで下さい。一緒にいられる間ずっと、私と共にいてください」
「ルヴァ」
抱き締めて口唇を重ねる。
愛しい愛しいルヴァ。
宇宙の均衡を崩すことになっても離したくない…。
「ルヴァ、例えサクリアを失って聖地を去ることになってもな、俺はいつもお前の傍にいるぞ。お前が呼べば、いつだって、どこにいたって、俺はお前の許に駆けつけるからな」
涙の跡を残したまま、でも嬉しそうに、ルヴァはカティスの胸に身を委ねる。
しっかりと抱き締めて、幸せを噛みしめながら、カティスはふっと呟いた。
「ゼフェル、まだまだ、ルヴァはお前にはやらんぞ」
不思議そうについと顔を上げて見つめるルヴァに、何でもないよとキスを贈る。
夜はまだまだ長い。
恋人達の夜は、甘く甘く始まっていった…。
■ おしまい ■