想い人


森の湖の傍でその人に出会ったのは、偶然でもなんでもない。
今夜の大流星雨のことや、それを見る最良の場所のことを僕に教えてくれたのはその人なんだから。

星明りの森の道で僕を認めたとき、その人は嬉しそうに微笑んだ。
素直できれいな笑顔だった。
僕と出会ったことをそんなに素直に喜ばれたんじゃ、僕だって皮肉な応対なんて出来やしない。
だから素直に挨拶をしたよ。良い夜ですねってさ。

そうして僕たちは連れ立って湖のほとりまで歩いた。
お薦めの最良スポットに並んで腰を下ろして、僕たちはその時を待っていた。
二人とも何もしゃべらなかったけど、それがまったく気にならなかったね。
普段の僕だったら、そもそも他人と一緒にいるってこと自体が耐えられない状況なんだけど・・・・

空は一面の星空で、少しづつ星が流れ始めていて、それは綺麗だった。
こんな星空を「宝石箱をぶっちゃけたよう」だと表現したのは某守護聖様だっていうけど、
確かにあの方の感性ならそんなイメージだろうね。
僕・・・? 僕だったらどう表現するかって? そうだね・・・・
・・・なんて考えていたら、流れる星はどんどん増えていって、
気が付いたら満天の星の全てが流れ落ちてくるような、見渡す限りの大流星雨となっていた。
「・・・ふわぁ・・・・」とため息のような声が隣から聞こえてきたけれど、
本当にため息をつく以外ないほど見事な流星雨だった。

見上げてばかりだった視線をふと下ろしたとき、ここが最良の場所だと言われた理由がわかった。
波一つ無い湖の水面は、空のこの天体ショーをくっきりと映し出していたのさ。

空と湖とその両方を視界に納めると、
もう星が落ちてくるのか湧き上がってくるのかわからないほどで、
世界中が激しく息づいているようにも感じられた。
自分を包む世界がうねり、逆巻き、魂がゆすぶられて高みに駆け上がっていくような、そんな思いがした。
自分が一個の小さなはかない生命体に過ぎないことが意識の向こうに追いやられていった。
この宇宙と一つに溶け合って、遥か無限の彼方まで自分の存在が広がっていくように感じられた・・・・


流星雨が収まっても、二人とも呆然としたままだった。
空が白むころ、ようやく我に返った僕たちは、帰途についた。
何も言わずに歩いて、何も言わずに別れて、僕は学芸館に戻った。
言葉にするのが惜しいような、そんな思いを抱えていたから・・・



その日の午後、僕は王立図書館を訪れた。
ちょっと探したいものがあったんだ。
でも、なかなか目当てのものは見つからなくってね、
ちょっと苛立ってきたとき、後ろからのんびりした声がかかったんだ。

「あ〜、あなたがここにいらっしゃるなんて、珍しいですね〜」って。

「えぇ、ちょっと探したいものがありましてね」 と応えたら、何を探してるんですと問いたげな瞳で見詰めてきた。

普段なら知らない振りをするんだけど、
少年のような瞳があまりにも真っ直ぐだったから、つい、僕は素直に説明してしまった。

「昨日の、あの流星雨を見た時の僕の気持ちを現したような詩を、以前に読んだように思うんです。
それがもう一度見てみたくって・・・」

そうしたら、その人はにっこりと笑って・・・

「あぁ〜そうだったんですかぁ〜」と言って、うんうん、そうですねぇ〜と書架を見渡すと、1冊の本を抜き取り、

「私は・・・・こんな感じでしたかねぇ・・・・」と、あるページにしおりを挟んで僕に渡すと

「では失礼しますね〜」と挨拶をして、そのまま向こうへ行ってしまった。

あっという間の出来事だったんで、唖然として見送った僕は、はっとして手渡された本を見たんだけど・・・・

   誰が私に言えるだろう
  私のいのちがどこへまでとどくかを・・・・・

僕は思わずその人の去った方を振り返った。
その詩は、まさに僕が探していたものだったから・・・。
あの学者馬鹿を体現したような、朴念仁ともいえる人が、僕と同じことを感じていた・・・・?





それから数日経った休日の午後、公園でばったりとその人に出会った。
お忙しいですかと聞かれたので、いいえと返事をすると、これからお茶会をするから来ませんかと誘われた。
聞いて見ると守護聖様の中で中堅組と言われている3人の方たちがいらっしゃるらしい。
じゃあ、と言って僕はご招待を受けた。
オスカー様とオリヴィエ様の漫才のようなやりとりは、低俗過ぎてかえって創作意欲を掻き立ててくれるし、
リュミエール様のハープは、心を和ませてくれるからさ。
最初ははっきり言って虫が好かなかったこの美貌の水の守護聖様のことが、最近の僕はけっこう気に入ってる。
芸術家同士ってことで通じ合うところもあるしね。

肩を並べて邸に向かって公園を抜けて歩いていくと、
突然その人が立ち止まった。
視線をたどって見上げると、木の葉越しに小鳥の姿が見えた。
小さく鳴きながら忙しなく飛び回っている様子がなんとも愛らしい。
日差しを受けて羽が煌く。
一瞬も止まることなく軽やかに枝から枝へ飛び移っている。

「・・・目移しの ふとこそ見まし黄鶲の あり樹の枝に 矮人の 楽人めきし 戯ればみを・・・
  (めうつしの ふとこそみましキビタキの ありきのゑだに ちひさごの あそびをめきし ざればみを)」

ふっと口を付いて出たのは僕の好きな古い詩の一節だった。
言ったとたん、僕はまたまた驚いた。

「・・・尾羽身軽さのともすれば 籬に 木の間に ――これやまた 野の法子児の 化のものか・・・
  (をばみがろさのともすれば ませに このまに これやまた ののほふしごの けのものか)」

その人が小さな声で次の一節を続けたから・・・。
思わず見詰める僕の視線に、その人は微かに頬を赤らめて、

「好きな詩なんです・・・・」とささやいた。

それからずっと黙って歩いていったんだけど、
その人に対する僕の興味と好奇心はどんどんふくらんでいった。
この人は、その穏やかな面差しの下に、どんな感性を秘めているのだろう・・・・。




その気になって気を付けてみると、
その人は、知れば知るほど奥が深くって、いろいろな場所で僕は認識を改めっぱなしだった。
最近、気が付くと僕の目はその人を追っている。
心はその人の事を考えている。

まいったな。どうやら僕は陥落させられたらしい。
これはもう花でも抱えて無条件降伏するしかないようだね。




珍しく食事に招待されて、
程好い食事と会話を楽しんだあと、場所を移して食後のお茶になった。
さりげなく、僕はくちずさむ。

「・・・・永遠の夜の帳の中で はっきりと主張する 一筋の光
  それは存在の証 辿り付く我が道の標」
 
湯飲みを手に聞いていたその人は

「切ない恋の詩ですね・・・・」と言った。

言葉の奥に潜ませた想いにちゃんと気が付いている。
やはり鋭い感性の人だ。

「私の知らない詩ですけれど・・・」と首を傾げる人に、僕はにっこりと微笑む。

「知らなくっていいんです。これは僕の即興の詩ですから」

「あぁ、それなら知らなくって当たり前ですよねぇ。あははは・・・・」

笑い声がふと途切れる。

「じゃあ、あなたはどなたかに恋をなさってるんですね・・・」

うんうんとうなづくその人が、どこか寂しそうに見えたのは、僕の錯覚なのかな。
でも、ホント。この人ったら肝心なところで鈍いんだから。

「聞いてなかったんですか。これは僕の即興だって。
わかってます? これは僕の、今、この瞬間の想いなんですよ」

「え?・・・それって・・・・」

「えぇ、僕は、今目の前にいるどなたかに恋をしているんです・・・」

「あ、あの・・・え、えぇぇ〜〜!?」

驚く顔が可愛くて、僕は思わず座っている椅子ごと抱き締めてしまう。
ささやかに抵抗する身体からやがて緊張が解けてそっと体重が預けられた。
赤くなってうつむくのを、あごに手を掛けて上を向かせ口付ける。


ねぇ、あなたの頭の中には古今の詩がいっぱいに満ちているけれど、
あなたの存在そのものが一遍の詩だと言ったら、あなたはどう思うのかな。
僕と同じ魂を持っているあなた。
僕の腕の中で、どんなあなたを見せてくれるの?
ねぇ・・・・

     






【終わり】