2005/02/21 精神的に深く寄り添えば寄り添うほど、
目の前からその存在が瞬時に消え失せ、
我が身バランスを崩した時に、
地べたに倒れ込む衝撃が強くなるというもの。
それは、決してニュートン力学の域を出ず、
妖しく飾られた精神世界における
この上なき無情ではないか。
不確かなものを支えとし、
支えとした分、崩れ解つ。
「人とは所詮信ずるに足らぬもの」
しかしそれは全く後ろ向きな思考ではなく、
矛盾を前提とした人という存在に対する、
ある種持たねばならぬ諦めではないか。
程度を計り、程良く諦める。
これは、ポジティヴである為に必要な
ネガティヴであると思う。
2005/06/30 敵をおそれることはない。敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
友をおそれることはない。友はせいぜいきみを裏切るだけだ。
無関心な人々をおそれよ。かれらは殺しも裏切りもしない。
だが、無関心なひとびとの沈黙の同意があればこそ、
地上に裏切りと殺戮が存在するのだ。
(ブルーノ・ヤセンスキー『無関心な人々の共謀』より)
まさに真。何事もかくのごとし。
2005/10/14 本日、誕生日、32歳。
昨日、そんな己にプレゼントを買った。
丸善閉店セールで、店頭ワゴンで売っていた、
CDの新古品2枚☆ たいそうな贅沢をしてしまった。
マルサ2跡の、パルコ新館をぶらぶら見ていた。
真っ黒い枕カバー、目に飛び込む。。。 ほっすぃ〜
しかし、手が出なかった。 あれで寝たい。
初雪虫を、発見。 ふー。 いよいよでん。
2005/11/05 「逆さ吊りにされて頭に血が上るのと、プリプリに怒って頭に血が上るのとでは、
原理が違うだろう〜!」 と言っても、 通じないらしい。。。
例え話において、どこまでがイメージが沸いて、
どこからが何言いたいかわからないのか、考察するに興味深い。
”結果が同じでも、意味が違うこと” に対して言うならば、なんて言おう?
「呼吸により排出された二酸化炭素と、石灰石に塩酸を注いで発生させた二酸化炭素。」
いらないものと望まれて出来たものってことで。
う〜ん、かなり かてーな。
そんならいっそのこと、
「明るいふぁみりーぷらん によるものと、 お楽しみの おまけ ??? 」
わお☆ わかりやすー。
いや、 そんなの あまり良くないと思う。
冷える季節になってきました。。。
2005/12/22 複数の雑務を同時にこなそうとした際、必ず一つは忘れるのが常になってきた。
何かするはずでここに来たのだが、「あれ、なにしに来たんだっけ?」
というのは誰にでもあることだと思うが、最近自分はその頻度が
著しく上がってきている。。。
一週間のうちに、職場に3度同じものを忘れて帰ってきたときは、
3分ぐらい悩んだ。 人間ぽくてよいかと自分をなだめた(諦めた)が、
PCが起動不全になり、HDのメインドライブをフォーマットしてしまった後に、
OSを人に貸していたことを思い出した時に至っては、
意味不明の笑みを浮かべるしか術がなかった。
精神医学において、忘却は自己防衛だという話を聞いたことがあるが、
(つらい体験の記憶がいつまでも鮮明に残っていると、積み重なって
ハートがパンクしてしまうらしいですよ。。。)
その自己防衛も、日常生活に支障を来してしまうほどだと、
違う意味で危険だ(悩)。
魚を食べれば、若干でも改善されるだらうか。。。
JR手稲駅北口から連結しているセイユ〜では、
生鮮売場において、”おさかな天国”が未だ流れているが、
あれは客に対しての印象としては、まるで逆効果ではなからうか。。。
2006/01/03 明けて2006年となる。
今年の一月は己にとって、非常に厳しい一ヶ月となるだろう。
体力的・精神的にハードに流れるであろう日々にも、
目の当たりにするかもしれぬ厳しい結果に対しても、
臆することなく、立ち向かって行かねばならない。
そして、そうしなければ、その先がないような気がする。
与えられたものならば、甘んじて受ける。
俺よ、覚悟はできたか!
2006/03/18 過去の人生の流れにおいて、自己を責める内容なら無数に存在する。
己を精神的に追いつめることはたやすい。
しかし、それは生産的ではない。
これからどうやって生きていくかを考えるべきだ。
2006/03/19 人の生まれながらに持つ不条理や矛盾について一人思いを巡らせていると、
気が狂いそうになることがある。
人間は元々矛盾を抱えた生き物だ−−−と字面では理解していても、
直接大きな不条理と遭遇すると、憤り、悲しみ、悔しさ、
負の感情が爆発し、押さえられない。
と同時に、自身こそが不条理や矛盾を大いに発振している存在
であることを思い、なお辛くなる。
人間である限り、発作的に一生続くであろう灰色の時間。
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■ ここが自分の居場所。。
2006/04/19 職場で嫌な情報。辛い知らせだった。
帰宅したらしたで家の中の空気は重く、
人の心を狂わせるのも、荒ませるのも、 金だ。
夜中に好きなアルバムを一人聴く。 たばこを吸う。
詩が日本語であるだけ、音楽全体が強く心に訴えてくる。
詩がネガティブな内容であるだけ、音楽全体が心と共振する。
あらゆる場面で あらゆるテクノロジーで、
外部とのコミュニケーションを重ねる程、どんどん内向的になっていく一日。
その分だけ、自分の心が病んでいることが分かる。
でも、
部屋中を満たす愛すべきノイズが、
必ずしも後ろ向きな世捨て人の咆哮ではないことが感じ取れて、
彼の視線の遙か先には、輝きに満ちた世界が常にあって、
だから、それが分かったから、どうか力強き人よ、
僕の心も、引っ張っていって下さい。
疲れてへたってちょっと休んでただけだから、
今、立ち上がるから、ちょっと手を貸して。。。
2006/05/30 日曜のロッテ−巨人戦を アタックナイターで聴いていたら、
「ロッテ 代打 "パスクチ"」って いったいどんなだ〜!
実況がやたらと、「パスクチ」「パスクチ」って、
解説の人もすごい「パスクチ」って だから どんなだ〜!
気になりすぎ。どんなひとらろう、パスクチ!
ベンチレポーターが、パスクチにいんたびゅー
「小指をけがしていたが、完全に治って、今はもう絶好調だそうです」って、
絶好調なパスクチって、 さらに どんなだ〜!?!?
パスクチ LOVE 。。。☆
以前日ハムにいたオバンドー選手は、今、何してるんだ?
日本ハムの攻撃 ノーアウト満塁 打席 オバンドー
内野ゴロの間に トリプルプレー スリーアウトチェンジって、
足おせーーー!!!
I MISS YOU , オバンドー.
2006/07/02 先日、ある男性と、これからの人生について多少考える会話の機会を持った。
自分としては、その場の雰囲気や会話の流れのキープのためか?、
大方頷いたり同意していたのが正直なところで、
確かに「なるほど」と思わせる、ためになる発言が多々ある一方、
つっこみどころ満載の穴だらけの理屈が不愉快にもなった。
しかしなによりその人物は、自分のスタイル、考え方の姿勢をしっかり持ち、
少なくとも自分よりは充実した生き方をしているように感じた。
要は、生きていくために完璧な理屈など必要ないと言うことだ。
もともと欠陥や穴だらけの存在である人間を、
理想や理屈に当てはめようとする必要も、あろうはずがなく、
そう思ったから、自分はこれから、いかに意味もなく
自分を自分で息苦しくさせている思考回路の悪循環から
自分を解放させてやるか、という新たなテーマを持つことが出来たように思う。
そう考えれば、非常に有意義な会話の機会を持てたと思う。
2006/09/09 午前3時 東の空にオリオンをのぞむ。
季節は確実に移ろいでいる。
思う。
この世に己が存在した証を
確実に、より鮮やかに残してゆけるか。
夢や希望を常に保持し、
そこへ向かうベクトルを保つことができるか。
重ねて 我が有限に 幸あれ。
そして 我が生き甲斐に 幸あれ。
2006/10/11 夕刻、今年初めての雪虫を見た。
まだ まばらだったが、これから確実に
数を増やしていくのだろう。
中日ドラゴンズ リーグ優勝おめでとう!!
落合が 泣いた。
今日の巨−中戦は、今年の巨人の戦いぶりを
総括するかのようなイメージだった。
2年連続 目の前で胴上げ。 試合後の小久保の言葉が
心に響きますなぁ。。。
来年は見てなさい! もう すごいんだから!笑
2006/10/17 先程、部屋の中に雪虫が舞い込んできた。
生まれてからずっと北海道で生活していて初めての境遇。
彼にとっても決して長くはない生涯。 ましてや
この中にいたとて更に寿命を短くするのは必然。
(たばこの煙もあろうし。。。)
逃がしてやろうと窓を開け、触らないように誘導するが、
全く出ていこうとせず、非常にもどかしい。
−−−ふと、この地球を遠くから眺める偉大な存在を思う。
その存在は、この星で起こっている全ての難儀、そして
この星が向かっていこうとする行く末を、
手に取るように承知しているのだろうか。
どうにも手を下せないもどかしさを感じながら。−−−
我が部屋におわす雪虫は、未だ出ていこうとしない。。
2007/01/09 僕は、物事を表面的にしか捕らえていないのに
すべてわかった気になって理屈や文句を言ってこられるのが、
非常に嫌だ。
それが、すごく嫌だから、自分もそういったことはしないようにと、
思ってはいる。 しかし、
様々な事物に対して、どの程度理解していれば、
どこまで深く把握していれば、批評する立場になりうるのか、
時と場合、相手と自分、
程度を計りつつ、己の発言に責任を持つことの、難しさよ。。
2007/02/14 他人の所業を悪行だ偽善だと呼ばわるもいいが、
そもそも己の存在ごときがどれ程のものか
今一度量るとよい。人間、はなはだ思い上がるが常。
害悪絶大にして善行微力と知るものこそたちがいい。
生きる摂理を前に真の聖人など皆無だ。
2007/04/19 軸がぶれるのも自分だが、己に確固たる核があれば
いずれにぶれようとも、また立ち戻る原点を持つ。
前進 継続 上昇 そしてまた前進。
何にもよらず、己に従い、己をまっとうする。
まま成り難きとも、やはり人生かくあるべし。
志、革むる旨と共に、 ここに覚え書く。
2007/10/02 祝!巨人軍 優勝! 僕は原監督が大好きだ。
2007/10/03 今日、定期的に通っている病院に行くと、
今まで看てもらっていた主治医が、外来から外れてしまったとのこと。
今日話したのは、見知らぬ医者だった。
僕が大学生の頃から、ずっと僕の中に渦巻く悲劇の傍らに寄り添い、
僕の愚痴を聞き、悩みを受け止め、時には涙を拭いてくれた教授。
いつも優しく穏やかに接し、時には力強い理をもって
常に僕を前に向かせようとしていた彼は、僕にとって真の心のよりどころだった。
毎冬学生と共に市民雪像作りに参加したり、なんと札幌から余市の診療所まで
走って移動してしまった凄まじいバイタリティの持ち主でもある。
思えば自分は彼に何一つお礼もしていない。。。
これから僕が力強く前向きに生き続けていくことが、
せめてもの恩返しか。。。
時は確実に移ろいでいる。。。
2007/10/14 予定通り、34歳になってしまいますた。。
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■ ある夕刻の恵庭。
2007/10/20 巨人 セ・CS2nd ステージ、三連敗で敗退。
月並みだが 来年こそ、来年こそ日本一だ!
2007/10/23 午前2:00 南東の空に オリオン。
もたもたしていたら 時間に追い越される。。
2007/11/17 政治家が「国のため」と言う度に、その”国”とは
いったい何を指しているんだろう? と、いつも思う。
政策を見るに、少なくとも「あまねく国民の生活のために」
ではないことは確かだ。 先日 ナベツネ氏が、
「お国のために」と言う言葉を吐いたらしいが、
あの人の言う”国”とは、おそらく僕が住んでいる国とは
まったく別な”国”なのだろう。。
弱者は社会に対する影響力が乏しく、従って蚊帳の外か?
けったいなことだな。
2008/01/03 昨夜、高校時代の仲間と同窓&新年会があった。
もともと彼らとは卒業してから交流が少なかったため、
十数年ぶりに会う人も少なくなかった。
メンバーの中核は、高校時代、放送局で共に青春を過ごした懐かしい仲間。
ある子の口から出た言葉に仰天。高一の頃からの数少ない親友が不倫中だと。
酔いに任せていたのは確かだ。言いたいこと遠慮なく言ったと思う。
「その行いをお前はどう考えているのか」
「奥さんに対してどう思っているのか」「その相手に将来責任をとれんのか」
「いい気なもんだな 俺はそういうことが大嫌いだ。」
周りは引いていたかもしれんが、そんなことはどうでもいい。
「今日でお前に対する評価が3段下がった。」 と確か言ったはず。
つーかまずあいつ、不倫してんの若干言いたそうだったのが、超ダサい。。
いや、要はこういうことだ。
俺は別にお前が不倫してるから軽蔑してるとか、言ってるわけじゃないんだよ。
俺が酔いに任せ、がなってる所詮上っ面の倫理や正義感を
お前のお得意の論理で、一蹴して欲しかったんだ。
お前が学生の頃から愛してやまない合理主義によって、
俺を黙らせて欲しかったんだよ。
「そんなぐだぐだしたことどうだっていい。俺はこうこうこういう
意志を持って現状にあるんだから、何が悪い!」と、何故言ってくれない?
彼は俺の言葉の前に、終始無言だった。
その静かな笑みはなにか、大人ぶっているつもりか?
残念だ。 だって尊敬する親友だからな。。 (ダサい。)
2008/02/12 自分はどうしょうもないへなちょこなのか?
いや、そんなはずはない。今はいたらずとも、かっこ悪くとも、
視野前方の彼方には必ず愛すべき自分がいるはず。
そう信じて上を目指してきたし、その更に上があると信じて生きてきたのだ。
不完全な己のサンプルをピックアップしては眼前に並べ立て、それを眺めては
心を腐らすというようなことは、もういい加減程々にしなくてはならない。
愛すべきレベルに達しないが故に己に負荷をかけ
いたずらに心を荒ませるのではなく、まず、今の自分を愛することだ。
あらゆることにいたらずとも、どうしようもなくかっこ悪くとも、
まずはこの世界で唯一の存在であるかけがえのない自我を愛せ。
なんだか、そこからのような気がするのだ。。
2008/07/17 自分は以前、暴走族の類を激しく嫌悪していた。
あの爆音を間近で聞かされるたび、もの凄いいらだちを覚えたものだ。
先日、とあるスーパーの駐車場で、暴走族の連中がたむろしていて、
その中の一人が、一台の自転車にもたれかかっていた。するとそこへ
「ごめんなさいねぇ」と一人のオバサンが、買い物袋を両手いっぱいに下げ
近寄ってきた。その自転車の持ち主だ。
途端、その自転車にもたれかかっていた若者は、即座に「あ、スミマセン!」
といったかと思うと、身を引き、そのオバサンの荷物を持ってあげているのだ。
そして、その女性が自転車の荷台に荷物を積むのを最後まで手伝っていた。
女性は買い物袋から一本の缶ジュースを取り出し「これ、お礼」と言って
その男に渡す。若者は「あ、有り難う御座います!」と嬉しそうに受け取る。
やがて、暴走族の集団は、次々と爆音を立て、その場から発進してゆき、
その様子をオバサンは笑顔で見送るのだった。。。
性根は決して悪くないのだと思う。世の中から認められなかったり、
枠組みに入れなかった若者達が、自分たちの存在を、暴走行為で主張しているのかも。
この社会の組織にあって、ある程度の地位を持ち、大方人生を保証されている
人間達の中で、罪の意識も半ば麻痺し、己の私利私欲のために、人に隠れて
見えないところで、平然と悪事を働く「クズ共」がいる。 これは事実だ。
そんな吐き気がするような「クズ共」の行いから比べると、大衆に対し直接爆音を
響かせていきがる若者達の姿勢の方がよっぽど清々しくはないか。
決して肯定されるべき行いではないにせよ、根性は、前述の「クズ共」の方が
よっぽど腐っているとは言えないか。そんな「クズ共」が今、いっぱしの社会人であり、
暴走族のような社会からドロップアウトした若者達を見下したような視線で
いるとするならば、そいつらは、とんでもなく傲慢な野郎共だ。 「クズ共」に告ぐ。
お前らのような「クズ共」の、いったいどこが彼らより偉いというのだ? 勘違いするな。
そして今日も夜の街を爆音を立てて暴走する若者達の目には、
そんな腐った「クズ共」の姿がしっかりと映っているに違いないのだ。
あの若者の気持ちよさが、印象的だった。。
あの時、なんだか自分も彼にお礼が言いたくなった。
2008/08/22 最近ずっとパッとしない日々が続いているが、
今日ほど嫌な思いをしたのは、久々だ。 一日イライラ。
いやぁ、世の中にはねぇ、相手のために一生懸命やってるつもりでもまったく報われず、
逆に、その相手から嫌な思いをさせられる事って、本当にあるのですよ。
ほんと 一度や二度じゃないからね。まったく いい大人のすることとは、とても思えないな。
これが、形ばかりとはいえ、組織の長ときたもんだから、残念至極。
そしてそんな今日は、何をしても良くない結果となり、更にイライラ。
しっかし今回のオリンピック 野球は、ストレスばかりが溜まったなぁ。。
もの凄い期待していただけに、大きく裏切られた気分だ。
ふさいでてもしょうがないから、さっさと今日という日には、おさらばしてもらおう。
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■ 今日もまた夜更けて。
2008/09/05 今年のセ・リーグは ここから一波乱ありそうだ。
今一度、夢をのせて。
たばこを完全に断って一ヶ月以上経過。
いまだ欲する感覚は、ゼロではない。
やはり永年の癖を、短期間で綺麗にぬぐい去るのは、容易ではないのか。
でも、ここまで来れば、もう大丈夫。
2008/09/23 10年来使用してきたPCがHDDクラッシュにより大往生。
なんとセレロン333Mhzという遺物(!)中身がすべてとんだ。。。
地元の通販で中古PC購入→セレロンD2.33Ghz HDD40G メモリ1.2G OS付き
DVD読み書きできるドライヴ積んでも2万5千円。よい時代になったものだ。
この動作のサクサク感は、おなじPCと名の付くものとは思えませんな。。。
それからずっとセットアップに、可能な限りの現状復旧作業。
やっと一段落着いたところでふと自分を振り返って見えたものは、
そもそもが人間の生活を便利且文化的にするためであるはずのPCに
振り回され続ける己の姿だった。。。
巨人19年振り11連勝。
2008/10/10 外へ出ると、たくさんの雪虫。 今年初の出会いにまた、時の流れを感ずる。
それにしても彼らは一年間、どこでどうやって過ごしているのだろう。。
そして祝・巨人リーグ優勝! 今回はメーク・レジェンドですか。
今年の優勝は去年以上に、感慨深い。 選手・監督・スタッフの皆様
並びに全国の巨人ファンの皆様、本当におめでとう御座います!!
2008/10/14 今年も無事、誕生日を迎えることができますた。。。
35歳ですって、おほ。
2008/10/25 巨人日本シリーズ進出! よくやってくれた!!
2008/11/03 面倒なことあまり考えずに、前向きに色々と頑張っていこう。
2008/11/09 西武優勝、この悔しさを忘れないでおこう。
しかし、非常に熱い日本シリーズだった。
2008/12/03 今年も残りわずかとなってまいりました。
いつもいつも、何かを残したいとか、何か変えていかなければとか、
ずるずると精神論・抽象論の類をぬかす傾向にある我が駄目思考回路だが、
これから徐々に、具体的なビジョンをもって具体的に行動に移していこうと、考える。
夢を見るのは、いつだって楽しいものだ。しかし、それに向かう具体的努力が、
そもそもが足りない訳で、かと言って己に過度の負担をかけないと言うのも、
もう一つの大事なテーマである。このバランスが自分にとって重要だ。
自分は、自分の為に生きている。そこからもう一度色々考え直してみよう。
そんな年末。。
2008/12/15 なんだかここしばらく、やけに寂しく、常に心にぽっかり
穴が開いてしまっているような感じだ。この精神状態が、季節によるものなら
自分の人生において、まったく初の体験である。よく話には聞いていたが、
こういうものなのだな。。しかしまったくもって負の要素ばかりでもなく、
不思議と弱気な分、今まで通り過ごしてきた物事の風情がやけに感ぜられたり、
人の心の温かさを感じ、人を大切にする心が湧き出てきたりと、これもまた、
今までにない心理状態の体験をしている。ここから改めて自分の中に養うべき
大切なものがあるような気がして、これもまた有意義と考えるべきだ。
■ 2009年の出来事 ■
2009/03/24 WBC日本2連覇!! 素晴らしかった! 本当に素晴らしかった。。
延長10回表のイチロー2点タイムリーの映像は、何度見ても興奮するものだ。
ありがとう! 侍JAPAN!!
2009/04/12 何かと思いにくれる昨今、考えてしまうのは、どうも自分は、同じ失敗を繰り返し過ぎるな、ということ。
反省はその都度するのだろうが、その一つ一つをもっと生かしていかないといけない。
自分は有機的存在であり機械ではない故、効率的人生など追求するつもりはないが、
天寿を全うする上で、常に上を目指す姿勢は崩してはならないと思う。
そして、至らぬ自己を責め続けるのではなく、何か少しでも達成できたことを素直に評価して、
前進していく為のモチベーションを維持できたらよい。 あくまで理想だが。
それが義務とか負担とかそういうことではなくて、そううまく回っていけば何より、
自分自身が生きていて楽しくはないだろうか。良くできるのも自分だし、台無しにするのも自分だろう。
言葉面(づら)じゃなくて、本当に実感として得てみたい確信。。 なによりまず、自分のために。
2009/09/24 祝!巨人、リーグV3!! 誠にめでたい。 個人的には、現行の制度(CS)になってから、
リーグ優勝にこそ価値があると思っているので、これから先、日本一までの道のりは、
あくまでおまけだ。 この連続Vをどこまで伸ばしてくれるか、非常に楽しみで、わくわくする。
2009/10/10 今年の初雪虫は本日なり。 周りではもう見たと聞いていたが、
僕の前に現れたのは今日、出勤前だった。 ここから北の大地は、足早に冬へ。。
どんな冬が待っているのかな。 こころ あったかくしていたいな。
2009/10/11 米オバマ大統領のノーベル平和賞受賞が決定した。
まったく深い意味はないが、
ふと何故か思い出した、「核は必要悪」ってセリフの "必要悪" って、
すんごく便利でめちゃ卑怯に聞こえる言葉だなと、おもい、
なんだか色々言うけど、別になんにもしない人たちのツラと重なったりする。
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■ 永年愛用のオーディオと、楽器。
2009/10/14 36になった訳で。。 ほんと色々あり、まぁ まさかこんな状態で、
こんな気持ちで今年の誕生日を迎えることになろうとは、夢にも思わなかったが、
色んなことを考える良い機会にはなりまして。 いや、全然これからですぜ。
2009/10/16 あなたが誕生日にくれたメッセージは 本当に最高でした。
恥ずかしながら 人間不信にもなり、自信喪失し、見失いかけていた、本来持っているはずの
自分の”軸”に、今一度立ち戻れるような気がしています。
何よりのプレゼントとして、心の中にずっとしまっておきます。。
2009/10/27 恵庭で仕事が終わり、日が変わって深夜、車で送ってもらう帰り道。
職場の方から非常に多くの貴重な言葉を頂いた。
大方、戒めであり、今までの自分の行い・考え方の甘さ、未熟さを痛感することしきり、
厳しくも温かいその言葉の中には、経験者故の重みとリアルな感覚、そして
”相手の立場に立って考える”ことの大切さを伝えようとする気持ちがぎっしり詰まっていた。
何より、それを貫き実践している彼という人間そのものが、大変力強く、美しかった。
僕は気づいたら涙していた。 それは、自己に対する深い反省と、彼の語る言葉への
感動の気持ちと、そして彼との出会いへの感謝の気持ちの表れであったと思う。
この夜のこの感覚を忘れてはなるまい。明日からまた、何かしら違った自分が
歩を進めているに違いない。 そう、人は進化(深化)する生き物であるはずだから。。
2009/10/30 やってしまった。 風邪で発熱。。 ダウンして仕事を休んでしまった。。
定かな記憶ではないが、風邪をひいたのは、4,5年振りか。
いかんな。 周囲には”体調管理は大切”などと言っておきながら、
自分がこうではしょうもないな。。。 しみじみ健康が一番だ。 油断大敵。
2009/11/09 祝! 巨人日本一!! 選手・コーチ・監督・スタッフの皆様、お疲れ様でした!
個人的な欲を言えば、第7戦まで見たかったな。。
2009/11/14 自分は今、”生きる”と言うことの素晴らしさを実感している。
自分は哲学者ではない。 だから、”生きる”ことの概念を体系化したり、
理論を駆使して説明したりすることはできないかもしれない。
自分は心理カウンセラーでもセラピストでもない。 だから、悲しみにうちひしがれる人に
正面から向き合い 力強く支え あるいは救ってあげることもできないかもしれない。
でも 今 自分には”生きる”と言うことの素晴らしさと、それを感じる心がある。
数多の夢と希望がそれを支えている。 やりたいこともたくさんある。
生きる意義に満ちている。 生ける者として生き、それ以上 何が必要だ?
あまりにも安易にすべてを投げ出そうとしたあの頃の自分と比べれば、
今 とても大きな財産を心に持っていられるような気がする。。
いや、ここらでそろそろ確信とすべきだ。
ずっとずっと怖じ気づいてきた自分とは もういい加減、おさらばしないか?
ずっと言い続けてきた。 この世に生きたという証を、如何に色濃く残せるかと。
だからこそ 更なる高みへ。 せっかくこうして生きて来たんだから。
そして僕はここで今一度、生まれてきたことに 感謝します。。 そう、ここからまた何かが始まるはず。。
2009/11/25 マイPCの中を色々と整理していたら、
こんな文字列が発掘されたので、ここにひっそりと掲載。。
如何にして、現在の自分に至ったか−−−−−。
それを分析し、考察していた時期がある。
己の過去に遡り、その時その時に経験した
挫折、幸福、驚嘆、それによる喜びや悲しみや感動、
根付いたトラウマなどを一つ一つ洗い出す。
それは、過去の経験のすべてが現在の自分にフィードバックし、
その一部を形作っている、という理屈にすべて基づいている。
決して間違ってはいないと思う。だがその作業には限界がある。
いつしかその考察を続けることをやめ、
そんなことをするよりも、未来を向いて歩いていくべきと結論した。
が、先ほど、何気なく、非常にシンプルな事実に
思い当たり、心の中に怒濤の雪崩が起きた。
これは非常に単純で、かつ明快である。
思えば確実に自覚していたこと。
幼少の頃から(生まれ持って)非常に強い感受性を持ち、
驚くべきことに、あと数日で33になろうという現在においても、
その鋭敏性は、全く失われていない。
その強い感受性は、非常に大きな振幅を持った感情の移ろいを、
己にもたらす。
まさにもろばの剣。 ある時は自分を天にまで舞い上がらせ、
ある時は容赦なく自分を奈落へと突き落とす。
心の負担が大きくなり限度を超えたとき、
感情がマイナスに振り切れ、鬱状態となり、すべてに絶望し
生産的な感覚が最高潮に達すれば、
本来持つ能力を遙かに上回る造物を生みだし自らを驚かせ、
悲しみや深い優しさを感じたとき、
急激に涙腺がゆるみ、涙があふれ出して止まらなく、
気に障る感情が極限に達すると、
怒りが猛爆し、自制が利かなくなる。
楽しければ、大声で笑い、
感傷に浸れば、延々と陶酔しきり、幻想すら見、
人を想えば、
心まるごとが、相手にそっくり奪われ
とたんにあらゆることがままならなくなる。
誰にでもある程度あることだろうが、
一つ一つの振幅が、あまりに大きい。
もって生まれた感受性の強さに、
良くも悪くも我が人生は翻弄され続ける。
おそらく、これからも。。。
学生の頃、マイナスに振り切れた感情が、
心の底に、鬱という名の闇を生み、
それがいつしか、医学的に常駐するに至った。
普段、なりを潜めるその病魔が
のしかかる辛い事象を引き金として、表舞台に現れ、
当たり前のように主役となり、己を激しくむしばむ。
それはすべての思考回路をマイナスに方向付け、
時にその思考は己の生命の価値さえも軽んじる。
虚構も現実となり、視野が著しく狭まる、
それはもはや己にあらず。
そうならぬよう自己を制御していくことこそが、
我が人生における要と思う。
共存する宿命にあるこの感受性は、
時としてこのような文字の羅列も生み出す。
2006/10/05 AM 6:00
いや、なにもこの”強き感受性”というある種化け物は、
己にとって、決して負の財産ではないだろう。
振り返れば、自分の心は傷だらけであり、36となった今日でさえ、
あたかも思春期のガキであるかのように些細なことで傷つき、思い悩むなどというのは、
もはやこれ、職人芸か。。(自虐だな。)とも思うが、
これも一つのかけがえのない”命の姿”だと思える今の自分は、少なくとも灰色だった
青春時代の自分に比べれば、遙かに大きく進化しているだろうと思えるから。。。
なにより、今、生きるのが大好きだから。。。
だから今、自分は、”全部持ってる”と思う。。
その自分の行く道を、より色濃くしてゆければ、使命全うだ。
それがなされたかどうかの判断の基準を決めるのも、すべて自分。
素晴らしく脳天気。 そして、素晴らしく合理的。 過去の自分では、とうてい考えもつかない、
愛すべき屁理屈。。。!!
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■ 出勤時、すれ違うのは家路につく人々。
2009/12/10 今日、仕事でテンション下がる出来事4連発。
いやしっかしこういう日って、ほんと、あるよな。 他の人間の仕業が引き金となり、
しなくていい嫌な思いもして、多々残念だったり、 多々自分にも残念だったり。。
もういい加減 十分がっくしきたから、あとは5分反省して、これからのこと、かんがえよ。。
2009/12/31 今年はまあ、色んなことを学ばさせて頂きました。 ほんと、ご馳走様です。
この、今年食らったあらゆるタイプの、怒り・悲しみ・空しさ・切なさを、
来年はすべてワクワクに変えてゆければ、これはもう最高だな。 僕はまさにその変換器になろう。
それが来る2010年に向けての抱負かな。 いやほんと、楽しみだね。
2009年、さようなら。
2010/01/03 年が明けてから気づいたが、去年の10月で、ここのHP開設して10年になるのな。。
この間 本当に色々あったな。。 内容の善し悪しはさておき笑、ここのHPの変化は遅々としているが、
(いや、ここんとこ何かと細かい所いじってんだけど。。) ここの主である自分の
”10年前”と”今”を比べると、これはもう全然違うんでしょう。。 (つーか、そうでないと困るわな。)
更に10年後、どんな自分が待っているのかしら。 もしそれまで健やかに生存していられたとしたら、
その自分に是非 聞いてみたい。 「いま、自分、何やっとけばいいですか〜?」 いや、
ちゃんと”今”の自分で考えます。。 ごめんなさい。
2010/01/04 早朝、ばあちゃんが亡くなった。 ここ十数年、帯広に住んでいて、
ほとんど顔も合わせていない。 幼い頃の数多くの記憶が 頭を巡る。
これからもばあちゃんは 僕の心の中に 生きる。 僕を形づくる一部として 生きる。
そうやってきっと人の歴史というのは 繰り返されてきたのだろう。
そして僕はこれからも 色んな人との出会いや共存、また別れの記憶に形づくられながら 生きていく。。
合掌。
2010/01/29 真夜中に突然の腹の激痛。 それはもう、到底耐えられるような痛みではないのだ。
床を転げ回り やっとの思いで電話をかけ、救急車で運ばれる。。
そんなことをもう、かれこれ3年以上前から繰り返してきた。
また今夜も救急車で病院へ。
そして今回ようやく、その激痛の震源が、胆嚢結石であると判明する。
まさにこの結石の一つ一つは、若き日の 灰色の精神状態に深く寄り添った
沈滞した、且つ怠惰な生活習慣と、今では到底考えられない、
欲するに任せた奔放な食生活の 忌々しい遺産である。
まさしくこれが 自分がいつも言うところの、”過去の、現在へのフィードバック”だ。。
胆嚢除去手術のため、入院することが決定。
2010/02/03 連日の検査は、非常に苦痛を伴うものばかり。 なおかつその検査で、
僕の胆嚢管は普通の人と違うポジションにあることが判明。
手術時に、他の重要な管を切断してはマズいので、手術前日に目印のために
胆嚢から鼻へ、管を通す処置をするという。 それを聞いてもう、気が重すぎ。。
聞くに、そういった人はごく稀なのだという。
まったく俺という人間は なにもこんなところで個性を発揮する必要ないのに。。(苦笑)
2010/02/08 先述した処置(これも苦痛の極み)を完了して病室に戻り、眠りから覚めると、胆嚢あたりの激痛。
痛み止めの筋肉注射(これもめちゃ痛い)の直後、激しい吐き気。
ナースコールで「吐きたいんですが」と言い、看護師の返事を聞くか聞かないかの内に
足下のくずかごに激しくおう吐。 するとなんと、口から、先程入れたばかりの管が出てきてしまった。。
外科医が来て、「あ〜、これはだめだ」と言って「管抜きますよ、ちょっと痛いですよ〜」と
一気に抜かれ、これがまた激痛。 しばらく腹を抱えて動けなかった。。
結局、管挿入はそれっきりでなしになり、僕は危険度が高い状態で手術を受けることに。。
今日の苦しみは、一体何だったのだろう。。
2010/02/09 手術当日。。。
緊張の極みの中 手術台に上った僕の背後から、突如聞こえてきた台詞。。。
「こいつ、痛くしてやっていいよ〜!」
意表を突く余りにもあり得ない(笑)言葉に、 なぬ!? 誰なんだ?? と見ると、
何と中高時代の同級生。 そこの病院で彼は麻酔科の医者をしていた。
彼は僕の担当ではなかったが、手術直前の僕の心を和ませるため、
わざわざ手術室まで来てくれたのだった。 手術直前の状況としては半ばあり得ない、
減らず口満載の会話をした後(笑)、僕の意識は、全身麻酔により消えていった。。
そして連日病棟ではすべての看護師さんが、まさに常時フル回転状態。 本当に あの人達は、すごい。。
2010/02/11 術後、様々な要因による様々な痛みがあったけれども、そんなことよりも今回、
僕は、健康のありがたさを実感しただけでなく、
本当に色々な人達に支えられて生きてきた”僕という命の軌跡”を再発見したような気がする。
色々なことに感謝し、与え、与え返されながら生きていく。
そのために僕は、もっと色々なことに”気づいて”いかなければならない。
そうも思った。 もう少しで仕事にも復帰していくわけだが、
あまり無理しないように、また自分なりに一つ一つ積み上げていこうと思っている。
Days passed . . .
■ 緑の公園をゆくと、やがて幼少の頃から大好きだった神宮へ。
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少々ゆってみる久々だし。(2010/08/23)
やはり自分は、"人間というもの"の生来持つ矛盾や不条理や欠陥に触れることに大いに恐怖を抱きながらも
その傍らでやはり"人間というもの"そのものに触れていなければ 生きていけないことに、
あらためていちいち気付いて心ぬくんではまた、激しく憎み、 かと思えば強く恋いこがれ、 あるいはひどく失望し、
やがてたいそう尊敬して、 さらに嫌悪がじわじわと湧き出たかと思ったら これまたどうしようもなくいとおしく、、、
...あまりに有機的すぎてこれが...
やぁ なんもずっとやってりゃいいしょ! 疲れるわーって、 だってそれとったら もう なんもなくなるんでしょ。
つーか、処理しきれん時は しなきゃいんだわ別に!
勝手にいろんな義務負ってるって、思いこみすぎなんだわ。
ありえんから。 そんなん、いちいち給料出てるわけでもないのに。。
あほか。
また来る______ 。でも切なさばっかりじゃないんだよ。(2010/09/06)
絶大なる生命力がうずまく季節だからなのか、
或いはその生命群の最高峰に位置する者共が重ねた偉業?への解答が、 ”母の側”から示された結果なのか..
今夏は全力だった。。
9月初旬の今日、多少暑さは緩んだ感じだろうか、
ここからまたぐぅい〜んと熱波再開、、とか言ってきたら、
さすがにたいりょく&セイシンリョクもたぬかもな。。。
いやもしや、自分が最も愛する "秋" が、
これからわさわさと此の心を揺り動かしてくるのだろうか。
愛するものに心をゆだねて 大いに翻弄されるのも良いが、
”やられ過ぎ”は勘弁。。
しかしほんと、"秋" が終焉を迎えたその時から
次の "秋" を待っているような阿呆であり、
そんな種の心をもつ者にとって、 "秋" は余りにも短いんだって!
ここのところ 対流圏で起こる営みもなかなか予測しづらくあるようで、、
今年の、"これから"は、どんなだろう。。
でもきっとまた幾日もすると、 自分の内側が やけに”カラフル”になっていく時期に
自然に入ってゆくんだろうな。。
それに何の意味があるかと言えば、
それは己がここに”色濃く”在るという事実そのもので、、
逆に言えば、それでしかないんだが、
何もわるいこっちゃないし、 何も間違っちゃいない。
その一つ一つに、 あらためて”イエス”と言ってみる。
それだって決して無駄なことではないのではないですか。
区切り。(2010/09/29)
本日診察終了時に、処方箋はなかった。次回の予約もなし。
数えてみればなんとまぁ初診から19年目だ。
絶望の底に突き落とされスタートした灰色の学生時代の後半から今日まで、
思い返しなぞしてみたが、そんなもの、到底筆舌に尽くせるものであるはずもなく、
今日のこの自分の思いは、誰が何と言おうと己にしか分からぬものであり、
だからこそ、この自分にとってなんとも大きな日を、近しい人間に特に強調するでもなく、
ただ、長年通い詰めた敷地をゆっくり眺め、写真を撮り、近所の店などをめぐり、
それらを後にした。
この日の事を、後日ここに記そうと思ってはいたが、実際に書いているのがもう10月であって、
自分にとって余りに色んな思いが流れていたから、言葉を整理してからまとめようと思って
気付けば一週間が過ぎている。
要はこうだ。
簡単に言葉になんかできるか!! そんなん まとまるわけねぇだろ、19年だぞ!!
そんな意味のないことさっさとやめて、
誰にもわかり得ない、どうしようもなくぼろぼろな財産を持って、これからどう進んでいくか、
わくわくしながら考えて生きていけばいい。 いや まったくその通りだ。
月並みではあるけど 「お世話になりました。 そして、できればもうお世話になりませんように。。」
■ 2010/09/29 (wed) PM1:00 あまりにも快晴の札医大。
迎え そしてまた流れてゆく10月.. (2010/10/29)
14日で予定通り..37になった己にとっての今年の初雪虫は20日で、
26日..とうとうこの身雪に濡れて、はぁ..いよいよかと。
そして過ぎゆく秋を想ったんです。
あらためて "無常こそ常" と思い知り、これがまた深く沁みる..
そう..毎回毎回ね。
おそらくこの強烈な切なさは
もはや己を形作る有機的な主成分として体内に有り、
これからふらふらとたどって行くはずの我が命の筋のその至る所に はらはらと零れ撒かれていくのだろう.. そしてそのイメージが
更に切なさの連鎖を生む。 けっして嫌じゃなく、
それはある種、麻薬に近く..
そして得たものは... (2010/12/06) 今年はとにかくやりたいことを色々やってみる年、作りたいものを作りまくる年、 将来の自分に対してある意味"蓄え"を作る年などと位置づけて とにかく次々とイメージを描いては形にしていこうとしたわけだ。 そして日々の仕事に加え連日あらゆる作業をひたすら継続するも、 やらねばならぬこと、やりたいことが列挙されたメモ紙からその箇条書きされた項目は減ることがなく、
むしろその数は増え続け、睡眠時間も激減 無意識のうちに溜まっていた疲労は時々ふらつきを生み、物忘れもすっかり増えたようで。。 何より久々にあった知人にやつれた外見を指摘されて逆に自分が驚く。 確かに色々やったし、それにより喜びや充実感、或いは経験の蓄積もあったろう。
でも何より得たものは、自分一人に与えられた能力と時間で出来ることは限られていると言うこと。 色々と片づかないことに焦り、疲労で体調を崩せば、その後確実に大きなロスが待っている。 まったくもって、"頑張っている"のか、ただの"欲張り"なのか、ちょっと立ち止まって考えてみろと。 「お前は何を生き急いでいるのか、、、」
今年は間違いなく今までの人生の中で最も睡眠時間が少ない年になることは、ほぼ確実...。
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