おそらく"積み上り"を感じれば
きっと楽しくもなるだろし
やる気もでるだろし、
屁理屈でも、一つ一つ、いちいち意味のあるものに思えては
充実したつもりにもなる。
"積み上がり"を感じよ
感じるのに足るうごきをせよ
そして願わくば
その目に映る限りの親愛なるものに
それを感じさせる配慮をせよ
できなくても
してみようと思うことが
おそらく"糧"になり
「及ぼし合う」ことが生きることの常なら、
その流れの中で結局きっと、なにか、
"積み上がる"。
おそらくは、それでいいのだと。
そしてまた、此の胸の中にもどかしくもいとおしい輪廻が
続いていくんだ。
何に向かうか どう辿るかなど
今、敢えてこの見通しの悪さに
そして結局は拭えない深い霧を
敢えてまきはべらせて、
敢えて寄り掛かって、 なごむ。
■ (2012/05) 日頃のルーチンを停止、それに寄せる考慮も凍結.. 圧倒的な"広大"と"開放"そして飽くことない非日常の連続が、
それらをまったく難儀にしなかった...!
最北の離島に悠然とそびえる富士。 その圧倒的"観"とあまりに必然な"歴史"の存在。
得てして内に棲む"北の者だったはずの意識"が揺らぐ_______。
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■ (2012/07) 強烈な"命の時節"にまた、飽くことなく揺さぶられ 背押され
削られ 膨らみかけて 潰れ...。
濃くあっても本意などでなく、とみに酷であっても...
そう こいつを通過しなけれりゃ、"大いなる次"は絶対やってこない
それこそ「連続」の必然、して刻が経てば必ず過ぎ去るのもまた、
「連続」が併せ持つ厳然たるもう一端の性格。
通勤路〜南郷通と並走するサイクリング・ロード、昼夜大きく趣を異にするその姿__
勤めに赴くものと終え帰するものの心の差異、高低..? 表裏?
そう、日周運動に完全にシンクロするこのルーチンの「連続」の向こうに
そりゃ必ず有る"大いなる次"。 そうでなきゃ歩を進められない。
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■ (2012/08) それはそれは広大な北の大地の中央部、
この島の至るところで繰り返される数多営みの位置的中央で、
この”広大なるもの”の美しさ、厳しさ、奥ゆかしさ、力強さの真髄を、
いやおそらくその”ほんの片鱗” を魅せられることの、 その連続を浴びて...
己の内に「大切な何かを取り戻す」というより、
おそらく「そもそも持ち合わせてすらいなかったもの」が入り込んで来る_____。
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■ 十勝岳連峰麓の幻想 〜全身に、余りに強烈に、鬱蒼とした”重たい夏”がのしかかる。
毎季、己を押しつぶしてきたこの”圧倒的重量感の本体”に、
とうとう踏み込んで来てしまったのか...。
もう、 ほんとに 打尽にされてしまいそうで...
そしてその後もこの”絶対力”は頭上に有って
この身にしばしのっかり続けんだ_____。
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■ (2012/09) ニセコ町日の出大橋からの眺望と共和町神仙沼付近の湿地帯。
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■ (2012/09) 霧雨の羊蹄山麓半月湖と日差しが戻る瞬間の共和町長沼。
and downstairs again.....
2012/09/25
やがて今年も切なく、たかくたかく舞い上がってくだろう空に
決して手が届くことなんてない、そんな幻想に
極めて普通に、自然に、予定通りに流れるように、
のまれる...。
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■ (2012/10) 秋の支笏湖岸と雲間から鮮やかに覗く日差しとの共演。
2012/10
当然のものとして確実に訪れ
しかしあまりに遅くやってきた幻想は
あまりにも瞬く間に過ぎて
身を投じ振り回される猶予も あるいはその余韻も...
2012/11
気づけば舞う初雪の虚無とクロスして
とうに本格的である寒風は
あらためて己にその移ろいゆく現実を
頼まずとも訓(おし)えてくれている__。
2012/12
■ (2012/12/31) 大晦日、閑散とした円山方面。
余りにも「至っていつもの一日」として過ぎようとしている寒極まる夜。
あと数時間も経てば怒涛の初詣客が訪れるであろうこの地の、束の間の静寂に浸る。
この一年全体をざっと振り返るにあたり、
この先随所で顔を出すであろう、正にも負にも振れるこの数多の蓄積...
今はちょっと疲れるんで、片隅に置いておくように、
して間もなく確実に溢れかえる人ごみ、その片鱗さえも目に入らぬうちに、
そそくさと帰路につこう__。
望むと望まざるとに関わらずこれから何度となくこの心に現れ、
自分をまた一つ形造るに余りある一際怒涛だった2012年...
まずは一端、さようなら!
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