めずらしい商売
鳥逃がし屋

世の中には色々な商売がある。
何かを貨幣と引き換えにする。
それは物であったり。
娯楽であったり。

自分の仕事すら分らないのに、他人の仕事が何なのか、分かりはしない。
苛酷な仕事。
楽な仕事。

労働のために生きるのか、
生きるために労働するのか。
 
 
 
 

それは不思議な商売。
客は鳥を捕まえている人間にいくばくかの金をはらって、捕まっている鳥を逃がす。
篭の鳥を逃がすことは善行だという。

捕まるのも、運。
逃がされるのも、運。

寺院の回廊。ゆるやかな風が吹く空間に鳥と、鳥逃がし屋は座っている。
寝そべっている鳥逃がし屋もいる。
人が通るとゆっくりと身をおこし、通りすぎるとまたゆっくりと横になる。
運よく逃がされた鳥は空を舞い、やがて視界から消えていく。
 

自由と束縛と解放。
人が鳥に施すのはやさしさなのか。
救いなのか。
許しなのか。
 

答えはない。
鳥は答えない。
人は答えから目をそらす。
 

彼方に飛びたいのは誰?
自分なのか、他人なのか。
人が人であるための、祈り。
 

自分は篭の鳥なのか。
それとも逃がされた鳥なのか。
捕まることのない鳥なのか。
 

人は自分をふり返る。
過去のためではなく、現在のためでもなく、未来のために。
 

目に見えるお布施。
不思議な商売。
祈りの国。
祈りの人。
 

ミャンマーに鳥として生まれるのも悪くない。
 
 
 
 



本当はこの商売にはもっと宗教的な名前がついているだろう。
しかし、消費大国日本の田舎者の私にはこの名しか思い浮かばなかった。
「なんな、これ? 鳥逃がして金とるんか!!!」
ミミズクは高かったので見るだけ。普通の茶色い鳥も見るだけ。別の寺院で金箔は貼ったのだが・・・
金箔は好きらしい。金の亡者予備軍としては、お高そうなものに手が出やすい。
地元の団体さんが鳥を逃がしている所を目撃。あのなだらかな空間というのはちょっと忘れられない。
金箔を仏像に貼るよりずっと精神の贅沢という気がする。今頃遅いが。次は間違えない感性が欲しい。