世の中には色々な商売がある。
何かを貨幣と引き換えにする。
それは物であったり。
娯楽であったり。
自分の仕事すら分らないのに、他人の仕事が何なのか、分かりはしない。
苛酷な仕事。
楽な仕事。
労働のために生きるのか、
生きるために労働するのか。
それは不思議な商売。
客は鳥を捕まえている人間にいくばくかの金をはらって、捕まっている鳥を逃がす。
篭の鳥を逃がすことは善行だという。
捕まるのも、運。
逃がされるのも、運。
寺院の回廊。ゆるやかな風が吹く空間に鳥と、鳥逃がし屋は座っている。
寝そべっている鳥逃がし屋もいる。
人が通るとゆっくりと身をおこし、通りすぎるとまたゆっくりと横になる。
運よく逃がされた鳥は空を舞い、やがて視界から消えていく。
自由と束縛と解放。
人が鳥に施すのはやさしさなのか。
救いなのか。
許しなのか。
答えはない。
鳥は答えない。
人は答えから目をそらす。
彼方に飛びたいのは誰?
自分なのか、他人なのか。
人が人であるための、祈り。
自分は篭の鳥なのか。
それとも逃がされた鳥なのか。
捕まることのない鳥なのか。
人は自分をふり返る。
過去のためではなく、現在のためでもなく、未来のために。
目に見えるお布施。
不思議な商売。
祈りの国。
祈りの人。
ミャンマーに鳥として生まれるのも悪くない。