忘却の空
 
 

温室

ワイパー×サンジ
 
 

5
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ワイパーはいつしかサンジのことしか考えなくなっていた。
それが過ちだと気づくには、
サンジに溺れ過ぎていた。
障害さえ排除すれば、サンジは手に入る。
身も心もオレのものになる。

障害。
それは、偉大なるゼフをこの世から消滅させることだった。

そして、ワイパーはかすかなゼフの隙を見のがさなかった。
組長ゼフ、あんたの弱点がオレは分かる。
同じものを見続けているから。
けれど、それを手に入れるものはひとりだ。
オレ一人でいい。

「で、ワイパー、チビナスの話というのは何だ?」
サンジの事で内密に話があると言えば、
ゼフは簡単にその厳重な警備をとき、
懐にオレを招きいれた。

あんたは偉大な男だ。
オレのあんなにたいする尊敬は嘘じゃねえ。
あんたにたいする服従も嘘じゃねえ。
だが、それらの感情を上回るくらい欲しいものができた。

皮肉なものだ。
信頼があんたを殺す。
愛情があんたの目を曇らせる。
オーナーゼフ、
あんたのチビナスはオレがいただく。

「オレのものだ」
ワイパーは言うと同時に、ゼフに向かい銃を連射した。

ゼフの顔が鬼相に変わったが、
ワイパーの銃弾はゼフの身体中を射ぬいていた。

血の海に倒れるゼフを無表情にながめ、
その死を確認した。

ワイパーは、
ゼフの死体のころがる古い射的場を出た。
それから、その射的場に火を放った。
もう、この場所は必要無い。

紅蓮の炎が天に昇り、
空まで届くようだった。
すべては燃えつくされ、
灰となって生まれ変わる。

ワイパーの世界はそこから始まるはずだった。

突然の火災と、銃を手に様子のおかしいワイパーを見つけた組員たちは、
異変に気づいた。

「組長ゼフはどこだ!!!!!」
「あの炎は一体何なんだ!!!!」
おそろしい騒ぎに、
死んだように眠っていたサンジも目がさめた。

すでに射的場は燃えつき、近くの建物にまで煙が充満していた。

誰かが絶叫していた。
「ゼフが殺された!!!!!!!!」

サンジはそれを聞いて、心臓が止まるかと思った。
うそだ。
うそだ。
クソジジイが殺られるはずがねえ。
身体がしびれて、
空間がねじれてしまったようだった。

ふらふらと歩いていると、
銃を手にしたワイパーが立っていた。

「ワイパー・・・・、
ジジイが・・・殺されたって、うそだよな?」

「オレが殺した」

サンジはその言葉がまるでどこか遠いところから聞こえてきたのかと思った。

え、今、ワイパーはなんて?
ワイパーが、ジジイを・・・。
そんな・・・。
うそだ、信じない。
信じない!!!

「サンジ、これでお前はオレだけのものだ」

うそだ・・・、
ジジイは・・・、
なんで・・・?
オ・・・レ・・・のせい?
ジジイがいなくなったらって・・・、そう、言ってたよな?
だけど、あれは・・・ヤられてる時で・・・。

伸びて来たワイパーの手をふりはらって、
サンジは壁まであとずさった。

「サンジ」
ワイパーが悲しそうに名を呼ぶけれど、
サンジはどうしていいか分からなかった。
 

  

「どこに、行った!!!!!!
組長ゼフの仇!!!
裏切り者ワイパーを殺せ!!!!!」
怒鳴り声が聞こえて来て、
サンジはびくっと身を震わせた。

これは、現実なのか?

ジジイという巨大な影を消してしまいたくてたまらなかった。
目の前に塞がる巨大な壁。
そこから出たくてもがき続けた。
息ができなくて、苦しくて、どこにも居場所がない。

誰かに助けて欲しかった。
誰かに壊して欲しかった。
この世界のすべてを。
この苦悩のすべてを。

ワイパーがオレを解放してくれる。
そう信じていたけれど、
これが結末。

ジジイが死んだだって?
信じられない。
そんなことがあるはずがねえ。
ジジイの命が消えて、オレの目の前からなくなるなんて、そんなことありえねえ。
 
 
 
 

すぐそばまで全てを焼きつくす炎がせまっていた。
部屋にはだんだんと煙が充満し、
赤い炎の影がちらちらと迫りはじめていた。
 
 

「サンジ、オレとともに来い」
 
 
 

サンジはワイパーを見た。

オレはあんたと行けるはずがねえ。
ジジイを殺したあんたと一緒にいられるはずなんかねえ。

とりかえしようもない罪。
これは、罪だ。
 
 
 

サンジは身をひるがえして、
燃えさかる紅蓮の炎のほうに向かって歩きはじめた。
 
 
 

これで、いい。
これで、全てを忘れられる。
燃えつきて、あとかたもなくなってしまったら、罪も消える。

もう何も信じなくてもいい。
誰かに何かを願うこともない。
天に何かを祈ることもない。

全てが終われば、
平安はやってくる。
声が枯れるまで叫ぶこともない。
涙が尽きるまで泣くこともない。

懸命に走り続けてきたけれど、もう疲れた。
 
 
 
 
 
 

「サンジーーー!!!!!!」
誰かがサンジの名を呼んだ。

ふらふらと炎に近づくサンジの身体は強引に引きずられて、
サンジは赤く熱い空間から、
白く醒めた空間に連れていかれた。

魂が抜けたように動かないサンジを、
ゼフの部下たちは痛々しい目で見た。

育ての親のようなゼフがワイパーに殺されたのだ。
無理もない。
何の力もないサンジが衝撃を受けるのはあたり前だ。
そっとしておいてやるのが一番だ。
それより我々にはやるべき事がある。

ゼフの仇を!!!!
命に変えてもゼフの仇をとらねばならない。
憎むべきはワイパー。
あいつを殺せ。
そして復讐するのだ。
ワイパーの屍をゼフの霊前に差し出して、許しを乞おう。
 
 

彼らにとって、サンジは重要な人物ではなかった。
だから、いつの間にかサンジがいなくなっていることに気づいても、
捜すものはいなかった。
 
 
 
 

サンジはふらふらと街を彷徨った。
季節はうつろいでいったが、
サンジにとってはすべてが不透明だった。
雨がふり雪がふり、
時には灼熱の太陽にじりじりと焼かれた。

サンジは家もなく、宿もなく、何ももたなかった。
誰かから何をうばうこともなく、
誰からも何もうばわれずに生きていけたら。

それでも道ばたにころがっているサンジに興味を示す男たちがいた。
サンジは自分の身体に欲望を吐き出す男たちを無感動に見た。
まだ痛みだとか快楽を感じることを不思議に思った。
ぼろぼろになりながらも、
死なずに生きていることを不思議に思った。

人であることを捨ててしまえたら、何も感じなくてすむ。
悲しみも罪の意識も、何も感じなくていい。

すさんだ心にぶつけられるのは、むきだしの欲望と軽蔑。

汚れ切った身体と心は決してきれいになることはない。

ごみごみした路地裏で雨露を防ぎ、
野良猫や野良犬と身体をよせあって眠りに落ちた。

バラティエ組にいたときのことは、
遠い遠い昔のことのように感じた。
 
 
 

サンジは薄汚れた街の路地裏に座り込んで空を見上げた。
空は青く澄み渡っていた。
雲一つない、美しい空。
まぶしくてどこまでも透き通る空。

サンジはまぶしすぎて目を反らした。
道ばたに落ちていたサングラスを拾うと、世界は曇って見えた。

サンジはやっと安堵のため息をもらした。
ほら、世界はこんなにうす汚れている。
こんなになってもオレは生きている。
だったら、まだ生きるしかねえのか。
 

どんなに苦しくても、
この世界からは逃れられない。

オレには翼がない。
みんなが当たり前のように持っている翼がない。
きっと持っているものはそのことに気づかない。
気づくのはいつも持たざる者だ。
 
 
 
 

生きることは戦いだ。
だから、戦うしかないのだ。
 
 

サンジはゆっくり立ち上がった。
日射しはまぶしすぎた。
風はつめたかった。
足元はふらふらした。
 
 
 

けれど、サンジは歩き続けた。
いつかたどりつく「未来」を信じて。
 
 
 
 
 
 

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