大漁丸の悲劇
標的235「修業開始」より





その船は、まぐろ漁船だった。
船の名は大漁丸という。
太平洋でいつも漁をしている。
ある程度魚をとり、そろそろ岐路につこうという時、運悪く嵐がやってきた。

 台風16号が急速に接近しているらしく、
雨は激しくなり、波は荒くなった。
雷鳴がゴロゴロ響き渡り、閃光があたりを明るく照らし出した。

ドオオオン!!
突然ものすごい衝撃がし、
船の横っ腹に何かがぶつかった。

サトルはそれを見て腰を抜かした。
獰猛な鮫が船に乗っていた。

「この船は日本行きだな。乗せてけぇ」
がたがた震えていると、
嵐の中、見事な銀髪の男があらわれた。

「ど・・・どこから・・・?」
船長はあぜんとしてつぶやいた。
ここは、太平洋の真ん中だ。
島など見えない。
もちろん近くに船の気配もない。
何より激しい嵐の中だ。

「山本武、あのガキィ、敗けたとはどおいうことだぁ!!!」
その男は物騒な剣を手にして、
何やら意味の分からないことを叫んでいた。

「ありえんわ。海の精か何かかいな」
船長のすぐ横にいたおやっさんがあぜんとして言った。

サトルはまじまじとその男を見た。
ものすごく怒っていて凶暴そうだ。
その男はずかずか入りこむと、船長の椅子に偉そうに座った。
空では放電が始まり、またどこかでビカッと光った。
波は激しく船に打ちつけ、小さな漁船はぐらぐらと揺れていた。
何が起きているのか理解できなかった。
嵐の魔物がやってきたんだ。
きっとまぼろしを見ているんだ。
そう思った。

嵐がおさまり、海が凪いできても、その銀の男は消えたりしなかった。
でかい鮫も船に乗ったままだった。

「おお、このマグロうまいぜぇ!!」
その男は大声で叫びながら、おやっさんのさばいたマグロをうまそうに食っている。
船に現われた時に手にしていた恐ろしい剣は机の上に無造作に置かれている。

「おれは、マグロが好きなんだぁ」
銀髪の男はうれしそうに言った。
「そうやろ、そうやろ。採れたては活きがちがうんやで」
船長もあいづちをうち、
なぜか和気藹々とした雰囲気を醸し出している。

その男は、サトルが見た事もないくらいきらきらでつやつやの長い髪をしていた。
見た事もないくらいスタイルがよく、きれいな顔をしていた。
世の中にこんなきれいな男がいるとは思えない。
やっぱり海の精霊か魔物ではないのか。
そう思いつつも、見ずにはいられない。

「おれは、剣士だぁ!!   ガキを鍛えに行くところだぁ!!」
「おお、海の男はあんたみたいに声がでかいんがいいんやで」
まったく会話の内容はかみ合ってないのに、
船長は妙に機嫌がいい。

「お兄ちゃん、モデルかなんかかい? その服よう似合うとるよ」
おやっさんも、なぜか機嫌がいい。

「ゔぉおおおい!!   オレがそんなもんなわけがねえだろぉ!! こりゃ、単なる隊服だぁ!!
かっこよく見えるなら、この服に決めたボスのセンスがいいんだぁ!!」
そう言いながらも、銀の男はまんざらでもない感じだ。

サトルは声もなくその男を見ていた。
いや、見とれていると言っていい。
うすい銀に近い青い目が動き、
宝石のような目がサトルをとらえた。

「おい、ベッドはどこだ?」
突然言われ、サトルは動転した。

え?
今、なんと?
な、何がしたいんですか?

サトルは猛烈に感動し、赤面し、天にも昇る気持ちになった。

ぎくしゃくし、手と足を一緒に動かしながら、
銀の男を自分のベッドに案内した。

奇跡がおきたのだ。
生きていてよかった!!
こんなに美しくてエロければ、男でもかまわない!!
オレは海の男になってよかった!!
サトルが猛烈に感動し、やる気まんまんになっていると、
突然容赦なくどつかれた。

「寝る。てめえはあっち行ってろ」
銀髪の美しい男はサトルを追い払うと、ベッドに横たわった。

サトルは涙を浮かべながら、自分のベッドが光って見えることに驚いた。
きらきらしていて、そこだけ高貴な世界に見えた。
目を閉じた男はすぐに眠ってしまったようで、
美しい人形のような寝顔を見せていた。
サトルはどきどきしながら、
近寄ろうとした。
その時、背後に黒い影が見えた。

振り向くと、でかい鮫が獰猛な歯を輝かせて、
まるで眠る男を守っているかのように控えていた。

船長とおやっさんも中の様子が気になるようだが、
でかい鮫に睨まれて動くことすらできなかった。

長い長い恐怖の時間が過ぎた。
ありえない。
鮫が人間を守るなんて。
やはりあの銀の男は人ではないのだ。
感覚はねじまげられ、
異空間に放り出されたように感じた。

どのぐらい時間がたったのか分からない。
時は過ぎ、日は傾きかけていたが、
大漁丸の男たちは動くことすらできなかった。

すっかり日が暮れたころ、
銀の男が目をさました。
獰猛な鮫がすっと後ろに下がったように見えた。

「まだ、日本じゃねえのかぁ?」
男が少し首をかしげると、
銀の長い髪がさらさらと動いた。

サトルはそれまでの恐怖も忘れ、
陶然としてその姿に見とれた。
船長もおやっさんも、
やっぱり見とれていた。

「??? なんだ、何かあったのかぁ?」
銀の男は不思議そうな顔をしたが、
晩飯として差し出されたマグロを見ると、
とたんに機嫌がよくなった。

「ゔぉおおお、うまいぜぇ!!」
男は叫び、笑顔を浮かべた。
それを見守る大漁丸の船員たちは惚けた笑みを返した。
自分達に何が起きているかよく分からなかったが、眼福だと思った。

幸せな時は長くは続かない。
いつもなら日本の陸が見えただけで、
喜びが胸にわき起こるのだが、
今回は違った。

長い髪をきらきら光らせながら、海を眺めていた海の精霊はうっすらと見えて来た影を指差した。
「陸だぁ!! 日本だぁ!!」
突然、それまで大人しく控えていたでかい鮫が海に飛び込み、
銀の男はひらりとそれに飛び乗った。

「世話になったなぁ!!」
銀の男は鮫の上に立ったまま、振り返りもせず海の向こうに消えていった。

誰も大きな喪失感に、声を出すことすらできなかった。
美しいものは失われてしまった。
聖なるものは手の届かないところに行ってしまった。
あれは、夢だったのか?
海という魔物が見せた、はかなく美しい夢。

サトルはがくりと膝をついた。
船長も、おやっさんも力が抜けてへたりこんだ。
ただ、銀の男の消えた海を見続けることしかできなかった。

幻を見たのだ。
ありえない存在を見たのだ。

彼らが納得し、再び立ち上がるまでには、
長い長い時間がかかった。

もうすこしであの海の魔物にひきこまれてしまうところだった。
骨抜きにされて、陸に帰れなくなってしまうところだった。

一番に気をとりなおした船長は、
船を見回って、衝撃を受けた。
「なんや!! 捕ったマグロが一匹もおらんで!!」
「そんなこと、あるわけないで!!」
我に返ったおやっさんも、マグロ倉庫がからっぽになっているのに気づいて愕然となった。

悪魔だ。
あれは、海の悪魔だったのだ。
船員をたぶらかし翻弄し、
獲物をすべて取り戻したのだ。

サトルの背筋が寒くなった。
銀の男のあの美しさは「死」だったのだ。
あれほど輝いて見えたのは、
「命」を食らう存在だったからだ。
命をとられなかっただけ、幸いと思うしかない。

恐怖と非情な事実に彼らは打ちのめされた。
しかし、彼らの胸には甘くせつない感情と、
ありえない美を見た感動だけは残った。

陸に着き、廃人のようになっている三人を見て人々は驚いたが、
船長もおやっさんもサトルも何が起きたのか誰にも話さなかった。
空っぽの船で帰ってきた三人について、誰もがいろいろな憶測をした。

一体、船で何が起きたのか。
陸に上がっても、いつも海を見つめ、遠い目をするようになったのはなぜなのか。
彼らは魂をとられたのだ。
海の悪魔に魂を抜かれてしまったのだ。

一度、海の悪魔に魂を抜かれてしまったものは、
もう二度と正常に生きていくことはできない。
大漁丸にどんな悲劇が起きたのか。
それは誰にも想像もつかないものに違いない。

嵐の海には魔物が出る。
魔物に出会った船員は魂を抜かれてしまう。
大漁丸のようになりたくなかったら気をつけろ。

海の男たちの間では、
そう囁かれるようになったのである。









モドル