/Index/About this/Information/Eric Prog/3594/雑論/書評/Links/About ME/My Boom/
私が三国志を読み始めた頃,こういう常識がありました。「三国志には2つある。1つは正史『三国志』で1つは物語『三国演義』だ」と。
今,三国志をどうこう言う人の中に,この常識を知らない人はいないと思います。しかし,この言葉が意味する所について考えている人はどれくらいいるでしょうか?
そもそも,正史『三国志』は歴史書であり,〔編者陳寿の政治的立場などから類推される著作態度等からの評価に関する問題について言及しないとすれば(I),〕その当時起こった出来事についてできるだけ正確に記述しようとしたものであることは間違いないでしょう。対して,『三国演義』は講談から派生してできた物語であり,人物像には人々の願望や思い入れが数多く入っていることが容易に推測されるものです。また,成立した時代も,正史『三国志』は西晉,『三国演義』は明と1000年近くの開きがあり,成立した背景も全く違います。と言うことは,本来正史と演義は混ぜ合わせることができないのものなのです。ところが,最近,三国志について書いた本では,出典が正史か演義かよく分からないものや,正史と演義をごちゃ混ぜにして解説を加えているものを見かけるようになりました。
もともと日本では,前提無しに「三国志」と言うと『三国演義』を指すことが多かったのですが,近年「正史にも目を向けるべきだ」という姿勢で本が書かれるようになり,正史の記述にも目が向けられるようになってきました。
「三国志世界を説明するのに『三国演義』の世界を基調とする場合でも,正史の記述にも目を配っておく」という姿勢は,ここ10年ほどの間に出て来たものです。それまでは,正史と演義ははっきり区別され,交わることがありませんでした。例外はもちろんありますが,たまに交わるものがあったとしても,パロディか研究書としての価値を全く持たないものがほとんどだったのです。
それが,ここ10年,三国志という名の下に正史と演義の記述をごちゃ混ぜにして何かよく分からない状態で本にしてくる人が出現してくるようになりました。本の姿勢としては「三国志世界をより分かりやすくする」と言うものが多く,三国志世界への道案内をしようとするものが多いのですが,どうも日本には正史とも演義とも違う「独自の三国志世界」が誕生しているようです。これを私は「ねじれた三国志」と呼ぶことにします。
ここ1年以上,私を悩ませているのはこの「ねじれた三国志」なのです。三国志の解釈が変わっていくと共に,「歴史」と「物語」という2つの軸が融合を始めているように思えるのです。
上にも書いたように,正史と演義は成立年代や性質が全く違うので,混ぜ合わせることができません。加えて,正史の描く世界と演義の描く世界とを並立のものと考え,「三国志」という統一見解を作り出そうと言うこと自体が無理な話です。演義世界は歴史物語であることを忘れてはなりません。正史を多少なりとも読んだ人は分かると思いますが,正史は事実を淡々と述べているだけで,実際面白味に欠ける読みにくいものなのです。これに対し,「面白さを追求した」と言ってしまうと簡略にすぎますが,演義は人生訓やストレス発散の手段としての役割があり,面白味に欠ける正史に民衆の願望を色々加えて英雄豪傑の物語とした平話,これををベースにメリハリをきかせた構成となっています。
このため,演義は「七実三虚」と言われることがあります。史実でないことが3割含まれていると言うことで,歴史を語るものとして,あまりふさわしくないという意味も入っているかも知れません。
このように「ねじれた三国志」が登場する理由として考えられる原因の1つは「リアリティの回復」でしょう。『三国演義』本文やその種本となった『三国志平話』の記述は,講談から派生した出自のせいか,我々の住む現実世界では起こり得ないような妖術や計略が飛びかいます。そのため,科学的思考に走り,超常現象をも科学で解明しようとする私たちにはかえってリアリティが欠如して見えるのではないでしょうか。そのため,現代の作家が三国志を書くときには,現代に適合したリアリティを追求する結果として,演義や平話に書かれている超常的な計略や奇門遁甲の類が現実的な理由にすり替えられるのです。
例えば,演義の赤壁の戦の下りで,「冬に東南の風は吹かない」と悩む周瑜に諸葛亮が「ならば風を呼んで吹かせて見せましょう」と言い,儀式を行って風向きを変えてしまう部分がありますが,現代の小説や解説のほとんどでは,「気象条件上,この地方で冬に東南の風が吹くことがあり,諸葛亮は長年の気象観測の結果,このことを知っており,儀式を行って風を呼んだように見せかけた」とされています(II)。実はこれが現代的リアリティへの変換なのです。気象条件的にはこの時期,例外的に東南の風が吹くのは確かなことのようで,諸葛亮がその知識を経験的に持ち得ていたというのには確かにリアリティを感じますが,現代の私たちがリアリティを感じるから真実だと言うことにはなりません。
さて,物語世界では約束された(作者の描く世界の中で規定されている常識による)超常現象は認められています。となれば,演義は物語なので,設定で諸葛亮が奇門遁甲の使い手となっている以上,諸葛亮は奇門遁甲の使い手なのです。風を呼ぶことができるのです。諸葛亮が術を駆使して本当に風を呼んだとしても何の問題もないのです。ただ,歴史物語は出自を歴史という現実世界の過去に求めているために,現実の歴史とリンクすること,すなわち,現実世界でこの物語に書かれたようなことが起こってもおかしくないと思わせることを求められます。上に書いたような「リアリティの回復」の動機はそこにあるのではないでしょうか。
今,三国志研究の世界はねじれてきています。別に新しい証拠が出て来て転換点を迎えているという訳でもないのに,です。学者の研究はまだねじれの段階にはないのかも知れませんが,「これまでの研究の中で自分の感性に合うものについては自明のものとする」姿勢はあまり感心できません。
さて,「リアリティの回復」には,時の要請(III)が大きく関与しているように思います。歴史認識は時と共に移り変わり,それに伴い,あらゆる事象の解釈方法も変わっていきます。「諸葛亮が風を呼ぶ」シーンの解釈の変化にも「人が風を呼ぶという超常現象は現実には起こりえない。諸葛亮は現実世界の人間であるから,呪いで風を呼んだというのは後世の作り話である」という概念が働いているのでしょう。この概念そのものに間違いはありません。ただし,『三国演義』中の諸葛亮は,現実世界の人間をモデルとした登場人物であると言うことをしっかりと考えなければなりません。つまり,演義中の諸葛亮は現実の諸葛亮をそのまま表したものではないと言うことです。
独自の三国志世界と言えば,吉川英治の『三国志』は演義を基にアレンジしているのですが,物語の本流としては,演義のルートを外すことがありませんでした。横山光輝の『三国志』にしても,私は「吉川英治の『三国志』をそのまま漫画化した」と思っているくらいなのですが,演義をアレンジしながらもルートを外すことのないものに仕上がっています。
こういった三国志もねじれているのではないかと思われるようですが,正史or演義のどちらかに基礎を置いていると言う点でねじれではないと思います。
(I)「陳寿は晉(魏の後に立った王朝)に仕えていたので,記述は晉が継ぐことになる魏を正当とするものに偏らざるを得なかった。だから,魏については,その功績を称える記述しかできず,その信用性が疑われる」と言われているのに,「陳寿の父は蜀漢に仕えたことがあり,陳寿も蜀で生まれたから,蜀漢に対する思い入れが強く,表面上は魏を正当としながらも,蜀漢について心のこもった記述をしている」と言う意見も出されています。さらには,「陳寿の父は蜀漢に仕えていた(馬謖の部下として仕えていた)ので,諸葛亮に対して強い思い入れがあり,彼を称える記述がなされている」と言われる一方,「陳寿の父は馬謖に連座して処罰されたので,陳寿は諸葛亮に恨みを持ち,彼への態度は厳しく,記述も辛辣で公平ではない」と言う見解もあります。このことから,正史に描かれた三国志世界を語るときに,正史の記述そのものの信憑性は問題とされる所なのですが,私は「正史の記述は当時の中国人が持っていた認識を示すものとしてある程度評価して見るべきであり,記述の正確さについて現在の視点から判断するべきではない」と思うものであります。よって,ここでも正史の記述の信憑性は不問としています。
(II)「諸葛亮が儀式を行って東南の風を呼ぶ」と言った部分,演義の記述をそのまま解釈すると,そのような裏のある演技ではなく,本当に「諸葛亮は風向きを変える能力を備えていた」設定になっています。
(III)私が言うところの「時の要請」については,3594 三国志論1−4.を参照下さい
ところで,このように「リアリティの回復」を批判的に書いているような私ですが,実は「リアリティの回復」には元々賛成の立場を取っています。現実世界に起こる超常現象を科学的に解析して「超常」でなくすことは,超常現象について分かったふりをする一部のインチキ学者の欺瞞を打ち破るものとして重要なものだからです。
しかし,仮想現実の設定がいかに現実世界に即しているからと言って,それはあくまで仮想であり,全ての設定を現実世界の科学で解析しなければならないという訳ではありません。