脱ゴーマニズム宣言 小林よしのりの「慰安婦」問題
    上杉聰著/01.11.1997/東方出版

 本の表紙カバーの真ん中に「小林よしのり」と書かれている。小林よしのりが書いたか監修しているのかと思いきや,「これは,漫画家小林よしのりへの鎮魂の書である。」と言う文章を5行に区切った3行目であった。で,表紙の下半分に「上杉聰著」と「脱ゴーマニズム宣言」というこの本のタイトルと著者が書かれているのだ(しかも,本の帯に隠れてその部分は見にくくなっている)。
 私はこれを最初に見たとき,逆説かと思ってしまった。つまり,「鎮魂の書」と書きながら,実は小林よしのりを逆説的に評価しているものだと思ってしまったのである。
 しかし,実際には小林よしのりをコケにすることに終始した「ホンモノ」の小林よしのり批判書である。

 実は,この本のマンガの引用を巡って小林氏が上杉氏を訴えていた。結果的には小林氏が負けたのであるが,私は小林氏とは違う部分で上杉氏の引用方法に疑問を持っている。まず,顔の表情の書き方について上杉氏は色々と小林氏を非難しているのであるが,その証拠として引用したマンガの顔は,目の部分に「肖像権の保護」と称して黒帯が掛けられていた。
 これは明らかにおかしい。裁判所は目隠しを掛けること自体は認めたようだが,目隠しをして顔の一部分を隠してしまった以上,引用されたマンガが表情を語ることはない(表情を決定する重要な部分である目を隠したのでは,読者は小林氏がどの様な描き方をしたのか理解できない)。
 表情(顔)をどう書いたか知るための引用なのに,表情が分からない。これではマンガを引用した意味がない。「肖像権の保護」という小手先の人権意識が,顔の描き方という本題を覆い隠している。

 慰安婦問題に関して言えば,著者と相容れない小林氏の主張を著者が喝破している形を取ってはいるものの,著者にとってのホームゲームなのだから,アウェイの主張を潰すのは簡単だ,むしろそれ以上のことが求められているのだが,小林氏の主張を潰して自分の主張の正当性をアピールしているだけのような気がする。

 さて,この本の一番の問題は,「自分のやっていないことを人には簡単に要求し,できていないとその点を攻撃する」ことである。
 小林氏に対しては,「ちょっと調べれば分かることだ」と何度も書いておきながら,著者は,大して調べもせずに結論を下している。これはホームゲームの有利さそのままである。
 例えば,小林氏は慰安婦問題に対して,「軍が強制連行せよ」とした命令書を発行していたのなら残っているはずなのに見つかっていないから信用できない,としている。この点について,著者は「証拠を残す犯罪者がいれば苦労しない」とし,証拠探しに躍起になるのは器が小さい人間だとしている。
 さらに小林氏が「オウム真理教がわしを殺そうとしていた」と書いているのに対し,「命令書がないから」殺人未遂がなかったとしても良いのか? とも書いている。
 …ちょっと違うだろう? 著者にとっては戦時中の日本軍はカルトと同等であるらしい。軍と言えども,官公庁の一つである。全ては書面によって行われる(でなければ赤紙なんてものは必要ないのだよ)。もし,命令書の外で人を強制連行していたなら,員数が合わないことにならんか? 員数が合わなければそれこそ大騒ぎだ。まあ,多い分には困らないからいい加減だったかも知れないが,数万人に及ぶ人間を全て命令書外で強制連行していたのなら,「何かおかしい」と言うことになる。
 カルトの場合,特にオウム程度の比較的小〜中規模(あれでも規模はそんなに大きくない)のカルトの場合,命令は口頭でも十分に効力を発揮する。その違いはどこに吹っ飛んでしまったのだろう? これも,「ちょっと調べれば分かること」ではないのかね?

 さて,この本に対しては,朝日新聞が書評を付けている。この本でその書評を読むことはできないが,別の本でその書評記事を読む機会があったので,それについても一言。
 まず,書評には「(上杉氏は)学者にありがちの妙なプライドを打ち捨てて小林氏の土俵に上がり,その主張を明快な論理で喝破していく」とあるが,上杉氏の立ったのは自分の土俵であって,小林氏を自分の土俵に引きずり込んでいるだけだ。上杉氏にとってはホームゲームであり,アウェイでやっているようには全然見えないので,これは読み誤りだと思う。
 そして「こんな本を待っていた」という結び,これを見れば,朝日新聞も「自分と主張の違う人に対して攻撃してくれる人を待っていた」のだと読みとれてしまう。小林氏の主張を喝破できていないのは明らかなのに,上杉氏と立場がよく似た人から見れば,喝破したことになってしまうらしいことがよく分かる。
 まあ,朝日新聞も上杉氏も,ある時期には,小林氏攻撃に精を出していたからね(でもそれは結局のところ「攻撃」であって「論戦」や「喝破」には程遠かったわけだが)。こういう本で溜飲を下げたかったのだろう,ただそれだけだね。

評価:5点;表紙にあるような「鎮魂の書」などではない。著者が自分の方針と反する者に対してどの様な態度を取るのかが如実に表れただけの自己満足本である。
 まず,小林よしのりのマンガを引用しなければ理解できないと言う点で明らかに問題がある。確かに小林よしのり批判の姿勢は取っている。しかし,それはマンガを通して出る小林氏の思想に対するものであり,マンガそのものの批評にはなっていない(逆に,小林氏のマンガを引用しているから,表面上は理解しやすいように見える)。
 さらに,小林氏に対する批判の根拠もはっきりしない。「自分と違う考え方をしているから排除する」的な見解が随所に見られる。自分の支持する人間には「まともな」等のプラスイメージの修飾語句を用い,自分と敵対する人間には「落第生」や「デマ」等のマイナスイメージの修飾語句を使っている。
 最終的に,小林氏を叩くだけ叩いた割には,ただそれだけで完結したという自己満足の書になってしまった。まあ,上杉シンパには非常に受けが良かったようだがね。
(2+2+0+1=5)

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