馬超風雲録(1)〜(5) 著者:渓 由葵夫 1997〜1998 小学館スーパークエスト文庫

 三国志本(と呼ばれる本)の批評は数あれど,ここまで批評してもらえない本も珍しい。 この本には批評してもらうほどの価値も無いのは確かだ。これを三国志と言うことさえ ためらわれる。だが,あえてこの本に 批評をさせてもらう。その理由は,「この本を書いた人のような作家は金輪際ごめんだ」 と思っていることにある。
 馬超(字:孟起,176〜222)は三国時代の蜀の將軍である。もともと涼州の出身で, 関西地方を中心に勢力を張っていたのであるが,曹操に追われて劉備の麾下に 入ることになった。丁度その頃,劉備は劉璋の治める蜀を攻略していた。馬超が劉備に 下ったことを知った劉璋は城に籠もれば1年以上は守れたであろうと言われた成都城を 解放して降伏してしまったという。馬超の名声はそれ程までに知れ渡っていたのである。
 演義でも人気が高く,非常にその不可思議さでもって人気のある馬超を主人公にした 物語と言うことで,私は非常に期待を持って第1巻を開いたのである…が。
 涼州(文中では西涼)の「馬騰牧場」に生まれ育った馬超が汗血馬を求めて侵略してくる 呂布の軍勢と戦う。ところが,劉璋と組んだ一族の手によって牧場が焼き払われ, 汗血馬を求め西方に向かう呂布を追って馬超は旅立つと言うものなのだが…, とかくストーリーに無理がありすぎる。ホラを吹きすぎて引っ込みが付かなくなり, ギルガメッシュやT-REX等の化け物を出すしかなくなってしまった。そして物語も, もうこれ以上続けるのは無理と判断したのか,赤壁の戦で終わってしまっている。
 それに,金髪の趙雲やスキンヘッドの許チョ,呂布軍と戦ってないのに片目になった 夏侯惇にひげのない張飛(!)等,冗談みたいなキャラは枚挙にいとまがない。
 諸葛亮も登場するのだが,「諸葛亮を人間に戻す」コンセプトの筈が,単に変な 諸葛亮を作り出したに過ぎなかった。あんな諸葛亮,実際の諸葛亮を推測させる 資料にもならない。結局天才軍師諸葛亮の線で行っている。こうすれば読者が 不満を持たないとでも思っているのかも知れないが,そんな考えでは何時まで経っても 本物は書けない。
 作者は諸葛亮が27歳まで何をしていたのかと言うことにこだわりがあるらしく, ”あとがき”の部分でコメントをしている。「諸葛亮が27歳まで何をしていたのか。 一応司馬徽という学者のもとで『学業に励んでいた』という説明がありますが,辻褄 合わせという感は否めません」等と言っている。これは語るに落ちている。諸葛亮が 司馬徽のもとで学問をしていたのは『三国志』本文にある話であるが,これが辻褄 合わせだとして, 『三国志』の著者(陳寿)に何の利益があるのだろうか。このことからでも,作者は 物事を考える上での論理的な判断力に欠けることがよく分かる。
 作者が論理的判断力に欠けることは作品の中でご都合主義が多用 されていることからも分かるだろう。話をきっちりと組み立てることができないから, 辻褄を合わせて,いかにも「話は合っている」ように見せているのだ。
 作者の誤った知識によって構成される“あとがき”なるものに現れる身勝手な見解は 噴飯ものであった。例示するときりがないので止めておくが,誤った伝達をするのだけは 止めて欲しかった(史書の内容くらい正確に伝えてくれ)。
 それに,書いてる頃からかなりの抗議や文句があったのだろう。5巻の”あとがき”では 「それにしても,昨今の日本の状況は,というと,『やれ設定がドーノ』,『時代考証が コーノ』と,重箱の隅をつつくような輩が増えています。最初に読んだ”サンゴクシ”が バイブルとなり,それ以外のドラマを認めない,という視野の狭い発言が目立ちます。」と 開き直ってしまった。こうなると,「違ったコンセプトの『三国志』」でも「新しい『三国志』」 でも何でもない,只の「書き殴り」である。それでいて,自分の「書き殴り」を「三国志」と 認めさせようとして詭弁を弄しているのである。
 もはやこれは書物としての評価を与えるべきかどうかも疑わしい。いまこの評を終えるに 当たって,私は「やっぱりこの書評を書くべきではなかったのではないか」という思いに 駆られてしまう。でも,誰かが言わなければならないのだ。駄作で食っている作家がいる限りは。

 評価:5点;定価で買って読む価値は全くなし。古本屋の100円均一か5冊セットで300円程度なら,買って読んでみても良い。でも書庫のゴミにしかならないと思う。

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