出版当時26歳という新鋭の書いた本なので,読み始めは期待して読んでいたが,最後まで読むのに7カ月かかってしまった!それくらい読むのに苦労する本である。
とにかく,何を書きたかったのかが見えてこない本になってしまったように思う。まず,基本コンセプトは何なのだ?「列伝体(正式には〔紀伝体〕)の『三国志』を編年体にした通史の存在を待ちわびていたが,現れないので苛立って書いた」と言うことで,陳寿の『三国志』を編年体にして,流れを分かりやすく説明した本ということなのだと思う。しかし,実際には,通史(年代記)としては,自分の三国志観を書き連ねただけなので著者の意見が入り過ぎていて,失格。結局は既存の研究書と同じものでしかない。その上,細かいところに読み落としがあるようで,史書にないことを,さもあったかのように書いているところがある。
全体を通して読むと,「『これまでにない味を出さなければならない』と躍起になっている姿」を見て取ることができる。
書いてあることが一々もっともに思われるのだが,それは,あくまでも「現代人の感覚にマッチする」に過ぎないのであり,例え斬新で説得力があっても,真実と言いきるのはやりすぎだと思う。他の書評を読んでみても,この部分に言及してくれているのか疑問が残る。
この本には,わずか2ページの「あとがき」があるのだが,これが曲者で,これがあるが故に,この本の品位がかなり落ちてしまったと思う。何か,既存の価値観を打ち壊すのに躍起になって,本質を見落とした部分があるように思う。少なくとも「(『三国志』を編年体にした通史の存在を待ちわびていたが)世の三国志の専門家を称する先生方は余程怠惰なのか愚かなのか,一向にそのような本を出す気配を見せぬ」等と言うべきではない。他の研究者にはその人の考えがあり,それはそれで尊重するべきであり,他の研究者を批判するのはどうだろう?まあ,三国志の編年体バージョンは時の要請であり,それをきっちりと書けばその本は売れるだろうが,研究としてはいかがなものだろう? また,『三国志』の時代の出来事を編年体にした歴史書は既に存在する(北宋司馬光の『資治通鑑』の一部)。まさか著者がそれを知らないなんて事はないと思うが,『三国志』を編年体にしたものにはこれがあるので,研究者も『三国志』を編年体にしようとはしないのだろう。『資治通鑑』の訳本を出すには労力がかかり過ぎるのだし。
それと,「独特の三国志観」って何だろう?現代的感覚で三国志時代を見ているに過ぎないのではないだろうか?また,まさか三国志の研究者(に仲間入りをした人)が,『三国志』しか読んでないなんて事はないだろうが,記述が『三国志』(と裴松之注)に偏りすぎているようにも思う。これなら,まだ他にも同じようなのがあったような気がする…。
と,色々批判的に書いたが,内容としては,今までに研究者以外の人が書いた『三国志』の本よりは数段上の内容と見解で,読むべきものはあったと思う。¥690+税を全くの無駄にしたとは思わない。小説として評価するならば,大澤流解釈が面白くて読めるものだと思う。しかし,研究書としてみれば,私は使えるものではないと思う。研究の助けとしてこれを使う人がいるとすれば,その使い方を拝見したい。
それにしても,真実なんて簡単に分かるものじゃないのだから,「真実」という言葉を軽々しく使うのは問題があるんじゃないのかなあ。
評価:11点;価格的には問題ないけれど,内容が少し普遍性を欠いているように思う。取っ付きやすいけどその取っ付きやすさが良いものではないように思うので,この程度。