マンガ日本人と天皇   雁屋哲原作・シュガー佐藤漫画/20.12.2000/いそっぷ社

 帯を見ると,『美味しんぼ』の雁屋哲が天皇制の意味を問う!!と書かれている。そのすぐ下には「近代天皇制の毒」と言う部分の漫画がある。
 これを見ただけでも,これが天皇制批判サイドからの書であることが分かるだろう。さて,どの様に天皇制を批判するのか,著者の筆力が試される題材である。

 …はずだった。しかし,読み進めるうちに私は落胆と嫌気にとらわれていった。天皇制は「絶対悪」という考え方が記述全体を支配している と受け取れるからなんだな。天皇制を客観的に見る目に欠けているんじゃないかと思えるわけだ。

 本編を読み始めると,いきなり大学サッカーの試合から始まる。…???,これのどこが天皇制?と思いながら読み進めると,試合が終わり,主人公であるサッカーチームのキャプテンが本部に呼び出される。
 VTRを見せられ,試合前の国旗掲揚・国歌斉唱の場面で主人公が「国歌も歌わず国旗に敬意を表していない」事に対して,大会本部にその人物を大学サッカー界から追放せよ,と言う抗議の電話が100本以上かかってきたと告げる。そして,本部の人間は「おそれ多くも皇族の御前で国歌も歌わず国旗に敬意も払わないとは不敬だ。お前は愛国心のない非国民だ」と主人公をなじる。
 そして大学側でもこの行為に対して「不敬である」とか言って退学処分を検討する事態にまで発展…。
 まあ確かに,国旗国歌に対して「畏れ多い」とか「敬意を表すべき存在」と感じている人はいるだろう。しかし,TV中継の1場面を切り取って「君が代を歌わない」と批判対象にする人が日本にどれくらいいるというのだ?この前,2輪のパシフィックGPが中継されていて,そこの表彰式で「君が代」が流れていたけど(日本人が優勝したから),表彰台の日本人は歌ってなかったし,曲は途中でフェイドアウトするしだったぜ。この本に則ればツインリンクもてぎは破壊されて,表彰台の日本人はこれ以降レースに出られなくなってしまうようにならなきゃいけなんじゃないのかい?
 確かに,君が代に対して尊敬以上の念を持っている人はいるよ。でも,この本のシチュエーションは誇張しすぎだ。著者のような人間が歯止めを掛けているのか,この本のような抗議行動が大々的には見受けられないんだ。

 天皇制の「害悪」の一面として,第2章では「天皇制」という宗教、「加虐と被虐」の2つを挙げている。被虐の面で「天皇の死の前後(?)に自粛しないと脅迫などがある」という事例が挙げられているが,これは2001年9月以降のアメリカの状況を見ても明らかなように,天皇の害悪と言うよりも,ナショナリズムの一面であり,行き過ぎた面は抑制されなければならないが,これをなくすことはナショナリティの喪失につながる恐れがあるので,自粛そのものを批判するべきではない。実際,アメリカでは,ケネディ暗殺の2日後にNFLの試合が開催され,批判の対象になったという。これも「天皇制の被虐」なのか(笑)?それとも,試合開催は「被虐に対する抵抗」として賞賛されても良い行為なのか?これも論点にズレを見せているようだ。言うなればこれは「ナショナリズムの被虐」であろう。…と言うことは天皇制はナショナリズムの表現手段の1つであるという事か?

 ところで,この本の第6章では昭和天皇の戦争責任にも言及している。しかし,昭和天皇個人に責任があるのか,「近代天皇制」に責任があるのかはっきりしないのだ。読む限り,「昭和天皇は責任を認めていないけれども,その背景には近代天皇制がある」と言っているようなんだけど,「昭和天皇の最大の戦争責任は…」とも述べている。結局すっきりしないのがこの章であるようだ。
 この章では,天皇が「現人神」とされていることにも問題があると言っているけど,それは大きな事ではない。むしろ問題なのは第2章で述べている「天皇を宗教化」することであろう。ナショナリズムが宗教に根ざしている国はいろいろある。日本がそのうちの1つと考えられるのなら,それについて考える姿勢は必要であろう。
 宗教での信仰の対象が,人であるか過去の人であるか人以外のものであるかと言うことはたいした問題ではない。むしろ,狂信者となることが問題なのである。天皇制が「もともとあるもの」であるとして無条件に信奉する姿勢は賛成できないが,その逆もまた賛成できない。天皇制とて時代とともに移り変わる必要があるのは否定できず,天皇制を考える自由が認められなければならないのは言うまでもない。しかし,それは「天皇制廃止の主張」と同じではない。

 気になるのは,この本では,天皇制を推進する側の人のことを「天皇の臣」と位置付け,一般国民である「民」と区別している。そして,天皇制の中で「民」は「天皇」と「臣」に支配されていると説明している。
 まあ,それはそれで正しいかも知れない。が,誰が「民」を構成しているのかという重要な命題の答えが示されていない。「臣」は天皇制を用いて天皇の権威を高め,それを「民」の支配に利用している存在としても,「民」とは一体何なのだ?「日本国を構成する人」−「天皇&皇族」−「臣」=「民」だと言うのだろうか?

 結局のところ,天皇制や天皇制信奉者の最悪ケースを取り上げて強調し,それで「天皇制は毒多き悪きものだ」と結論付けているような気がしてならない。もちろん,天皇制が害無きものと言っているのではない
 しかし,この本の最後にあるような「天皇制の廃止」を実行すれば,近代天皇制の毒から逃れ,新しい21世紀型の日本になるとでも言うのだろうか?
 この本が言う,天皇という「御神輿」を無くしたところで,日本人の精神構造が変わらなければ,天皇に代わる「御神輿」が出てくるだけで,結局何も変わらなかったって事になりかねない。天皇制廃止を訴えるなら,「天皇制以後」が重要なのだ。それを主張できていないこの本には,結局のところ読む価値が見受けられない。
 それに,全てを天皇制のせいにする姿勢では,本当の改革は望めない。日本人の精神構造の改革の結果,天皇制の廃止が起こってくるのなら分かるが,天皇制の廃止から日本人の精神構造の改革を主張するのは,「天皇制廃止の押しつけ」でしかない

評価:7点;定価で買うのは高すぎる。内容の偏向性や難解さも考慮に入れれば古本屋で探すことをおすすめする1冊。
 難しい天皇制について簡単に書いているように見える。しかし,それは「マンガを用いている」からであり,決して内容は簡単でない。価値対価格も余りよいとは言えない。1500円は高いと思う。1000〜1200円が良いところだろう。
 思想的には天皇制批判一色なので普遍性があるとは全く言えない。ただ,マンガを用いている効果もあって取っ付きやすさを見せていると言える。
(2+2+1+2=7)

附記:2001.11.04の朝日新聞の読書欄に,この本の広告が出ているんだけど,そこにこんなセリフがあった。
「ゴー宣」なんかにだまされるな!
 …つくづくこの本の無価値さを実感した瞬間である。

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