韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する −歪曲された対日関係史−
 勝岡寛次著/01.08.2001/小学館文庫

 中国・韓国による,正式外交ルートからの,扶桑社の歴史教科書に対する再修正要求ってのは,各方面に波紋を広げ,「内政干渉」だとか「中国・韓国の意見を真摯に受け止め修正すべきだ」だとか言った声が挙がり,歴史教科書論争を泥沼化させた一因ともなったと思う。

 さて,この本は,「新しい歴史教科書をつくる会」の会員でもある勝岡寛次という人(私はこの人については全然知らん)がつくる会擁護の側から書いた本だな。コンセプトは「自国の教科書の内容を吟味してみることもなしに,日本に対して修正を要求してきた中国・韓国の歴史教科書の内容を吟味し,逆に(民間人という立場ではあるが)修正を要求し,歴史教科書について考えよう」といったところ。
 構成は
  序論:「小中華」意識の呪縛−韓国の歴史教科書を読んで−
  第1部:韓国の中学歴史教科書を批判する
  第2部:中国の中学歴史教科書を批判する
  第3部:歴史教科書をめぐる,韓国・中国の学者との論争

となっており,中国・韓国の歴史教科書を個別に批判している。第3部では,雑誌上で行われた中国・韓国の学者との討論を再録している。
 まあ,読んでいて気がつくのは,この人の論が日本を基準としていること。日本の常識から判断すればそう取れることについて自分と見解が違うから「歪曲」と判断しているように見えるわけだな。その点でちょっと疑問がある。
 ただ,それが悪であるからこの本は意味がない,と言い切っちゃうのはちと乱暴であると言いたい。なぜなら,中国・韓国の修正要求だって,自国の立場からものを見ているのに変わりはないのだから。
 これは第3部を読むとよく分かるんだけど,批判と反論が全くかみ合ってないんだよね。中国・韓国の学者は,著者が中国・韓国の教科書について言及すると,「扶桑社の教科書を問題にしている」、「今はその話をしていない」と言って答えない。あるいは,著者の批判に対して,「アクションを起こさずに不平不満を言うのは説得力がない」と言って批判に対する反論はない。著者の方は,中国・韓国の批判に対して理論的に対応しているように「表面上」は見える。でもこれとて私らが日本人だからそう思うだけの話。日本を基準とした判断による対応でしかない。まあ,著者は最初から「共通認識をつくる」ことはあきらめてるからそれで問題ないのかも知れないけどね。
 私自身は共通認識をつくることが不可能だとは「思いたくない」。簡単にできるとは「これっぽっちも」思わないけど,それをあきらめたときに何が起こるかと言うことを考えると,ちょっとそぞろ寒い気になる。だから,共通認識をつくる可能性があるかな,位の気持ちでやってくれると助かるんだけどなあ…,みたいな。

 著者の中国・韓国の歴史教科書に対する修正要求を見ると,まあまあ理解できるものも多いけれど,理解に苦しむ要求が結構あるんだな。
 「慰安婦は義務教育の歴史教科書に載せるようなテーマではない。直ちに削除せよ」 放っとけというのだ!あんたが決めることじゃない。そんな削除要求を出すのは,先走りすぎだと思う。思想的差異に基づく批判は,著者の独断でしかないので,修正要求に盛り込むのは変だ。それが許されるのなら,中国・韓国の修正要求も大したことじゃなくなってしまう(内政干渉かどうかと言う問題は別)。

 つまり,著者は,外国の教科書にも日本を良く書いてもらいたい訳だな。日本が植民地政策の中でやってきたことを評価してもらいたいわけだ。そりゃあ,統治していた以上,良いこともやったでしょうさ。でもね,それをどう捉えるかということは各国の自由。だから中国・韓国からの修正要求を「内政干渉」って言えるんじゃないのかね?
 内政干渉の仕返しにそれまがいのことをやるのが果たして良いのかどうか…。もうここまでくると泥仕合,何を言っても止まらない。

 さあ,結論と行こう。この本を買う価値はあるか? 新しい発見を求める人にはこの本を買う価値は全くと言っていい程無いと言ってしまって構わないだろう。かなり厳しい評価となるが,中国・韓国の歴史教科書の批判を聞きたい人にはお勧めと言ってフォローしとこう。
 エールを送るとしたらこんなところで。「批判に耐えてよく頑張った!ガッカリした!ご苦労さん!」
 評価:12点;ギリギリOK,定価で買うだけの価値はある。但し粗も多く,読み込んでいく程に読むのが嫌になる人も多数いるであろう。


 さて,これは扶桑社の教科書に反対する人に共通して(ことによると教科書問題を扱う人に共通して)言えることなんだけど,事実とそれをどう捉えるかという認識論とは別物だってことをどれ程まで理解してるか疑問なんだな。ここに,上杉聰という人の講演会で配られた資料がある。資料には扶桑社の教科書のコピーがあり,そこに下線を引っ張ったりチェックを入れたりしているんだけど,チェックしているところを見て疑問に思うんだな。チェックしたところを読めば,そこで何を批判したいかはだいたい分かる。しかし,そのチェックが入ったところの記述は事実なのかどうなのか,その視点から始めないと話にならない。事実認識がおかしいという批判が結構多い。

 例えばこの記述,
この日本に向けて,大陸から一本の腕のように朝鮮半島が突き出ている。当時,朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば,日本を攻撃する格好の基地となり,後背地を持たない島国の日本は,自国の防衛が困難となると考えられていた。
ここに上杉聰氏は下線を引いている。おそらくこれが「朝鮮半島の支配を正当化しようとしている記述だ」と言いたいんだろうけど(あくまで推測),問題はこれが事実かどうかと言うこと!その当時日本国内でこのような考え方が主流を占めていたとすれば,これは事実であり,何の誤りもないことになる。それをどう捉えるかは生徒側の問題,どう捉えさせるかは教師側の問題であり,教科書執筆者の問題じゃないやね。つまり,批判されるべきは事実誤認であって事実認識方法ではないのに,反対者の多くは事実認識方法の違いを「歪曲」とか「誤り」だとか言って批判しているのではないかと思えてしまうってことだ。
 中国・韓国の修正要求も,事実認識方法の違いを批判している要求が多いので,日本政府に蹴られたとも考えられるわけだ。日本政府の回答が「明白な誤りとは言えない」に終始している理由は,意外とこんなところにあるのかも知れない。事実をどう捉えるかと言うことに日本政府が踏み込むのは,左翼系が最も嫌うことではないのかね? まあ,政府の姿勢がつくる会擁護に少し傾いているのはあるだろうけど,それは大きな理由にはならないと言うことだ。曲がりなりにも「つくる会」の教科書は検定通ってんだぜ,137箇所もの検定意見を乗り越えて(それが問題だという人もいるけどね)。「危ない」とか「国際精神に欠ける」とか言うのは簡単さ,でもそんなの何の役にも立たないじゃん!

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