シャーロック・ホームズ紀行 | ||
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今から120年ほど前,ビクトリア女王の治世にイギリスにシャーロック・ホームズという探偵がいた。彼は私立諮問探偵を名乗り,次々と持ち込まれる事件を解決していった。
彼の業績は,分厚い書類に記録され,世界中の国に配布されている。人々は先を争って彼の事跡を追っている。
彼は現在もイギリスの片田舎で余生を送っていると伝えられている。私は,彼に会うためにイギリスへ旅立った。このホームページは,その旅の記録である。
あの夏,仙台空港に車を置き,私はハンガリーのマレブ航空のチャーター便に飛び乗った。ブタペストで乗り換えたが,機体が旧ソ連製のツポレフだったので,少し怖かった。アルプスを遠く見ながら,西ヨーロッパを横断し,ドーバーを越えて,ヒースロー空港に到着した。
そこはもうイギリスだった。
女王陛下のポンド紙幣を手にして,私はテムズ川の畔に立った。ビッグ・ベンが川向こうにそそり立っていた。
この川で,かつてホームズはボート・チェイスを繰り広げたのだ。私は,歴史ある場所に立った感動に打ち震えた。
ホテルはハイド・パークに近いフォーラム・ホテル。大きいがビジネス・ホテルのレベルだった。夕食はロースト・ビーフを食べた。
夕食後になってもロンドンは暗くならなかった。緯度が高いのだ。21階の部屋に戻ってロンドンの街を見下ろしながら,私の胸は期待に震えた。ついに,明日は,子供の時から夢に見ていたベーカー・ストリートに行くのだ。
次の日,私は早起きし,まず,ハイド・パークへジョギングに出かけた。ハイド・パークもホームズゆかりの地である。
ストレッチを済ませて,走り出した。ホテルの前のクロムウェル・ロードを東に走り、自然史博物館とヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の間の道を北に抜けるとハイド・パークに着いた。ゲートを越えて、そのままサーペンタイン池の方に進んだ。
池を越える橋の手前で東に向きを変え、そのまま池の南岸沿いに走った。池といってもこの細長い池は全長二キロメートルくらいある。その中央辺りに橋があるので、橋から一キロメートル走ってやっと東の端に着く。途中で、陸に上がって休憩中の水鳥たちを脅かしてガーガー文句を言われたりしながら私はのんびりと走った。
北岸を橋まで戻り、橋を渡ってさっきのゲートから公園の外に出た。来たときとは違う道を通りたくて、ロイヤル・アルバート・ホールの前を西に走った。シャーロック・ホームズも訪れたという名建築の前を走れて幸せだった。
右側にゴシック建築の小塔が見えたが、これはアルバート記念碑だ。アルバート・ホールを過ぎた所で南に曲がった。そして,クロムウェル・ロードに戻ってホテルに帰り着いた。
バスルームで汗を流した後,ホテルのバイキングの朝食を済ませ,いよいよベーカー・ストリートに出発である。
まず,最寄りのグロスター駅まで歩いた。そこで1日地下鉄乗り放題のチケットを買い,地下鉄ピカデリー線に乗った。グリーンパーク駅でジュバリー線に乗り換え,ベーカー・ストリート駅に着いた。ホームには有名な壁画があった。もっと進むとホームズの横顔の描かれたタイルが壁を埋め尽くしていた。私の表情はゆるみっぱなしだったであろう。
エレベーターで地上に出ると,そこは,もう,ベーカー・ストリートだった。
マダム・タッソーの蝋人形館へ向かう人々と離れ,私はベーカー・ストリートを北へ向かった。221b番地はすぐに見つかった。そこにあったのは,ホームズが住んでいそうもない白いビルだった。中に入るのは気が引けたのでやめ,私は更に北へ歩いた。すると,スコットランドヤードの警官が警備する,ある家が目に付いた。その家には行列を作って順番待ちをしている人々までいるではないか。
私は,ホームズに事件解決を依頼する人が列を作っているのだと判断した。で,あるならば,ここがホームズの家に違いない。私は迷わずに列に並んだ。そればかりか,警官の写真を撮ったりもした。
待っている間,いろんな事を考えた。今私が立っている場所をアイリーン・アドラーも歩いたのだ。ベーカーストリート・イレギュラーズの少年たちが,わいわい言いながら走り過ぎたこともあっただろう。歴史的な場所に私は立っていたのだ。
しばらく待つと,入り口から,エプロン姿のハドソン夫人が顔を出し,
「ホームズとワトソンはは,今,でかけておりますわ。でも,部屋を見学することはできます。でも,ただでは見せられません。一人☆☆ポンドいただきます。狭いので一度に8人ずつしか入れません。あしからず。」
と言った。ハドソン夫人はホームズの留守中にとんでもないアルバイトをしているようだ。
腹は立ったが,はるばる日本からきて,何も見ないでは帰れない。私はおとなしく順番を待ち,☆☆ポンドを払って中に入った。
まず,2階に続く17段の階段を上った。この階段を有名な依頼人が通ったこともあったのだ。
そして,ついにホームズとワトソンが共同で使っていた部屋に入った。壁にはV.R.の形にピストルを撃ち込んだ跡がそのまま残り,暖炉の脇には彼の愛用のバイオリンがあった。化学の実験道具もあった。
また,部屋の片隅には、ホームズが解決した様々な事件に関係した資料が山のようにおいてあった。
踊る人形の暗号、パスカヴィル家の犬(の人形)、グロリア・スコット号の模型、四つの署名の中に出てくる大粒の真珠、ナポレオン像などなど。別のコーナーにはホームズの愛用したパイプやピストル、手錠などが展示されていた。思わずうれしくなる部屋だった。
しかし,驚いたことに全部壊されたはずのナポレオン像が,傷もなしに置いてあるのだ。ワトソンの記録が間違っているのだろうか?それとも,ホームズがうまく直したのだろうか。
ハドソン夫人の特別な許可を得て,私は彼の帽子を借り,パイプを手にして,彼のイスに座り,写真を撮った。至福の一瞬だった。
軽い陶酔感に酔いながら私は,階段を上って3階に行った。3階はなんとホームズ・グッズの店になっているではないか。ハドソン夫人のアルバイトには困ったものだ。
しかし,ここが店になってしまっては給仕のビリー少年はいったいどこに住んでいるのだろう?もう彼の部屋はなくなってしまっているのか?私は新たな謎を発見し,心が千々に乱れた。
恐らく,ホームズの不在が長いので,少年は年を取りすぎ,引退したのだろうと私は推理した。すると,さっきのハドソン夫人が若すぎる事が気になるが,彼女は何代か目のハドソン夫人なのだろう。
それはとにかく,ベーカー街でホームズ・グッズを買い入れる事はすばらしいことである。私は陳列棚をあさり,ホームズの帽子を選び出した。また,ポートレート付きのTシャツを見つけたが,サイズ表示が日本と違うので,売り子のおばさんに
「このサイズは私に合うかね?」
などと確かめながら買い物をした。
グラナダテレビのドキュメンタリー番組「シャーロック・ホームズの冒険」の名場面を集めたポストカードセットも見つけた。即購入。
ホームズのコートは高いので買うのをあきらめ,ホームズトランプを買った。ホームズのフィギュアもあったが,実物とはだいぶイメージが違うので買わなかった。
ホームズの家で過ごした時間はまたたくまに過ぎた。外に出ると,今度は道の反対側に見えたホームズ型の看板が気になり,行ってみた。そこには小さな店があり,ホームズの帽子をかぶったおじさんがいて,みやげ物を売っていた。ホームズの家には門前町ができていたのだった。
その店の商品もおじさんも,あまりかわいくなかったので,一通り中を見ただけで私は外に出た。
時刻は午後3時。私は空腹を感じた。昼食を取るのを忘れてホームズの事跡を追っていたのだ。私は,リージェント・パークに向かい,公園の中で見つけたビュッフェ形式のレストランで軽食をとった。
公園の円いオープンステージでは学生らしい大ブラスバンドが元気よく演奏していた。音楽を聞きながら,芝生に寝そべり,私は幸福な1日のことを思い返した。もう,明日はブタペストに戻らなくてはならない。
私の短いロンドン滞在は終わろうとしていた。
ブタペストで,悪魔の足の見本におめにかかれるであろうか?