富田細田・宮下遺跡

全景 1999年(平成11年)4月から、私は発掘調査
に携わりました。遺跡名は、「富田細田遺跡
と「富田宮下遺跡」です。この遺跡は、前橋市の
東部にあり、東を荒砥川、西を谷地に区切られた
低地から台地に移行する場所にあります。国道
17号(上武道路)の改築工事に先だって、発掘
調査が行われました。その調査の様子をまとめ
ました。


4月から10月にかけて調査内容 
 富田細田遺跡で、約4400uで、次のような遺構が確認できました。
   1面 As-B下水田      (As-Bとは、西暦1108年に浅間山が噴火したときに
                     積もった火山灰)
   2面 818年洪水層下水田(歴史書「類聚国史」に、818年(弘仁9年)に上野国を
                    含む関東近県で地震が起き、被害が出たと記されて
                    います。この洪水層は、地震により山が崩れ、河川で
                    運ばれ堆積した層だと考えられます。)
土層← 表土




← As-Bの層 下の黒色土が耕作土(水田)


← 5世紀の洪水層 この下の耕作土は確認できませんでした。
← As-cの層 白い粒が、4世紀半ばに浅間から降った軽石です。 








11月8日(木)
 富田宮下遺跡を南からA・B・Cの3つの区に分けて調査を進めました。この日は、一番南に位置するA区の空中写真撮影を行いました。カメラを乗せた気球を上げ、空から遺跡の全景を写真撮影しました。
全景
 右の写真が、宮下遺跡A区の北側の台地
部です。ここでは、古墳時代から奈良・平安
までの竪穴住居跡が5軒と掘建柱建物が2
棟が発見されました。さらに溝跡が3条と、
棺堀(かんぼり)と呼ばれる堀が見つかりま
した。棺堀は、荒砥川を取水源とした観音川
から水を引いた堀で、昭和のある時期まで
使われていたそうです。
石組み
 溝跡から石組みの遺構も、発見されました。伝承によると、
この付近に江戸時代、屋敷があったそうです。もしかしたら
この石組みは、その屋敷に伴うものだったかもしれません。
 南側の低地部では(上の写真の右方向)では、As-B下水田
(平安時代の耕作面)と溜井(ためい)が2基、溝跡が11条が
発見されました。溜井とは、湧き水を利用した灌漑用の井戸
のことです。

溝跡
 続いて、富田宮下遺跡B区です。現在、ここには北側に調
査事務所が建てられ、南側を調査中です。今までのところ、
奈良・平安時代の竪穴住居跡が3軒、掘建柱建物が1棟が
見つかっています。さらに上幅が最長で2.5mの溝跡が、見
つかりました。南北と東西の方向にほぼ直角に曲がってい
ます。これは、上で述べた屋敷に伴う外堀ではないかと考え
られます。


 大きな溝の西側では、旧石器時代の試掘調査が行われています。鋤簾(じょれん)でロームの土を薄く削っていきます。石器の剥片を探すために注意深く行われます。現在までにチャートの石核、剥片が数点、暗色帯と呼ばれる層から発見されています。群馬県の場合、チャートが石材に使われています。チャートは、栃木県の足尾山地および渡良瀬川流域を原産地とするのものが多いそうです。暗色帯は、褐色のローム層の中で他より一段黒い層です。暗色帯にはAg-KLP(赤城−小沼ラピリ)と言われるテフラ(火山灰)が含まれています。赤城−小沼(この)ラピリは、今から25,000年前に赤城の小沼ができたときに降ったテフラとされています。石器
旧石器試掘
旧石器全景

 さらに試掘調査を続けました。すると、西毛の三
波川周辺で産出する「黒・緑雲母片岩」がB区の広
い範囲で見つかりました。西毛と交流し、結びつき
が強かったと考えられます。






 富田宮下遺跡のC区は、台地上に位置しています。他より小高く見晴らしがよいです。標高が約100mです。12月16日現在までに弥生時代から平安時代にかけての竪穴住居跡38軒が調査されています。

 C区の竪穴住居跡で特徴のあるものを紹介します。下の住居跡は、住居の床面の上にAs-C(浅間C軽石)が層状に堆積しています。十文字のベルトの壁(写真の正面側)を見ると、白い軽石が下に入っているのがわかります。住居跡を調査する場合、ベルトを残し、その住居跡が、どんな土や火山灰などで埋まったのかを記録します。この住居跡は、As-C(浅間C軽石)で埋められています。ということは、As-Cは4世紀の半ばに降ったものとされているので、この住居跡で、As-Cの降下前に、人々が生活していたと考えられます。古墳時代前期の住居跡です。
精査作業
竪穴住居跡  移植ごてで、少し
  ずつ下に掘り下
  げていきます。





 この住居を掘り下げていくと、右のよう土器土器
な土器が見つかりました。文字がなかっ
た時代を知る上で、「その土器がいつ作
られたのか」を調べまとめたのが、「土器
の編年表」です。編年表は、歴史を学ぶ
ときの年表と同じものです。土器の特徴
を、時期や地域ごとに細かく分類し、年
代順に整理してあります。編年表を見る
ことで、右の土器の作られた年代がわか
ります。

主な参考文献 「地域をつなぐ 未来をつなぐ ―上武道路埋蔵文化財22年の軌跡」
          平成7年3月 群馬県教育委員会  群馬県埋蔵文化財調査事業団
          資料集「赤城南麓の歴史地震」 ’91年 群馬県新里村教育委員会




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