30日 水曜日
依存症と習慣、惰性と負荷はやっている事柄やその結果によって呼び方が異なるようです・・・
29日 火曜日
以前特集してくれたドイツのJazzrock TVから連絡がありました。
『私達は今イベントのためにとても忙しいですが、でも君と一緒に音楽を作る時間を必ず見つけるのでそれまで待っていて下さい。』
との事でした。彼らも本当に物腰が柔らかくて優しい人達です。それにしても俺は最近ちょっと国際的になっているのでしょうか・・・
毎日特に何も変わる事無くむなしく時間だけが過ぎていますが・・・
28日 月曜日
現在取り組んでいるSome Skunk Funkですが、その作曲者のRandy Breckerから先程メールが届いて『君のドイツの番組も見たし、勿論君のSome Skunk Funkも聞いてみたいよ。それにそれは私にとっても、とても名誉な事だからね。』との事でした・・・
ラテン・ピアノの大御所のMichel Camiloまで俺のHumpty Dumptyを見て興味を持ってくれた様子で少しだけやりとりをしたり・・・
とにかくどうせ俺は運が無いので特に何も無かったと思ってSome Skunk Funkを仕上げて行く事にします・・・
27日 日曜日
空中ブランコ乗りのキキ
そのサーカスで一番人気があったのは何と言っても空中ブランコ乗リのキキでした。
サーカスの大テントの見上げるように高い所をこちらのブランコからあちらのブランコヘ三回宙返リをしながらキキが飛ぶとテントにぎっしりいっぱいの観客はいつも割れるような拍手をするのです。
「まるで、鳥みたいじゃないか。」
「いえ、どちらかと言うとヒョウですね。」
「いや、お魚さ。鮎はちょうどあんな風に跳ねるよ。」
人々はみんなキキの三回宙返りを見るためにそのサーカスにやって来ました。どの町へ行ってもキキの評判を知っていて、だからそのサーカスはいつでも大入り満員でした。
「なあ、キキ…。」
団長さんは、いつも言っておりました。
「おまえさんは世界一のブランコ乗りさ。だってどこのサーカスのブランコ乗りも二回宙返りしか出来ないんだからね。」
「でも団長さん。いつか誰かがやりますよ。みんな一生懸命練習をしていますもの。そうしたら私の人気は落ちてしまうでしょう。」
「心配しなくてもいい。だれにも三回宙返りなんて出来やしないさ。それにもし誰かがやり始めたらお前さんは四回宙返りをして見せればいいじゃないか。」
「四回宙返りを?出来ませんよ。練習してみましたが、三回半がやっとなんです。本当に鳥でもない限り四回宙返りなんて無理なんです。」
キキは人々の評判の中でいつも幸福でしたが、誰か他の人が三回宙返りを始めたらと考えると、その時だけ少し心配になるのでした。
「その時は団長さんの言う通り四回宙返りをしなければいけないのだろうか…。」
キキはサーカスの休みの日、誰もいないテントの中で何度か練習をして見ました。でもいつももう少しというところでブランコに届かずに落ちてしまうのです。
練習の時には落ちた時の用心に下に網が張ってありますが本番の時にはそれがありません。キキのお父さんも空中ブランコのスターだったのですが三回宙返りに失敗して落ち、それがもとで亡くなったのでした。
「およしよ。」
練習を見に来たピエロのロロがキキに言いました。
「四回宙返りなんて無理さ。人間に出来る事じゃないよ。」
「でも誰かが三回宙返りを始めたら私の人気は落ちてしまうよ。」
「いいじゃないか。人気なんて落ちたって死にやしない。ブランコから落ちたら死ぬんだよ。いっそピエロにおなり。ピエロならどこからも落ちやしない。」
「人気が落ちると言う事は、きっと寂しい事だと思うよ。お客さんに拍手してもらえないくらいなら私は死んだ方がいい…。」
キキのいるサーカスがある港町のカーニバルにやって来た夜の事でした。キキはサーカスを終えて一人波止場を散歩しておりました。波止場の片隅に痩せたおばあさんが一人座ってシャボン玉を吹いております。
「こんばんは。」
「ああ、こんばんは。ブランコ乗りのキキだね。」
「そうです。今夜の三回宙返りは見てくれましたか。」
「いいや、見なかったよ。」
「そうですか。おしい事をしましたね。今夜は特にうまくいったんです。飛びながら自分でもまるで鳥みたいだって思えたくらいなんですからね。」
「みんなもそう言っていたよ…。」
おばあさんは相変わらずシャボン玉を吹きながら遠くカーニバルのテントの建ち並ぶ辺りでついたり消えたりしている赤や青の電気を見ておりましたが急にキキの方に振り向いて言いました。
「お前さんは知っているかね?」
「何をです?」
「今夜この先の町にかかっている金星サーカスのピピが、三回宙返りをやったよ。」
「本当ですか。」
「とうとう成功したのさ。見事な三回宙返りだったそうだよ。」
「そうですか…。」
「その評判を書いた新聞が今、定期船でこの町へ向かって走っている。明日の朝にはこの町に着いてみんなに配られる。お前さんの三回宙返りの人気も今夜限りさ…。」
「そうですね…。」
「そうだよ。明日の晩の拍手は今夜の拍手ほど大きくはないだろうね。」
「でもね、おばあさん。金星サーカスのピピがやったとしても、まだ世界には三回宙返りをやれる人は二人しかいないんですよ。」
「今まではお前さん一人しか出来なかったのさ。それがピピにも出来るようになったんだからね。お客さんは、それじゃ練習さえすれば誰にでも出来るんじゃないかな、って考え始めるよ。」
キキは黙ってぽんやりと海の方を見ました。しかし間もなく振り返ってほんのちょっと微笑んで見せると、そのままゆっくり歩き始めました。
「おやすみなさい。おばあさん。」
「お待ち。」
キキは立ち止まりました。
「お前さんは、明日の晩四回宙返りをやるつもりだね。」
「ええそうです。」
「死ぬよ。」
「いいんです。死んでも。」
「お前さんはお客さんから大きな拍手をもらいたいという、ただそれだけのために死ぬのかね。」
「そうです。」
「いいよ。それほどまで考えてるんだったら、お前さんに四回宙返りをやらせてあげよう。おいで…。」
おばあさんは傍らの小さなテントの中に入り、やがて澄んだ青い水の入った小瓶を持って現れました。
「これをやる前にお飲み。でもいいかね。一度しか出来ないよ。一度やって世界中のどんなブランコ乗りも受けた事のない盛大な拍手をもらって…それで終わりさ。それでもいいなら、おやり。」
次の日その港町では金星サーカスのピピがついに三回宙返りに成功したという話題で持ちきりでした。でも午後になるとその町の中央広場の真ん中に大きな看板が現れました。
「今夜キキは四回宙返りをやります。」
町の人々はいっせいに口をつぐんでしまいました。そしてその看板を見た後ピピの事を口にする者は誰もいなくなりました。夕食が終わるとほとんど町中の人々がキキのサーカスのテントに集まって来ました。
「おい、およしよ。死んでしまうよ。」
ピエロの口口がテントの陰で出番を待っているキキに近づいて来てささやきます。
「練習でも、まだ一度も成功していないんだろう?」
陽気な団長さんまでが心配そうにキキを止めようとします。
「大丈夫ですよ。きっとうまくゆきます。心配しないで下さい。」
音楽が高らかに鳴ってキキは白鳥の様に飛び出して行きました。テントの高い所にあるブランコまで縄ばしごをするすると登って行くとお客さんにはそれが、天に登って行く白い魂の様に見えました。
ブランコの上でキキはお客さんを見下ろして、ゆっくり右手をあげながら心の中で呟きました。
「見てて下さい。四回宙返りはこの一回しか出来ないのです。」
ブランコが揺れる度にキキは世界全体がゆっくり揺れている様に思えました。薬を口の中に入れました。
「あのおばあさんも、このテントのどこかで見ているのかな…。」
キキはぽんやり考えました。しかし次の瞬間キキは大きくブランコを振って真っ暗な天井の奥へ向かって飛び出していました。
ひどくゆっくりと大きな白い鳥が滑らかに空を滑るようにキキは手足を伸ばしました。それが鞭の様にしなって一回転します。
また花が開くように手足が伸びて抱き抱える様につぼんで…二回転。
今度は水から跳び上がるお魚のように跳ねて…三回転。
お客さんは、はっと息を飲みました。しかしキキはやっぱりゆるやかにヒョウの様な手足を弾ませると次のブランコまでたっぷり余裕を残して四つ目の宙返りをしておりました。
人々のどよめきが潮鳴りの様に町中を揺るがして、その古い港町を久しぶりに活気づけました。
人々はみんな思わず涙を流しながら辺りにいる人々と肩を叩き合いました。でもその時、誰も気付かなかったのですがキキはもう何処にもいなかったのです。
お客さんがみんな満足して帰った後、がらんとしたテントの中を団長さんを初めサーカス中の人々が必死になって捜し回ったのですが無駄でした。
翌朝サーカスの大テントのてっぺんに白い大きな鳥が止まっていて、それが悲しそうに鳴きながら海の方へと飛んで行ったと言います。
もしかしたらそれがキキだったのかもしれないと町の人々は噂しておりました。
The End
俺も同じ事をするのかも知れませんね・・・
26日 土曜日
もしも人の人生にとやかく口を挟んでくるような奴に出会ったなら、そんな奴等の言う事は一切聞く必要はありません。
もしもそいつの言う事が本当に正しいのなら、そいつ自身にそれだけのスキルがあり、そしてすでにそれだけの結果を持った人間になれているはずですからね。それにそんな奴等はどうせ何の責任も取ってくれないし時間も絶対に戻りません。
クズがクズのままで一生が終わるのは口だけだからですよ。俺にしてもこれまでにそんな口だけのクズどもに散々心無い言われ方をされて来ましたからね・・・
そしてもしも人の人生に一切口を挟む事もなくいつも笑顔でいる人に会ったのなら、その人の話を聞いてみるのも良いかも知れませんね・・・
25日 金曜日
とりあえずSome Skunk Funkの譜面が仕上がりました。
ただ何分にも今はギターと簡素なピアノしかないのでどうしようか悩みましたが、ギターを何本か重ねた方が少しは原曲のイメージに近づけるような気がしたので簡単なピアノのコードとギターを少し重ねる事にしました。
原曲のテンポはそんなに速くないので俺もそれぐらいのテンポでやろうと思っていましたが、彼らのライヴのテンポでも何とかなりそうなのでテンポを上げる事にしました。
まだ仕上がるまでには指に覚えこませたり、ある程度のソロのラインを考えたり等時間がかかると思いますが、例によって俺っぽく仕上げるので今しばらくお待ち下さい。
24日 木曜日
例によってまた海外ですが、こんな無名な俺に対して時々(君のギター・スタイルは君ならではのオリジナル・スタイルだよ。もっと自信を持ちなよ!)等と涙が出そうに嬉しい言葉を送ってくれる事があります。
俺の課題は技術と理論とそしてオリジナリティの融合ですが、それらにずっと拘ってそのためだけに生きて来て、それが今になってやっと少しずつですが世界の色々なところの人達にそう言ってもらえるようになって来ました。
でもその半面では間もなく46歳にもなる俺が再び大きな夢を叶えるための時間が後どれだけ残されているのかなと思いながら毎日悲しく時間が流れています・・・
人生でたったひとつの事に賭けて生きると言う事は、少なくても俺にとってはテレビや雑誌等で見るほど美しい事でも輝かしい事でもありません・・・
どれだけバカみたいに節制をして努力をしていても、肩書きみたいなものが無ければあかの他人やド素人にまでボロクソに言われるのがこの世の中のようです・・・
だから俺は人付き合いをしなくなったのだと思います・・・
23日 水曜日
フロリダからAir Mailが届きました。
その差出主と実際にはまだ会った事はありませんが、それでも(あなたは私の大切な友達だから)と言って時折送ってくれます。
俺は昔から何故か初対面でも目の敵にされたりその反対にとても親切にされる事があり、勿論俺にしても礼儀作法等は自分なりに気をつけているので、誰に対しても丁重に接するようにしていますが、それでも不思議と極端な扱いを受けます・・・
例えば以前アメリカを行き来していた頃 DELTA 航空の日本人スチュワーデス(当時はそう呼んでいました)にまで散々小ばかにされた扱いを受けた事があり、それ以降二度とDELTA 航空を利用するのはやめました。
ボクシングのライセンスを剥奪された事と言い、Ithamara Kooraxに認められた以外は何一つ無いどころか時にはド素人にまでコケにされる俺の音楽人生と言い、最近では自分の人生パターンみたいなものは、中間が無くて極端なのだろうな等と思うようになりました・・・
22日 火曜日
ギターの生徒もボクシングの練習生も、せっかく戻って来ても結局はそのほとんどがみんな同じスタンスで取り組んで、そして同じやめ方をして行きます。
勿論やめる事に対して一切の不満や文句等はありませんが、せっかくの思いで気持ちを入れ替えて戻って来たのなら、せめてやめる時には一言ぐらい伝えてから去って行って欲しいと思います。俺にしても決して軽い気持ちで接していないですからね・・・
何十人もそんな人間に出会うと、やはり人はよほどの事でも起こらない限り変わらないものなのだなとつくづく思います・・・
そしてそのよほどの事は滅多に起こる事はないので、だからこそ人は特に何も変わる事もなく自分の求めている事が出来なくなった頃になって初めて我に返るようです・・・
(あの時やっておけば・・・)等と言う言葉は未来の自分にとって何の意味もなくて、そしてただ無念な言葉だと思います・・・
21日 月曜日
ギターを弾く事とギターを練習する事とは全く意味が異なります。
音楽を勉強する事とギターを練習する事も全く意味が異なります。
それに気付かなければただの暇つぶしで終わりますよ・・・
20日 日曜日
現在はSome Skunk Funkと言う曲と戦っていますが、ただ何分にもギターと簡単なピアノだけで仕上げるのでどういった形にしようか検討しています。
JazzやBossa Nova系の音楽の場合はまず最初に分析から始めてソロやアレンジ等の作業に取りかかって行きますが、分析をしていると例えばHumpty Dumptyでは作曲者であるChick Coreaの当時の時代背景等を何となく想像する事が出来たり、
今取り掛かっているSome Skunk Funkに関してもBrecker Brothersの当時の時代背景や、兄弟で色々と試しながらお互いに切磋琢磨して耳と技術を鍛えて来た事が感じられます。
分析をして見るとこのSome Skunk Funkのヴォイシング等がもの凄く洗練されている事を痛感しますが、でももしも彼らが兄弟ではなく単独で音楽をやっていたのなら果たしてあの時代にここまでの域に到達出来たのかな等と勝手に思ったりします・・・
ある理論書に(共に学べる仲間を探しましょう)と書かれていましたが、今の俺にはその意味が良くわかります。ずっと同じ事を繰り返して同じポジションにいる人間と一緒にいたら自分も何も変われないですからね・・・
例えば、俺はギターを始めた当初Smoke On The Water等のハード・ロックからコピーしましたが、それが20年経っても同じ様な事をやっていたらそのレベルで人生終わりですからね・・・
俺は暇つぶしのために人生の全てかけてギターを選んだ訳ではないですから・・・
19日 土曜日
以前ここで(千里の道も一歩から)の話を書きましたが、ボクシングを始めてから実際にどれだけの距離を走ったのか正確に記録をしている訳ではないので詳しくはわかりませんが、
それでも2012年から記録するようになり、気付いてみたらこの2年と3ヶ月半でその1000里にあたる約4000キロを超えて4067キロを走っていました。
勿論4000キロは楽な距離ではありませんが、それでも今の俺にとって(千里の道も一歩から)と言う例えは、決して手の届かないたとえではなくなっているようです。
そんな事をボクシングの練習生に話したら(母を訪ねて3000里ですね)等と言われましたが、そう考えるとまた振り出しに戻されたような気分になりましたが、でもやはり人は少しずつコツコツとやって行くしかないような気がします・・・
そして長い歳月をかけて色々な思いをしながらそれらを乗り切って生きた結果として、心が強くなったり人に優しくなれたりするような気がします・・・
18日 金曜日
Mike Varneyとやりとりをしていたらこんな写真も送られて来ましたが、これは俺の2ndアルバムの裏ジャケットです。
以前彼が送って来てくれた俺の3rdアルバムを持っている写真と言いこの2ndアルバムの写真と言い、とにかく急いで彼に(どうかそれらのCDは聞かないで欲しい)と返信をしましたが(笑)、
でもそれと同時に冷静に考えても見ればある意味で俺のギター・スタイルは、彼とJazzが作ったとも言えるのでメールにその事も一筆添えておきました。
俺がJazzやBossa Novaを聞き始めた頃に吸い込まれるようになって聞いていたIthamara Kooraxと言い、ギターを始めた頃に夢中になって聞いていたGraham Bonnnetと言うかAlcatrazzと言い、俺に大きな影響を与えてくれた人達やレーベル関係の人と10年とか20年、または30年の歳月が流れた今になって、こうやってやり取りをしているのが我ながら不思議です・・・
そう言えば俺は確か中学生の時にDuran Duranのコンサートに行った事がありましたが、そのDuran DuranはFernanda Takaiとよく一緒にコンサートをやっていたりするので何だか変な感じがします・・・