2020年 10月

31日 土曜日

12月のコンサートとは別に現在クリスマス・ソングをレコーディングしていますが、出来たら一応マイアミテレビのプロデューサーにも送る約束をしたら楽しみにしているとの事でしたが、同時に少し体調も良くないとの事でした。確か70歳を過ぎているので少し心配ですが・・・
それからGrahamからは、この辺も良くなって来ているよ。レコーディング楽しんでね。と一言連絡をくれました。マイアミテレビのプロデューサーと言いGrahamと言い俺なんかにはもったいないほどありがたい存在ですね・・・

30日 金曜日

今から20年以上前に作った曲ですが、意外と海外の方で評判が良く次のCDに収録しようかと考え始めています。
BassのJorge Pescareに関しては以前彼の方からこの曲はCDに収録しないのと聞かれた事があったり、ドラムのSallaberryに関してもこの曲をレコーディングする事に了解を得ています。
ただ、彼らの協力はとても心強いのですが、人様に頼むと必ずと言っていいほど自分のイメージとずれた方向に仕上がるので、スタンダード等の場合はあまり問題は無いようですがオリジナルの場合にはやはりそれでも自分で全て仕上げた方が良いようです・・・
それで問題は俺のドラムマシンが30年近くも前の物なので相当限界があり、だからと言っても今から新しいものを買って使いこなせるまでに相当時間がかかると思うので、ここは何とか古いドラムマシンを使ってドラムからベースに至るまでUntil we meet again同様に全て自分で仕上げて見ようかと思っています・・・
どちらにしてもいい加減新しいドラムマシンを購入して少しずつ使い方を覚えて行かなくてはなりませんね・・・
それから何分にも20年以上も前のアレンジなので、特に難しいコード進行ではありませんがそれでも若干コードとリズムを変更しなくてはなりません。
とにかくそれらが全てうまく事が運ぶよう祈っていて下さい。

Kind of Funk (2001 jan 21th) by Mamoru Morishita

29日 木曜日

2ndアルバムを作った時の別テイクです。 収録日が1995年の8月25日になっていますが、今から25年も前で当時俺が27歳の時ですね・・・
某ジャズ・ミュージシャンがバンドは成長していなければならない等と言っていた記憶がありますが、俺に関しては今はバンドはなくアコーディオンとギターだけで年に一度程度演奏しているだけですが、それでもこの頃に比べて随分色々な事を会得して来た事を感じます・・・
多分音楽と楽器は極めると言う事はやはり無理なのかも知れませんが、それでも52歳になった今でも少しでも自分を高めたいと思いながら毎日を過ごしている俺がいます・・・
後10年もしたらもうこれだけ弾く事は出来なくなって来ると思うので、この10年でどれだけ自分を高める事が出来て、どれだけの事を残す事が出来るかです。
今更物欲等はありません。俺はそのためだけに生きています・・・

Passionate Memoire (25th aug 1995) by Mamoru Morishita

28日 水曜日

少しうとうとしたら先日永眠した犬がまた夢に出て来てくれましたが、早くもこれで6度目です。
ただ今回は起きたら部屋に飾ってあるこの写真が何故か少し傾いていました・・・
何か伝えたい箏でもあるのですかね・・・

27日 火曜日

最近マラソン・コ−スで時々鹿を見かけますが、また3匹いて何とか1匹オスを撮影出来ました。
既に3,4回会っていますが、その鹿も遠くから俺を眺めていて鹿も俺の事をそろそろ覚えてくれましたかね?

鹿 10月26日 月曜日

26日 月曜日

今年の5月から読んでいる理論書のおかげで少しはヘ音記号にも慣れて来たようです。
さすがにト音記号とヘ音記号を同時に読む事等はまだまだ無理ですが、それでも読み始めの4カ月前よりもかなり抵抗がなくなって来ました。
俺のような才能や恵まれた体や環境等のかけらもない人間にでも真面目に負荷を掛け続けていれば努力は味方をしてくれるようですね・・・
俺は20年前には譜面は全く読めませんでした。音楽理論にしても真面目にやり始めたばかりでした、基礎技術にしてもこの20年で上がっていると思います。
キーワードは負荷を掛け続ける事だと思います。人はやれば出来ると思います。今の俺にはそんな気がします・・・

25日 日曜日

音楽は趣味でやっているならともかく、もしも高いところを目指しているのならどこまで自分に厳しく接するしかありません・・・
音楽には主に2通りあり1つには純粋に楽器のスキルを上げる事と、それからあと1つには理論があり、それらを攻略そして音楽の可能性を追求する事だと思います・・・
単に音数が多いだけとか単に感情表現がどうだとか、勿論語る専門のクソ下手なジャズ・ギターリスト等に心を動かされる事等俺は絶対にありません・・・
近道なんかはありません。その道のりは本当に長いですが、でもそれらを身に付けた先にはそれらを理解してくれる人達が必ずいると思います・・・

24日 土曜日

元々Songbookの音源は俺が30歳頃に作ったUntil we meet againと、Ithamara Koorax用に作った数曲以外は全てプロダクション用に作った曲でしたが、Until we meet againをリリースするにあたり、折角なのでそのプロダクション用に作った曲を収録する事にしました。
それで多くの曲がスタンダード進行で作曲しましたが、最近の俺はキー・チェンジやノン・ダイアトニックは勿論、メロディーにテンションを使うのもひとつの特徴だったりします。

23日 金曜日

右腕が治るどこらか少し酷くなって来ているようです・・・
今のところはギターを弾くのに特には問題は無いようですが、でももしもの事を考えるとぞっとしますね。それこそ俺の一生が終わりますからね・・・

22日 木曜日

12月6日のコンサートのチラシの裏面です。
SallaberryのCDに関しては同じ曲だったり、(ほ・た・る)のCDに関してはシングルだったりとで、実は俺はあまりメジャーでCDは出ていませんが、それでも何とかそれっぽいディスコグラフィーになって来たようです。
現在制作中のCDではゲストに再びIthamara Kooraxとそして更にPaul ShortinoとJosi Diasも参加予定なので、このまま行けば来年のこれらのチラシ等にはここに更に彼らも追加される事と思います。
俺のギターに対して世界各国のスーパー・シンガー達が歌ってくれる等とは、ギターに出会った頃の俺には想像も出来ませんでしたが・・・
それこそスポンサーでも付いてくれれば普段一番やり取りをしているGraham Bonnetのゲスト参加もあるのですが・・・
そのGrahamにしても『Jazzは良いよね。』と言って条件をくれましたが、残念ながら今回は見送る事にしました・・・
俺は後どれだけの事を成し遂げる事が出来ますかね・・・

21日 水曜日

ここのところ調子が悪い右腕の力こぶのあたりですが、自己暗示をかけて『良くなっている。』と言い聞かせていましたが、やはりなかなか治ってくれませんね。一時的な事なら良いのですが・・・
それからマラソン中にまた野生の鹿に逢いました。前回と同じエゾシカで今回2匹のオスでしたが、多分今シーズン同じ鹿達が山から下りて来ているのだと思います。

20日 火曜日

犬が永眠してから40日が過ぎましたが既に5回も夢に出て来てくれました・・・
いつも父親が散歩をして食事を与えていたので永眠する当日、父親の帰りをずっと郵便受けのところで4本足で立って待っていましたが、ほんの一瞬目を離したら倒れていて急いで駆け寄って体を触ったら既に心臓は止まっていて、倒れる寸前まで、心臓が止まるその寸前まで父親の帰りをそこで待っていました・・・
子供の頃から何度か犬がいた事かありましたが今回初めてこの犬に(お手)を教えました。永眠する前日に調子が悪い事に気付いた両親が病院に連れて行き病名が分かり点滴を打って帰って来たら、それでも少しだけ元気が戻って何とか少しだけ食欲が戻ったので、お手をしながらその犬の好物だった食べ物を上げましたが、今思えばその生涯最後の(お手)は、今までありがとうのお礼の握手の(お手)だったように思います・・・
目を開けたまま死んでいたので、そっと目を閉じてやり、雨に濡れないところに連れて行きました・・・
もうこれ以上は絶対に動物を飼わないように強く親に伝えておきました・・・

19日 月曜日

俺に知名度がないためなかなかコンサートも人が集まりませんが、それでもいつもお世話になっているお店のセレストのスタッフの人達や古くからの楽器屋の人達等皆さん親身になって応援してくれます・・・
14歳の冬に偶然ギターに出会ってしまい、それが52歳の今になってもまだ毎日練習をしていて、まだ人生の全てをギターに捧げていて、今では自分でも頭がおかしいのが良く分かります・・・
自分に納得したいと思ったのでこれまで全てをギターに捧げて生きて来ましたが、多分それはこれからも変わらないと思います・・・
ギターに出会って良かったのかどうかはいまだによくわかりませんが、でも何よりも努力を大切に生きて来た事に一切の悔いはありません・・・
最後に俺は何を思うのですかね・・・

18日 日曜日

12月のコンサートは人数も勿論ですが、まだコロナもどうなるのか分からないので何とも言えませんが、どちらにしても俺達は練習をしておかなければなりません。
とにかく無事そこで皆さんにお会い出来る事を願っています。

12月6日(日曜) 豊川市セレスト

17日 土曜日

12月6日のコンサートのチラシが出来上がって来ました。参加希望の方はご連絡下さい。
Tel 0533-93-6944

16日 金曜日

右腕の方はピークを越えたようですが、何故だか今度は両足のふくらはぎの辺りがあせもか何かでかぶれて来ました・・・
元々皮膚が弱く子供の頃から急にかぶれて病院に行っても原因不明だったり、日焼けで皮膚がただれたり等が時折あり、今年の夏にも一度そのあせもが原因なのか結構な範囲でかぶれました・・・
それでもとにかく最近は体調自体はとても良いので健康に感謝です。

15日 木曜日

右手の力こぶが少しおかしくて力が入り辛くなっています・・・
思い当たる事と言えば日曜に軽くスパーリングをやったので、どさくさに変な打たれ方でもしたのですかね・・・
単にそれだけなら良いのですが・・・

14日 水曜日

ヨーロッパのギターリストが俺の(ほ・た・る)のCDを持っているとの事でした・・・
それも全てスーパー・シンガーIthamara Kooraxのおかげですが、そのヨーロッパのギターリストに俺のロック仕込みのジャズ・ギターはどう響いていますかね・・・
俺に関しては自分がロック・ギターリストだとかジャズ・ギターリストだとかそんな事全く気にしていないし、多分そのどちらでも無いと思います。特に好きなギターリストがいる訳でも無いしそんな事どうでも良いです・・・

13日 火曜日

Sachaにマイアミテレビのプロデューサーの事を話して伝えたら彼女が『どうやって彼らと知り合っているの?』と聞かれましたが俺だって知らないですよ・・・
何故か相手が俺の事を知っていて急に、君は素晴らしいから全米ツアーだとかケーブルテレビで全世界放送等と言ってくるので、俺の方こそ何で知っているのか聞きたいですよ・・・・
そう言えば世界的に有名なフランスのJazz専門誌Jazz Hotの関係者を紹介したり、アメリカのSonyのプロデューサーを彼女に紹介した事がありましたが・・・
とにかく早くコロナが終わってくれなければ何も始まりそうも無いですね・・・

12日 月曜日

ボクシンクのライセンスを剥奪されてから数年の間は特に何の目標もなくなってしまったので短距離を週一程度で現状維持で走っていましたが、やはり思い直して新たに地球一周程度の距離を走る事に目標を変えてからは多少の雨でも週6日のペースで走って来ました。
それがここのところ結構な雨のおかげで3日間走るのはお休みしていて、考えても見たら思い直して真面目に走るようになったこの10年近くで続けて3日走らなかった事は無かったように思います・・・
走り続けたからと言っても50歳を過ぎた俺が何かが変わる訳ではありませんが、やはり人は良くも悪くも変われないようですね・・・
続く人間は続くし、続かない人間は続かないし、ずっと惰性で続けている人間とずっと負荷を掛け続けている人間等・・・・
ただ、夢を叶えられる人間に関しては、運の良い人間か、ずっと負荷を掛け続けている人間だと思います・・・

11日 日曜日

先日Van Halenが亡くなりましたがこんな絵を見付けました。
俺達レコードで育った人間にはこの意味が良く分かりますが、俺はこの時ポカをやって33回転のレコードを45回転で再生して(再生速度がとても速くなります。)それで聞いたので余計に驚きました。(笑)
彼に関してはそのタッピングだけではなく、ストラトに無理やり自分でハンバッカーを載せて見たり、もっとハイ・ゲインにするためにアンプのヘッドを2台繋いでよく火を噴いていた等の話まで聞いた事がありましたが、今ではそのどれもが普通になっています・・・
その彼からしばらくしてYngwieが出て来て、そして間もなく俺が育ったMike Varneyの時代に入って行きますが、それが今ではそのMikeも俺の友達で更には俺のガラケーに彼の住所まで入っているなんて我ながら不思議だなと思います・・・

10日 土曜日

マラソン・コースで再び鹿に逢いましたが、今度は黒くてお尻が白い鹿だったのでネットで調べたらエゾシカとの事で、鹿にも種類があり日本だけでも6種類程いるようです。俺を見て逃げてくれたから良かったですが、こっちに向かって来たらどうすれば良いのですかね・・・
それから先月永眠した犬がまた夢に出て来てくれました。これで3度目ですが1度目の夢は撫でてあげる事が出来て、2度目は苦しそうでしたが、3度目は台所でウロウロしていました。
目に見えくなっても今でも台所辺りでウロウロしていてくれると良いですね。

Ichiko-chan (4th mar 2017)

9日 金曜日

今年は志村けんさんが亡くなり、先月は家の愛犬、そして今度はVan Halenまで亡くなりました・・・
今日はこれ以上何も書くのはやめておきます・・・

R.I.P.Mr.Revolution (EDDIE VAN HALEN) 7th Oct 2020 by Mamoru Morishita

8日 木曜日

現在課題としてPat MethebeyのHere to Stayに取り掛かっていますが、単に自分への課題として取り掛かっているだけなのでギター2本だげで仕上げようと思っています。
ただそれでも冒頭のテーマの部分はやはりキーボードの方が良いかな等と思ったり、どう仕上げようか頭を抱えながら取り掛かっています・・・
Jazz等の音楽の場合この(頭を使う作業)がとても大切で、そのひとつにトランス・クライヴなんかもあったりしますが、これらの頭を使う作業をやっている間は当然ギターのスキルは全く上がりません。そしてその反対に反復だけやっているとそれこそいつまで経ってもトライアド音楽から抜け出せないままになってしまいます。これらのバランスを自己管理して日々過ごすのはやはりとても難しいように思います・・・
勿論万人に気に入ってもらう事は無理ですがそれでもJazz畑の人達が納得出来て、そして現代のロックの人達が見ても納得出来て、それからアレンジ等も出来てそして更に個性があるプレイヤー・・・
俺が目指しているのはそのポジションです・・・

7日 水曜日

Grahamから連絡がありレコーディングは順調との事でした。
俺の方はとりあえずギターは録り終えて残りはアコーディオンのソロ1曲だけでしたが、虫が鳴き始めたので一旦きりにして、12月のコンサートの練習に入り始めました。
俺とGrahamに関しては、俺がいつの間にか全く異なるジャンルへ転身してしまった事もありこのまま接点はなさそうですが、それでも著名人達の中で一番やり取りをしているのがIthamara KooraxでもSachaでもなくGraham Bonnetと言うのが何だかとても不思議な感じがします・・・
時折Steve Vaiについて思う事がありますが、彼はアルカトラスに入る前にはかなりフュージョン・サイドにいたように思いますが、それをベタベタのスケール一発の単純な音楽にどう割り切ってやる気になったのかな等と思う時があります・・・
決して多くはありませんが、実は俺にしてもかつて武道館クラスの有名な日本のバンドからギターリストが脱退したため俺に加入の話しがありました。
でも当時のレーベルのオーナーは俺の性分も充分知っていたので『森下君、某バンドのギターリストが脱退したので後釜を探しているけれど森下君はやらないよね!?』と条件と共に話が来た事があり、そして勿論俺は即答で断りました・・・
当時の俺は若かった事もあるでしょう。それと俺は自分のスキルに納得したかったので自分のために時間を優先する事を選びました・・・
そのバンドは俺達世代の人達なら多分名前ぐらい聞いた事があると思いますが、もし仮に一時でもそのバンドに加入して30歳手前でメジャーで活躍していたら俺の人生はどうなっていたでしょうね・・・
多分ここでボクシングはやっていなかったと思うので、おのずと今いる人達にも出会っていなかったでしょう。音楽学校で教える事もなかったと思うので今いる生徒達にも会う事もなかったでしょう・・・
もしかしたら今よりはまだ少しは生活がまともだったのかも知れませんが、でもIthamara KooraxやSacha達に出会えていましたかね??

6日 火曜日

人の命に係わる事なので今まで表に出すのはやめていましたが、あれから随分と時間が経ったのでそろそろ彼女も許してくれるかなと思いシェアする事にしました。L.A.のプロモーターのGinaが亡くなる30時間前の写真との事です。
今では毎日のようにやり取りをしているGraham Bonnetですが元々はこのGinaが繋げてくれた御縁です。更には晩年Ginaが再び俺にアメリカのロック・シンガーのサポートをやらないかと紹介してくれて、そしてそのためには今一度アメリカに行かなければならない事も伝えられ、そのやり取りの途中で彼女は帰らぬ人となってしてまいましたが、そのアメリカのロック・シンガーと言うのがこの写真に一緒に写っているMandy Lionでした・・・
今となってはGinaが彼に俺の事を話したのかどうかはわかりませんが、そんなやり取りをしていた頃の写真です・・・
彼女はもう絶対にメール等読む事はありませんが、それでも今でも時々彼女にメールを送っていて、先日愛犬が永眠した事も伝えておきました・・・
それと相変わらず彼女の電話番号はまだ消す事が出来ないまま俺のガラケーに入っています・・・

5日 月曜日

アメリカの偉大のギターリストに毎年どんな些細な物でも誕生日プレゼントを送っていますが、今年はコロナのせいでまだ送る事が出来ません・・・
彼の誕生日は7月ですが月が替わる度に郵便局に確認を取って聞いていますがやはりまだ送る事が出来ず、それでも一応その事を彼の母親に伝えたら再び返事が届いたので、彼の母に俺は絶対に彼の事は忘れていないし、そして絶対にプレゼントは送る事を伝えておきました・・・
不思議な事に俺の周りにはそんな人達が何人かいます。話のネタにはしたくないので詳細は避けますが、でもそんな人達と接していると国等に一切関係なくとても丁寧に接してくれます。だからこそ勿論俺も大切に接するようにしていますが、でも本当は誰に対してもそうでなければならないのですけどね・・・

4日 日曜日

今度はスウェーデンのこんなSweetなシンガーとやり取りが始まりました。年内はとても忙しくしているので来年まで待って欲しいとの事でしたが・・・実現しますかね?
更に先日にはハリー・アレンとまでやり取りをして俺の動画を見て共演する事に興味を持ってくれましたが・・・
それからGrahamはひたすらレコーディングをしているとの事でした・・・
俺、後いくつ夢が叶いますかね・・・

AMANDA GINSBURG "Flykten fran vardagen"

3日 土曜日

12月のコンサートに向けて6月頃から譜面作り等をしていて、少し前から練習も始めていますが、今回はリクエストを取り上げたので以前演奏した曲もかなり多いため少しゆとりがあるかな等と思っていましたが、いざ取り掛かって見るとやはり普段演奏している訳ではないので忘れている事も多かったりで再び覚え直さなければならない事が結構ある事に気付きました・・・
今では年に一度のコンサートですが、ただやみくもにコンサートをするのではなく俺達なりに課題を持って取り組んでいるので興味のある人はそんな聞き方をしてもらっても面白いのかも知れませんね。
間もなくまたチラシも出来て来ると思いますが、とにかく俺達の方も当日に向けて仕上げて行きますので宜しければ皆さんも是非足を運んで下さい。
それから今回もありがたくもまたマスコミ関係の方も来て頂ける予定です。

2日 金曜日

わずか数週間前には撫でてあげる事が出来た犬がそれが今ではいなくなってしまって・・・
Graham Bonnetを紹介してくれたL.A.のプロモーターのGinaは、『今から病院に行ってくるから私の無事を祈って下さい。』と言ったまま戻って来なくなってしまって・・・
たった一週間後にはそれまで普通だった存在がもう2度と会えなくなったりします・・
最近では、俺を育ててくれた人やとても気にかけてくれた人達、それから仲が良かった動物達の事を思い浮かべながら走っています・・・

1日 木曜日

早いもので今年も残り3ヶ月となりました。どう生きていても時間なんてあっという間のようです・・・
俺に関しては、残りがとか今年もだとかそんな事に一切関係なく残った自分を高められる時間を大切にそして全力で悔いを残さないように過ごしています。
既に52歳にもなってしまい体が動かなくなってボクシングは出来なくなってしまいましたが、それでもミュージシャンとしては今の俺が最高なので、まだ今のところはあの時に戻りたい等と思う事は全くありません。
あの時に戻りたいと思った時は多分指が動かくなくなって来た時なのだと思います・・・
棺桶に片足を突っ込んだ時に絶対に悔いを残さないために俺は52歳になっても毎日全力で努力と向き合うようにしています・・・
時間は絶対に戻りません。生まれ変わりなんてありません。