2020年 4月

30日 木曜日

コロナの騒ぎの中これで4月が終わります・・・
取りあえず久々にSallaberryのCDの件で日本の音楽雑誌に名前が載り、そのSallaberryのCDが5月8日に発売で、それから間もなく先日の新聞の取材が掲載予定でそれとFM東京もオン・エアー予定です。そう言えばプロダクションも俺のプロモートを今一度やってくれるとの事でした。
マイアミテレビのプロデューサーは残念ながら再び入院をしてしまったとの事でしたが・・・
Ithamara Kooraxに送る音源は既に出来上がっているのですが、肝心の彼女は旅行に行っているとかでしばらく音信不通です・・・
Paul Shortinoは今週レコーディングをすると言っていましたが、あれから結構時間が経っていますが・・・
Josi Diasは以前間もなく作詞が仕上がると言っていましたが・・・
俺の方はアコーディオンのレコーディングが残り1曲で、それが終わり次第キーボードのレコーディングに取り掛かります。
大体こんなところが今見えている予定です。

29日 水曜日

真面目に音楽を勉強するようになるまではロック系のCDばかり買っていましたが(ロックとは言っても今ではやり取りのあるMike Varney関連でしたが・・・)、ある頃から段々CDを買わなくなりました。
その理由は結局どのCDを買ってもペンタトニックやダイアトニック一発で、それらにすぐ飽き飽きしてしまうのと、それといつまで経っても同じレベルの音楽しか聴く事が出来ない自分にもうんざりしていて、ではJazzとは言っても当時の俺は全く知らないし理解も出来なかったので何から買っていいのか分からずそれで結局一切のCDを買えなくなっていました・・・
それである時に思い切ってBossa NovaのオムニバスCDを買ってそこからJazzに入って行きましたが、JazzのCDを聞き始めてそれからわずか1年するかしないかでそれまで持っていたCDのほとんどを売りました。あの時の俺の気持ちは、俺は趣味でやっている訳ではないので、いつまでも自分にとって都合の良い音楽を聴いていてはだめだと思ったからです・・・
それ以来勉強になりそうなJazzのCDを次から次に買い漁り今ではそのCDも膨大な数になりましたが、そんな中には勿論Ithamara KooraxやSacha BoutrousらのCDもあり、そして今では彼女達が参加してくれた俺のCDもあったりします・・・
俺は相変わらず超が付く程の貧乏でミュージシャンとしても表立った活動等全く出来ていませんが、それでも自分が過ごして来たこれまでの人生と言うか努力に対してはそれなりには納得しています・・・
彼女達が俺に協力してくれた事は何事にも代えがたい俺の人生の勲章です。

28日 火曜日

SallaberryのCDの発売まで後10日程となりましたが、ありがたくも引き続いてプロダクションが今度は俺のプロモートをしてくれるとの事で、とりあえずは動画を制作してくれるようでそれに合わせて俺がこれまでにかかわったミュージシャン達の動画を使用して良いかどうか各ミュージシャン達に聞いています。
相変わらず俺はミュージシャンとして全くの無名ですが、それでも考えても見ればこれまでにIthamara Koorax、Sacha Boutrous、Jorge Pescara、Sallaberry Robert、Jaime Aklander、Flavio Medeirosらと共演していて、いつの間にか既に6人もいましたね・・・
そして次のアルバムが完成したら更にそこにPaul ShortinoとJosi Diasの名前が加わる予定です。
最高ですね・・・

27日 月曜日

俺はここのところずっと体調も良くて変なトラブル等にも巻き込まれていなくてとても平和に過ごせていますが、その反対に俺の周りの人達が良くありません・・・
他人様の事なので詳細は避けますが、俺にしても気付いて見ればいつの間にか50歳を過ぎていて、もしかしたらそういう年齢なのかも知れませんね・・・
俺は今とても体調も良くあらためて幸せだなと思いましたが、今は俺が元気なのでそんな人達の何か少しでも力になってあげられないのかな等と思ったりします・・・

26日 日曜日

これは俺が数年前にエアーメールでSachaに送った手紙ですが、『一緒に美しい音楽をあなたの美しい歌声と共に作りましょう。』と書いてありますが、それが今では実現してユニバーサルレコードから発売されています・・・
現在制作中のCDでは再びIthamara Kooraxと、そしてPaul Shortino、それから更にJosi Diasも歌ってくれる予定です・・・
14歳の冬に持った大きな夢をやっと今頃になって少しずつ叶えています・・・

老人が死闘の末釣り上げた大きなカジキマグロはあまりの大きさのために船に載せる事が出来ずそのため船に括りつけましたが、帰る途中でサメに喰われてしまい港に戻る頃には船に括りつけられた大きなカジキマグロの骨だけが残りました。
数日ぶりに港に戻ると心配していた子供が駆け寄って来て
『折角釣り上げた大きなカジキマグロ、ほとんどサメに食べられちゃったね。』と言いました。
老人は子供に向かって『でも得たものも大きいよ。』と言いました。そして老人はそれ以降漁師仲間達からバカにされなくなりました・・・

(老人と海)より

25日 土曜日

Pat MethenyのHave You Heardのソロの部分をちょっと練習がてら弾いて見ました。
この曲と言えばクリーン・トーンで弾くかと思いますが、あえて歪ませて弾きました。そんな事をすると頭の固い信者達には悪く言われるとは思いますが、俺はそいつらのためにギターをやっている訳ではないので文句があるなら自分が俺以上の事をやれば良いだけですよ。たったそれだけの話ですよ。それに俺は吸収はしますが人のマネはしません。マネと吸収は違いますからね・・・
彼のプレイを分析していて2ヶ所ほど気になるところがあり、俺もそれらの(アイデア)を使ってみました。興味のある人は分析して見て下さい。

Have You Heard(Pat Metheny) Solo (17th April 2020) by Mamoru Morishita

24日 金曜日

4月23日発売の「ジャズジャパン4月号」のSallaberryの記事です。一応俺の名前もあります。
無茶苦茶久しぶりに国内の雑誌に名前が載りますね・・・



23日 木曜日

とりあえず次のCDの俺のパートは終わり、随分と気は早いですが現在既にその次の選曲を考えています。
次のCDはJazzやBossa Novaのスタンダードをメインに仕上げる予定ですが、その次には勿論それらのスタンダードも収録予定ですがJazz等の枠を超えて選曲をしようと思っています。
勿論それなりにリハモ等をして俺らしく仕上げる予定ですが、どこに焦点を当てて選曲をして良いのか少し迷っています。
例えば俺の育った時代のポップスだったり、時代を超えて愛され続けているポップスだったり、俺の育ったロックやまたは映画音楽等、いろいろ検討していますが、ただやはりインサイドの音楽にはどうしても限界があり、ヒラメキとは言ってもそう頻繁に良いアイデアが降臨する訳でも無いので、そうなるとやはりJazzのスタンダードに戻ってしまいます。そしてJazzのスタンダードとは言ってもこれまでにそれなりに人前で演奏していてポピュラーなスタンダードにも少し飽きて来ているので。そうなるとだんだんマニアックな選曲になって来ます・・・
俺にしてもJazzを聞き始めて間もない頃はスタンダードとは言っても比較的インサイドに近いものを好み聞いていて、著名人達が良く取り上げるようなスタンダードや解釈には着いて行けなかったのですが、それらポピュラーなスタンダードを大体一通りクリアーして来るといつの間にかインサイドから離れたものや調性の薄いものを好んで来るようになるようです・・・
そうは言ってもあまりにマニアックな選曲では聞く側の立場からするとどうかとも思うし、さて選曲は何をターゲットに選んで行けば良いのですかね・・・

22日 水曜日

今はマラソンとは言ってものんびりと日に6キロ程度しか走っていませんが、ボクシングの2時間と合わせるとそれでも多分1日に20キロ程度の距離は動いているようです。
それでこのコロナのためボクシングがしばらくお休みになり、マラソンの6キロ程度ではあまり眠れなくなっているようです・・・
とりあえずは一応GW明けまでお休みですが、1ヶ月近くもボクシングの練習から離れた事が無かったので、正直縄跳び等の準備運動さえ体がもつのか少し不安になっています・・・
ちなみにウチのクラブならではの縄跳びを含めた6Rの準備運動がありますが、時間にしてわずか18分ですが、入門初日の人達には最初の2Rで動けなくなって無口になります・・・
本当かどうか試してみたい人はボクシングが再開したら門を叩いて見て下さい。1ラウンド3分は意外と長いですよ・・・

21日 火曜日

毎日のようにやり取りしていたGrahamですがこの一週間程全く音信不通で、さすがに今コロナが大変な事になっているので連絡をしたら特に問題はない様でした。
ただどちらにしてもみんな身動きが取れずお手上げ状態の様子です・・・
このままGWに入って、そんな中どさくさに俺はまた一つ歳をとって・・・
とにかくいつまでコロナが続くのでしょうか?

20日 月曜日

マラソンをしていたら他の大きな鳥に襲われていた多分まだ巣から離れたばかりぐらいの鳩を見付けました。
飛ぶ力ももうあまりない様子で近寄ったら泣きそうな顔をしながら俺を見上げていて、よっぽど連れて帰って治るのを待って逃がしてやりたいと思いましたが、これまでに何度か連れて帰っても結局すぐに死んでしまって一度も野生に返す事が出来ず悲しい思いばかりして来たので、外敵に見つからないように足で軽く突いて林の方へ逃がしてやりました・・・
数年前にも小鳥が落ちていて迷った挙句少し撫でてから木の上に置いて帰って来ましたが、その鳥も少し撫でていたら俺になついたのか何か訴えるような目をして俺を見ていました・・・
そして次の日にその辺りを通ったら蛇がいてお腹が膨らんでいたのを見付けて何とも言えない悲しい気持ちになりました・・・
後日その鳩を逃がしたあたりに死骸みたいなものが無い事を祈りながらそこを通りましたが、けがをしている動物や巣から落ちたひな等を見付けた時にはどうすれば良いのかいつも悲しくなりますね・・・

19日 日曜日

去年の6月から読んでいる理論書には特に目の敵にでもしているかのように5度の音を嫌っていてましたが、今回の理論書の攻略の目的のひとつにはヘ音記号に慣れる事もあります。
俺はギターリストなので普段ギターの音域で音楽をとらえていたためさほど5度の音が苦にならなかったのですが、この本の攻略と共にヘ音記号で音域で鳴らしていたら、さすがに5度の響きに(ウっ)となってしまいました・・・
高音部では5度はあまり苦にはならない事もあり、もしかしたらギターの音域ではまだそれほど苦にならないのかも知れません。でも普段鳴らしている音域のオクターヴ下で5度を重ねたら瞬時に拒絶してしまいました。多分この本の著者はその事を(もっとも耳ざわりな響き)と表現していたのかなと思いました・・・
それから他の理論書だったと思いますが、(b13thは2番目に耳ざわりな音である)等と書いてありましたが、最近ではそのb13thも(2番目に耳ざわりな音)と聞こえて来るようになりました。
俺の場合だけかも知れませんが相対音感は鍛えて行くと段々その度数である数字が聞こえて来ます。例えばmaj7とか9や11等が目の前に書いてあるように数字が浮かんで来るようになるようです。

18日 土曜日

Allan Holdsworthが亡くなって早3年が経ったようです・・・
それなりに勉強をして来た今の俺が彼について思う事は、つっぱり通した人生だったように思います・・・
俺の憶測ですが、多分人生の早い段階でギターもろくに弾けない理論オタクに、上からバカにされてものを言われたのだと思います。そのために正規にJazzを学ぶ事をやめて、そして多くの人達(Jazzミュージシャン達)と音楽としてのコミュニケーションが取れず孤立してしまったように思います・・・
例えるなら、Jazzには共通の言語と言うかルールがあります。そしてそれらを長い年月をかけて会得して行けばその言語を知っている人達がそこにいてやり取りが出来るようになります。
でも多分、彼は明らかに自分よりもギターリストとしてのスキルがはるかに劣るのに、それでも彼に対して(理論が、理論が・・・)等とうるさく言って来た奴がいたのではないかなとそんな気がしています・・・
そしてそれがために彼はJazzを学ばずに、自分だけの言語で表現したように思います・・・
俺にしても20代の中頃、ペンタトニックやダイアトニックだけではだめだと思い、他に(何か)が必要だと思い始めていました。
そんな時に、明らかに俺よりもギターのレベルが劣るのにもかかわらず理論の事ばかり語ってくる奴がいて、それで結局俺は正規の理論から離れる事を考えました。その結果として今聞いたら耳をふさぎたくなる様な事を平気でやっていましたが・・・
そんな日々を過ごしているうちに30歳頃から、人に教える機会が多くなり、そして人様に教えるためにはやはり正規の事を伝えなければならなくなり、それを機に真面目に人(理論書)から勉強するようになりました。
最近ではやっとほんの少しずつ色々な人達から声をかけてもらえるようになって来ましたが、でももしもあのままずっと正規に学ぶ事をしなかったら、俺はあのままずっと誰にも認めてもらえず、そして夢を叶える事が出来ずに一生が終わっていたと思います・・・
俺が30代の中頃に受けた新聞の取材で記者に『人生は短いです。』と言ったら鼻で笑われた事がありましたが、単に長生きだけが目標なら人生80年、100年あるかも知れません。でも世界を目指そうと思ったら人生は最初の20年をどれだけ必死に生きるかだと思います・・・
俺は40歳を過ぎてIthamara Kooraxに認めてもらってやっとメジャーデビューしましたが、でもそれは40歳になってから努力をしたのではありません。ギターに出会った14歳の冬から修学旅行以外一切練習をさぼる事なく、そして全てギターを人生の中心に生きて来たからこそそれが40歳を過ぎてやっと世界に追いついたのですよ・・・
40,50歳になってギターを始めても、もう俺には追いつかないですよ。趣味にしかならないですよ・・・イチローはもう終わったのですよ・・・
Allanが亡くなって3年が経った今でも彼の音楽を聴いてくれる人達がいて、そして彼の事を思い出してくれる人達がいますが、俺がこの世から去っても俺の音楽とギターを聞いてくれる人達がいてくれたら良いですね・・・

17日 金曜日

音楽の世界の場合ですが、そこに運が良い人達がいて、その人達に憧れてただやたらと夢を追いかけても一般的にはなかなか夢は叶わないと思います・・・
それでそれならどうするかですが、シンガー等持って生まれた声を持っている人達がいます。そしてその人達が欲しがるようなスキルを身に付けておけば、その人達が必要としてくれるかも知れません・・・
例えば縦横無尽にギターが弾ける、様々な音楽に対処出来る、様々なアレンジが出来る等のスキルを身に付けておけば色々なところに可能性が広がって行くように思います・・・
でもそれが仮にペンタトニックやダイアトニック程度で単に音数が多いだけのスキルなら、そのポイントの人達にしか受け入れてもらう事が出来ません・・・
人それぞれ考え方もあるとは思いますが、少なくても俺とそして俺の周りの生徒達にはそう伝えています。だからこそ俺を含めて俺の生徒達には自分がプロと言うものを目指しているのなら好きな事をやるのではなく、まんべんなく色々な事を出来るようにと伝えています・・・

16日 木曜日

マイアミテレビのプロデューサーから連絡があり無事退院したとの事でした。
それからチック・コリアのマネージャーと少しやり取りをして再び新聞の取材を受けた事を伝えて、以前取り上げてくれた記事を少し送ったら、実は以前3年程日本に住んでいた事があり少しひらがなが読めるとの事でした。
俺の場合は特に日本語を覚えるつもりもないので俺にしても少しひらがなが読める程度ですが・・・(笑)

15日 水曜日

プロダクションから連絡がありSallaberryの件が落ち着いたら俺のプロモートをしてくれるとの事でした。
マイアミテレビのプロデューサーからも連絡があり、無事退院出来たとの事でした。
今回の新聞やFM東京等このまま軌道に乗って欲しいですね。俺は後何年生きるか等には興味はありません。後どれだけの事を成し遂げる事が出来るのかだけです・・・

14日 火曜日

久々に新聞社の取材がありました。
今回は取材してくれた方があらかじめ俺の動画を見たり等多少下調べをしてから来てくれていたのでスムーズに事が運びました。掲載日が分かり次第追ってお伝えします。

13日 月曜日

コロナの影響でボクシングもしばらくお休みになってしまい、音楽の方もとりあえず今はひと段落しているため珍しく少し時間出来ます・・・
さて何をしましょうかね?どちらにしても未来の自分のために時間を使います。もうあまり自分を高められる時間なんてないですからね・・・

12日 日曜日

体育館から連絡がありコロナ・ウイルスの影響で5月6日までボクシングはお休みになりました。
約1か月お休みですが俺個人として縄跳び等1か月も運動を休んだ事が無かったのでその間、体がなまらないように気を付けなければなりませんね。
とにかく皆さんもコロナにはくれぐれもお気を付け下さい。

12日 日曜日

プロダクションから連絡があり、間もなくFM東京で俺の事を話してくれると共にSoongbookから何曲か流してくれるとの事でした。
思えば俺が小学生の頃は特に遊ぶものもなく勿論ゲーム等を買ってくれる家でもなかったので、FMラジオからの音楽をカセット・テープに録音していました。
あれから40年経って今度は自分が部屋で作った音楽が流される事になりました。
この40年間何をしていたのかなと振り返って見ると、やはり14歳の冬以降は全てギターのためだけに生きて来て途中でボクシングに出会った程度です・・・
考えて見れば確か小学6年生の頃に何故か一度フォーク・ギターが欲しいと思った事がありましたが、勿論そんなものを買ってくれる家でも無かったので、少年漫画に入っていたギターに関するはがきを送って届いたカタログを見て眺めるだけでした・・・
それで中学1年生になって今度はエレキ・ギターが欲しくなり近所の楽器屋さんに行ってカタログをもらって来ましたが、やはり買ってくれるはずもなくただそのカタログを眺めるだけでした・・・
そして中学2年生になった時にも再びギターが欲しくなり、その時にはバイトをしていたので、そのお金で一番安い2万円もしないギターを買ったのが俺のギター人生の全ての始まりでした・・・
特に周りにギターをやっている人がいた訳でも無いのになんでそんなにギターに興味を持ったのか全く分かりません・・・
ギターに出会ってから今年で37年にもなりますが、今でもギターに出会って良かったのかどうかもよく分かりません・・・
もしギターに出会っていなかったら俺は今頃何をしていたのでしょうかね・・・

11日 土曜日

確か小学校の低学年だったと思いますが、ドリフのメンバーが荒井 注さんから急に志村けんさんに代わりました。
新しい人が入ったかと思っていたら、東村山音頭やカラスの勝手でしょにひげダンスやらであっという間に当時小学生の俺達から大人気となりましたが、この東村山音頭にしても何度歌ったのか覚えていません・・・
あれから約40年が経ち今俺は全く売れないギターリストをやっていて、そしてこの曲をこんな悲しい思いで弾く事になる等とは当時の俺には全く想像が出来ませんでした・・・
もしかしたらこの曲はこれからずっと悲しく聞こえて来るのかも知れませんね・・・
多分そんな気がします・・・

東村山音頭 (10th April 2020) by Mamoru Morishita

10日 金曜日

俺は音源や動画を録る時になるべく日付を書き込むようにしています。
その理由は、歳をとるのは仕方のない事ですが、振り返った時に無駄に時間を過ごしていないか自分で確認するためです。
今から10年とか20年前の日付を見て、あの時代はそのレベルにいた事や取り掛かっていた課題を思い出すと、自分が無駄に歳をとっていない事を感じる事が出来ます。
そして自分のスキルを絶えず上げてさえいれば夢は離れてはいかないと思います・・・

9日 木曜日

コロナの影響で各界大変なようです・・・
俺の場合は音楽とボクシングの世界にいるので両サイドから色々な事を感じる事が出来ますが、共に観客がいないところでやるのは辛いものがありますが、それでもまだミュージシャンは自宅から配信出来たり、音楽を作ったり等の作業が出来るだけでも随分と幸せかと思います。
もっとも、俺の場合は何の活動もしていないので特に普段と何も変わりませんが・・・
それから新聞社から取材の依頼がありました。昨年何度か国内外から取材の話はありましたが、何故か不思議なほど全てボツになってしまったので今度はスムーズに事が運んで欲しいですね。

8日 水曜日

以前ピチカートで仕上げたSmoke on the waterですが、案外評判が良く次のCDかその次のCDに収録しようか等と思い始めています・・・
俺が育った音楽のメインは1980年代ですが、どうせならその時代の音楽をメインにJazzの枠を超えて俺なりのアレンジをしてCDを作るのもどうかなと思いますが、皆さんどう思いますかね??
例えばBon Joviとか・・・

Smoke on the water (2nd Mar 2018) by Mamoru Morishita

7日 火曜日

マイアミテレビのプロデューサーはまた入院してしまったようです・・・
医者にはコロナでは無いと言われたようですが、年齢も70歳を過ぎている人なので大丈夫ですかね・・・
Grahamも毎日が恐ろしいけれど、とにかく早くコロナが過ぎ去るのを待ちましょうとの事でした・・・
このコロナって一体何なのでしょうかね・・・

6日 月曜日

俺の勝手な印象かも知れませんが、ミュージシャンがまだキャリアが浅い頃には、例えば作曲にしても変拍子やリズムに工夫しているものを好む傾向があり、またソロにしてもまだどうしてもエクササイズの延長になってしまうようなところがあり音数が多かったりテクニックの方が先に来ているような印象を受けます。
それが40歳頃になってくると(揺らし)や色々な手法を覚えるため、無理に変拍子等のリズムに頼らなくても4ビート等普通のビートの中で充分に自己表現が出来るようになるようです。
ちなみに俺に関しては全てが独学なため色々な事が随分と遅れてしまい、50歳頃になってやっと(揺らし)や歌うようになって来たように思います。
やはり周りに導いてくれる人がいる場合とそうでない場合とは随分と時間に差が出てしまうようです・・・
俺は14歳の冬にギターに出会い、これまで一切ギターから逃げる事なく努力を続けて来ましたが、自分で歌うようになって来たなと感じられるようになったのは50歳頃になってからでした。
そして後10年もした頃には体の弱い俺はさすがにこれだけの技術は維持出来なくなって来ていると思いますが、それを感じた時は悲しいでしょうね・・・
俺はギターのためだけに全てを捧げて生きて来ましたからね・・・

5日 日曜日

海外から時々『こんなギターを買おうと思っているけれどどうかな?』等と写真が送られて来て質問される事があります。
そんな時には俺は決まって、『高いギターを使っても音なんか全く変わらないから安いので十分だよ。』と伝えます。
ちなみに間もなく発売されるSallaberryのCDで使用したギターは中古で6万円で買った物でピック・アップも交換前です。後にピック・アップは交換しましたが何に買えたのか良く覚えていません・・・
機材に関しても20年ほど前に買ったシミュレーターを使っているだけです。それから俺の生徒達もみんな高いものは一切使っていません。音なんて変わらないですよ。

4日 土曜日

コードに対して単に何かのスケールをあてがって弾いているだけならともかく、優れたジャズ・ミュージシャン達の中にはアッパー・ストラクチャーを考えてターゲット・コードに向かっている事がよくあります。
それでそれらを分析していると、どんなアイデアでそれらが組み立てられているのかしばらく頭を抱える事がありますが、それらの点と線が繋がった時少し嬉しかったりします。
技術の練習に関してはそれこそ何も考えずに、ただひたすら反復練習をして両手に負荷をかけて染み込ませて行くしかありませんが、理論に関しては理論書を読んだりこれら音を取る等の作業を繰り返して少しずつ引出を増やして行きます。
俺に関してはですが、それらがどちらか一方に傾かないように気を付けている事と、それからそれらを会得する際に単に誰かのマネで終わらないように心がけています。

3日 金曜日

その20代前後の時に夢中になって聞いていたギターリストの動画にモチベーションをもらって、この時期に汗びっしょりになって練習を始めました。
俺の部屋には冬でも扇風機が出ていますが、その扇風機で一番強い風にあたりながら練習をしていてもこの時期に汗でびっしょりになります・・・
思えば日々の日課がどこかで惰性になっていたように思います・・・
年末のコンサートまでにまた少しレベルを上げようと思います・・・

2日 木曜日

今の俺のギターと音楽に関する練習の比重は技術的な事に関しては現状維持のトレーニングを若干やるだけで、その他の時間は理論的な事に時間を費やしています。
稀にYou Tubeで20代前後の頃に夢中になって聞いていた人達を見ると、自分が通って来た人達を決して悪く言うつもりはありませんが、でも正直(このレベルで止まってしまったのだな)等と冷ややかな気持ちになります・・・
それはわかっていながらも先日、俺が20代の前半に夢中になってコピーしていた人の動画を見たら、当時の思い出やギターが上手くなるためだけに全てを犠牲にして生きていた頃の記憶と魂が久々によみがえり少し涙が出て来そうになって、何だかとても久しぶりに純粋にもっとギターが上手くなりたいなと思いました・・・
縦横無尽に弾けるようになりたいですね・・・
それが出来たら俺もう死んでもいいですよ。この世に未練なんか無いですよ・・・

1日 水曜日

カフェインの取り過ぎで体が動かなくなっていた事に気付いてカフェインの量を減らしたらまた少しだけ体が復活してくれて元気に動けるようになって幸せです。
随分前の話ですが入院していた人から『健康な事には本当に感謝して下さい。』と言われた事がありましたが、当時20代の俺には全くピンと来ていませんでしたが、30代中盤以降に頻繁に体を壊すようになってやっとその意味が良く分かるようになりました。でも多分ずっと健康な人達にはわからないと思います・・・
安易に気合だの甘えるだの言ってくる人間がいますが、俺の周りでも俺よりもはるかに若いのに体が弱いため既にこの世からいなくなってしまった生徒もいます・・・
そのかつての生徒の言葉の中で印象に残っている言葉があります。『医者に言われた年齢よりも今は長く生きる事が出来たので、だからどうせなら好きな事をやって死のうと思いました。だから僕はギターを選びました。』
そして彼はしばらく俺のところに通ってくれていましたが、だんだん通うのが困難になってしまったので俺は月に一度程度電話をするようにしていましたが、しまいには電話で話すのも困難になってしまったようでしたので月に一度程度メールを送るようにしていました・・・
俺が約30年かけて執念でIthamara Kooraxの歌と共に(ほ・た・る)のCDでメジャー・デビューした時、当時契約していたプロダクションから何枚かCDが届きましたが、その生徒にも送りました。
正確には俺の周りにいる入院していた人達や体の弱い人達等に全てあげてしまって結局その時は自分の手元には1枚もなくなってしまいましたが・・・
気の毒な事には特に近い身内もいないと言っていましたが、俺があげたその(ほ・た・る)のCDはどうなりましたかね・・・