31日 水曜日
気付いて見れば今日で7月も終わりですね・・・
そろそろ年末のコンサートの選曲と譜面作りをしなければなりませんね・・・
30日 火曜日
こんな写真を見付けました。(もう一度見るべき最高の試合)等とタイトルが付けられていました。
俺がボクシングにどっぷり漬かっていたのは1990年代前半から2000年代の前半の約10年程で、今ではすっかりボクシングを見る事も無くなり勿論古いボクシングを特に知っている訳では無いので、自分でもあまり知らないだろうな等と思いながら見たら結構知っている試合がありました。
先日ここで紹介したチャベス vs メルドリック・テイラーやアリの顎を砕いたジョー・フレイジャーなんかも入っていますね・・・
ノン・タイトルで双方のファイトマネーが1億円を超えた試合もあったり、個人的にはその試合の背景(その試合に至るまでの過程)も知ると余計に面白かったりします。
例えばこの中のひとつを説明して見ます。ハグラー対ハーンズですが・・・
アリが引退して80年代はミドル級の時代に入りました。そしてこのハグラーと言う選手はサウスポーでありスイッチも出来、攻防全てに優れていて、全時代全階級を通して最も優れているボクサーと言われています。
そしてあまりに強いため彼は無敗ながらもチャンピオンが対戦を避けてなかなか世界戦のチャンスが来ませんでした。そんな経緯もあり以降指名試合と言うシステムが出来ランキング1位の選手とはチャンピオンは数カ月以内に試合をしなければならないと言うシステムが出来ました。
そしてこのハグラーがチャンピオンになり9年間無敗で防衛を続けていましたが対戦相手に恵まれずビッグマッチが組めず下の階級のスター選手達にミドル級に上がって来るように声をかけていました。
それがライト級のロベルト・デュランであり、ウエルター級のシュガー・レイ・レナードだったり、そしてこのトーマス・ハーンズでした。
それでこのハーンズとハグラーの試合は、多分記録にある世界戦で最も激しい1ラウンド目と言われていますが、そうなった経緯としては、ハーンズが記者会見でリップサービスでかなりハグラーを挑発します。それで会見が終わってからハーンズが『視聴率を取るためだからごめん。俺もお金が欲しいからね。』と謝ると、ハグラーはそれに対して『俺もだ。うせろっ!』等と言ってそして試合前のあの目つきと試合になっています。
とまぁこんな感じでその試合の前後の経緯等まで見えたりするとまた余計に思い入れが出て来ますよね。この試合お互いに15ラウンド戦う気等全くないようです・・・
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Marvelous Marvin Hagler vs Thomas "The Hitman" Hearns | The War
29日 月曜日
今でもグラハムとは時折やり取りをしていますが、元々彼を紹介してくれたのはL.A.のプロモーターのGinaでした。
そしてそのGinaは数年前に永眠してしまいましたが、彼女の親友だった人とは今でも時折やり取りをしていますが、その彼女が俺が表に出られない事を気遣って、以前2日連載で取り上げてくれた新聞を英語で訳すように言われたので俺の頼りない英語に訳して送ったら、その彼女が綺麗にリライトしてくれました。そして『自分をプッシュする事に躊躇しないで!いつでも協力しますよっ!』との事でした。勿論俺自身は全く躊躇なんかしていませんが、もともと引きこもりみたいなところがあったり人付き合いが好きでは無かったり少々神経質な事等があるのかも知れません・・・
その亡くなったGinaもそうでした。それからMark Boalsのマネージャーも同じような事を言っていました。ちなみに彼女は昨年息子さんが亡くなってから少し音信不通気味ですが今はそーっとしてあげています・・・
ここにシェアしてもあまり意味がないかも知れませんが、その彼女がリライトしてくれた内容を一応書いておきます。
Part 1
from very local and small room to world!
They recoreded each place.This is new type music style.Also Mamoru Morishita recorded his room.But he play with greatest musicians all worlds.Latin Jazz Drumus guy Sallaberry's new cd on sale last month.Sallaberry is Brazilain guy.But he living and play in america now.That CD is his Best album.That name is (Sallaberry & Friends)(geedes records).Maomoru play in that cd and Asian is only him.All songs recorded each country.
Accutually Sallaberry doing that way since 1999.That way is revolution.But now is standerds style.One day Sallaberry got idea that way.1st time Sallaberry recoreded his Drums.Then he send to each musicians by internet.He comunucat with musicians by internet.He already made 8 cds that way.Mamoru play Origem(2017).Origem nominated latin Grammy Award 2017 and Best instrumental in Blazil.Mamoru play (New samba).New Samba include new Sallaberry's best CD and 1st song in that cd.Mamoru said (I'm very proud of that.) New Samba is so nice song and good for this season.Guitar and Keybord play same melody.But still sound is very fit!Now on sale internet and etc.Also Mamoru Morishta made some cds that way.Mamoru said.(I'm very proud of that.Because thaty are very famouse and greatest musicians.I lile to look for great style and music.)Mamoru making new cd and taht way now.That will be come up in next year.
part 2
Mamoru Morishita started guitar 14 years old.He was big shock Deep Purple's song (High Way Star)'s guitar solo.Then his guitar life started.He quit High School and a few years later went to Tokyo.But he back to his town.Because he went to america.He was 24 years old he went and lived in America.Then he made cds hisself and japanese music magazines introduced that.Then go back japan.But Nobody buy his cds.Also one day he Sarted Boxing in america.When He was 29 years old he got boxing licence.But japanese Boxing commision stood his licence.Because he has Tatoos both arms.Only that reason... Then he teach guitar and boxing.Also he teach woman proffessional boxers.
When he was around 30 years old he want to learn music more and he started study Jazz and Bossa Nova music.When he listened 1 greatest singer,he move very deep her singing.Her name is Ithamara Koorax.Then Mamoru study music himself.10 years later Mamoru asked to Ithamara.Then Ithamara wrote lyrick his 3 songs.Mamoru major debut 2011.CD titlle is Ho.Ta.Ru.Hotaru mean is Firefly.Then later Mamoru started friendship with Sallaberry too.Also Sallaberry play in Mamoru's CD(Songbook).That cd singing Ithamara Koorax and Sacha Boutrous and paly Sallaberry too.Those songs is also recoreded each country.Now Mamoru's small room making miracle. Mamoru said (I'm not genius.I'm very small guy.Tall is only159cm. and small hands.But I practice a lot.Also I didn't married didn't play a lot.His life is only working job and practice).Mamoru want Medal for his life.He don't want to regret last moment in his life.
28日 日曜日
数年前にブラジルのClassic Lifeと言う雑誌に取材して頂きましたが、それが英語、フランス語、スペイン語、スペイン(メキシコ)、スペイン語(チリ)、ポルトガル語、ブラジル語、ドイツ語、オランダ語、イタリア語、トルコ語、オーストラリア英語等13種類の言語に翻訳されたとの事でした。
(東洋の天才)と紹介してくれました。
Classic Life
27日 土曜日
先日健康診断でバリュームを飲む事になりましたが、あまりに世間知らずの俺は豆乳を飲んでから行ったら怒られて追い返されました。(笑)
それで予約を取り直すところからやり直しになってしまいましたが、今度は8月の後半になりました。
今はとても暑い時期ですが、それも毎年お盆を過ぎると峠を越えるので8月末には赤とんぼも沢山出て来て、今年の夏も終わったなぁとそんな時期になっているのでしょうね。時間が経つのは早いですよね・・・
26日 金曜日
去年の7月頃から1か所取り掛かっているベースのパートですが、いよいよ何とかなって来そうなので今度のお盆休みにロック・オンしてレコーディングしようと思い始めています・・・
と言った具合にたった一か所のパートのためだけに1年もかけていて、俺には才能等と言うものは全くありません。絶対に身に付けてやると言う執念があるだけですよ・・・
Passionate Memoir (15th jan 2001) by Mamoru Morishita
23日 火曜日
やはりGeorge Foremanまで書きます。
この時代は以前にも紹介したJoe FrazierとMuhammad AliとそしてこのGeorge Foremanの時代のようでしたが、世間ではやはり何と言ってもMuhammad AliがヒーローでそしてそのためJoe FrazierとGeorge Foremanは事もあろうにヘビー級のチャンピオンに対して彼らは(Muhammad Aliの引き立て役だ!)等と言われて十字架を背負わされて生きる事になります・・・
そしてその気持ちをごまかすように彼は引退後クリスチャンとして生きる事を選びますが、でもどれだけ自分の気持ちをごまかしながら生きても世間の(Muhammad Aliの引き立て役だ!)と言う意見は変わる事なく、それで結局そのGeorge Foremanは引退後10年程してから40歳を前にカムバックします。
カムバックした際に、世間からは(神に仕えるクリスチャンが人を殴るとはどう言う事だっ!)等とパッシングされましたが、それに対して彼は『私はリングに上がる時にはボクサーである。』と言っていました・・・
そして彼は何と43歳でKO勝ちで世界ヘビー級チャンピオンに返り咲き、その瞬間コーナーで立膝をついて十字を切ります。この瞬間今まで散々言われ続けて来た(Aliの引き立て役)から解放されたのだと思います。俺はこの試合をリアル・タイムで見ていましたが、涙が出て来ました・・・
皆さんは43歳の時何をされていましたか?(43歳の時何をしていると思いますか?)
俺がミュージシャンではなくボクサーから沢山、勇気や心を動かされたのが何となく伝わってくれたでしょうか?
最後に、Muhammad Aliが亡くなった時にGeorge Foremanが言っていた言葉を書いておきます。
『我々の魂はもともと1つだったのだと思う。』
22日 月曜日
再びボクシングの話しをします。
今度はJoe Frazierです。俺にしても特に詳しい訳ではありませんが、知っている限りの事を書いて見ます。
彼は左フックが主武器のファイター・スタイルで、そしてその左フックでモハメド・アリの顎を砕いています・・・
この時代、特に後一人George Foremanがいますが、彼の事も機会があったらいつか書いて見ます。
そのJoe Frazierですが、彼のファンは特に生真面目な人達が多かったとの事でした。その理由は、(人生何があってもこのJoe Frazierのように前に前に進もうぜ!)とそんな気にさせられるボクシング・スタイルだったとの事でした。
某解説者が的確な表現をしていましたが、いつの時代にも大体魅力的な選手は1人ぐらいはいるけれど、でも同じ階級で各々に個性があり魅力的なボクシング・スタイルを持っていてそして同じ時代にいるからこそその階級に人気が出るとの事でした。そして彼らが少し時代がズレていたなら間違いなく各々が長期政権だったであろうとの事でした。
アリの蝶のように舞い、蜂のように刺す!のステップもヘビー級とは思えない美しさがあります。でもこのJoe Frazierの前に前に向かっていく姿にも美しさがありますよね。
21日 日曜日
家の犬ではありませんが先日永眠した犬のお墓に行って来ました。花は10月頃にまとめて持って行こうと思います。
家の犬は5年近く前に亡くなり、マラソン中に仲良くなった犬も1年程前に亡くなり、これで犬の友達が全くいなくなりましたね・・・
多分もうこれで犬の友達に生涯出会う事はないと思います・・・
20日 土曜日
今でも時折ボクシングの動画を見たりしていますが、それは試合ではなく技術的な内容のものを見ます・・・
動画を見て改めて思いましたが、それらはほとんどがカウンターが前提と言うか相手のパンチに対してどう迎え撃つかと言った内容になっていますが、それは単に俺がそう言うものを見ているだけなのですかね?
ちなみにテクニックと言うと皆さんはどちらかと言えば攻撃の事を思うかも知れませんが、俺の場合は以前にもここで紹介した少し前に亡くなったパーネル・ウイティカの影響と言うか当時ある種のカルチャー・ショックみたいなところが多々あり、それで俺の所では攻撃と同時に絶えずディフェンスも念頭におくようにボクシングを伝えています。
俺がもともとチビな事もありますが、それでも以前から体重差にしても10kgや20kg違う相手と平気でスパーリングが出来たのは多分俺のディフェンス力のおかげだと思います。
俺のボクシングはノーガードなので一見ディフェンスが弱そうに見えるかも知れませんが、俺とスパーリングした人達はみんな俺がディフェンス側のテクニシャンな事を知っています。だからこそ体重差も関係なくそして長い間続けて来れたのだと思います。
19日 金曜日
マラソンに行こうと外に出たら変な音が聞こえた来たので音のする方に近づいて見たら何とカブトムシでした・・・
カブトムシってこんな鳴き声(音)?を出すのでしょうか?子供の頃には何度もカブトムシに接して来ましたが今まで知りませんでした・・・
Beatle (15th July 2024)
18日 木曜日
先日壊れて交換したこの部品ですが、レコーディングをしようとしたら今度は反対側が壊れました・・・
不幸中の幸いと言うかこのパーツは2つ一組なので急いで交換しましたが、壊れるのはこれで4回目ですが、意外とこのパーツは消耗品なのでしょうか?
それでレコーディングを再開しましたがメモしてあったソング・フォームが自分でも訳が分からなくなっていて収拾がつかなくなったのでもう一度ソング・フォームを確認して後日レコーディングする事にしました・・・
17日 水曜日
俺にとっては個性が一番重要だと思っているので先日のFlavioのように人の音源もまともに聞かずにレコーディングを頼んで来ておいて挙句の果てには『お前のソロは嫌いだからバッキングだけ利用してソロはフルートか誰かに頼む。』等とクソなめた事を言われると気分を壊して更に1か月の貴重な時間を無駄にしてたまったものではないのでちゃんと人の音源をまともに聞いてから人に頼むのが筋ですよね・・・
それならロックにしてもジャズにしても30年前のギターリストの真似をして喜んでいる奴等に頼めば良いだけですよ・・・
俺は人の真似をして喜んでそれで人生が終わるようなそんなくだらないレベルの低い人間では無いですよ・・・
16日 火曜日
最近は可能な限りガラケーを持つようにしていますが、去年の今頃にそのガラケーが1万キロを超えたと記録していてそして本日は12721キロになっているのでこの1年で2721キロ動いていました。
でも縄跳びや人の相手をしている時等にはガラケーは持てないのと、俺達の練習は2時間で楽に10キロは動いているのでマラソンの6キロと合わせるとはっきり言って良く分からない距離になって来ますが、ボクシングををやっていれば確かに太らないはずですよね・・・
15日 月曜日
壊れたギターの部品が届いたので今週交換をしてまたレコーディングを再開します。
14日 日曜日
俺のガラケーにも一応歩数計が付いていて最近では可能な限りはなるべく持ち歩くようにしていますが、先日2日間でマラソンと合わせて32km程動いていたようです。段々還暦が見えて来ましたが、まだそれなりには体力はあるようです。
サザエさんの波平さんが54歳の設定のようですが、その波平さんよりも年上になった俺が体重差が10kg以上もあるバリバリの選手を相手に普通にスパーリングをこなしているので良しとして下さい。
13日 土曜日
アコースティック・ギターをレコーディングしようとしたらペグの部分が壊れてしまいレコーディング出来ず、メーカーに聞いたらそのパーツがネットで7480円で売っていて安いと言えば安いですが、それでも貧乏人の俺にとっては痛い出費となりました・・・
ガット・ギターのペグの部分が壊れるのはこれで3度目ですが、ガット・ギターのペグって意外と消耗品なのですかね?レコーディング以外では一切使用していないのですが・・・
12日 金曜日
弦交換に照準を合わせて残りのエレキのパートを少しずつレコーディングしていますが、考えても見ればドラムマシーンを使用した曲にはBassも弾かなければならなかったですね。これらのBassのパートも少しずつ片付けて行く事にします。
11日 木曜日
マイク・タイソンが出て来た時に、1ラウンドや2ラウンドの早い回でバタバタ倒す姿を見て『あれは漫画だ!』と言っていた人達がいたとの事で、それを聞いた某ボクシング解説者が『そう言えるのは、モハメド・アリの時代を知っている人達だ。』等と言っていました・・・
某ボクシングのトレーナーが『私のボクシングは1980年代で終わった。』と言っているのを耳にした事があります・・・
俺の中の心のボクシングは1990年代から2000年前半で終わりましたね・・・
10日 水曜日
とりあえず音を取りましたが、少し考えてみましたが特に何かリハモも浮かんで来なかったので、今度は楽器編成から考えています。
以前Smells Like Teen Spirit(Nirvana)をピチカート系でアレンジをしましたがその感じで取り掛かっていますが、もしもそれなりに仕上がったらレコーディングして見ます。
今週は現在制作中のCD用のレコーディングを1曲仕上げる予定です。
We're Not Gonna Take It (Twisted Sister) Sample (July 8th 2024) by Mamoru Morishita
9日 火曜日
今度はエクアドルのギターリストから一緒に弾いて欲しいとのリクエストがありましたが、さてどうなるのでしょうか・・・
とてもジェントル・マンな人です。
8日 月曜日
再びボクシングの話をして見ます。
多分皆さんはこの1枚の写真を見ても特に何も感じないかと思いますが、1990年代のボクシンクが(青春)だった俺からするとこのたった1枚の写真で以下の話しが広がって来ます。
ボクシングの世界で最も人口の多いクラスがウエルター級と言うクラスとの事で、そのためこのクラスでチャンピオンになる事はとても難しいとされ、更にこのクラスで防衛を重ねるとなると尚更な訳ですが・・・
当時そのウエルター級で70戦ほど無敗だった絶対王者のメキシコの英雄でニックネームがJCスーパースターのチャベスに挑んだこのメルドリック・テイラーですが、その彼が足を使って判定勝ち寸前のところで確か最終ラウンドでTKOでチャベスに敗れ、そしてそのストップに対してレフリーのリチャード・スチールが非難されました。
リチャード・スチールはマイク・タイソン等多くの試合でレフリーをしていますが、元々彼は少し止めるのが早いと言われていたレフリーで、そしてこの試合も最終ラウンドで止めた事に対してかなりブーイングが起きました。そしてそれに対してレフリーのリチャード・スチールは『後何分残っているから止める、止めないの話しではなく、選手の安全性を一番に考慮して試合を止めている。』との事でした。
それで結局間一髪最終ラウンド逆転TKOで、チャベスはあらためて(負けない男)としてこのままフランキー・ランドールに阻止されるまではしばらく快進撃が続き、そしてそれから時代はオスカー・デラホーヤ、パッキャオやメイウェザー、トリニタード、バーナード・ホプキンス等に繋がって行きますが(チャベスが彼らと戦ったと言う意味ではありません)、多分皆さんは何の事かさっぱりわからないですよね・・・
それからマニアックついでにもう一つだけ書くと、俺の中では特にチャベスの試合はリング・アナウンサーがJimmy Lennon,Jr.のイメージがあって、そして彼の少し鼻にかかったような声で『フリオー・セサールー・チャーベースーーーッ!』と聞こえてくるのは俺だけではないような気がしますが・・・(笑)
とまぁこんな感じでボクシンクにどっぷりつかっているような人達にとってはたった1枚の写真から色々な物語が見えて来たりすると思います・・・
1990年の様なので既に34年も前なのですね・・・
7日 日曜日
まだまだ頼りない俺の相対音感ですが、最近になりやっとドミナント7th,b9,#11,13とドミナント7thsus4,b9がそれなりに判断出来るようになって来たようです・・・
勿論ドミナント7thとドミナントsus4の違いはすぐに分かるのですが、それが何故かb9辺りが入って来ると俺の耳が誤作動してしまうようです・・・
あのクラスの人達はどの辺りの音を聞いて判断しているのですかね???まずはトライトーンから察知しているのですかね??
例によって先生等のいない俺は自分で試行錯誤しながら覚えて行くしかありません・・・
56歳にもなって俺の相対音感はまだこんな程度ですよ・・・
6日 土曜日
これはブラジル・ポップス界の大スターであり俺の友達でもあるフェルナンダ・タカイとDuran Duranのコンサートです。
Duran Duranと言えば実は俺が中学の時にコンサートに行った事がありましたが、それが何と今度はDuran DuranのギターリストのAndy Taylorと少しだけやり取りをして、今俺が全く売れないながらも俺もギターリストをやっている事を伝えました・・・
気付いても見ればあれから既に40年以上が経っていて、あらためて時の流れは早いなぁと思ったのと、それから話は全く変わりますが先日のミック・ジャガーもそうですが、俺の英語ははっきり言ってウンコみたいなレベルですが、それでもしばらくの間アメリカに住んでいたおかげで、ほんのほんのちょっだけは今でも役に立っているようですね・・・
Duran Duran e Fernanda Takai cantando Ordinary World em Brasilia
5日 金曜日
俺のボクシンクはAliから始まりましたが、いつのまにか30年もボクシンクを見ているとこの写真を見ただけで彼がシャドー・ボクシングやアリ・ステップをする姿が目に浮かんで来るようになりました。多分特にボクシングに興味の無い人達にはその意味が伝わらないかと思いますが・・・
考えても見れば、その人がどんなシャドー・ボクシングをするとか、シャドー・ボクシングを見ただけでその人が誰なのかが分かると言うのも相当マニアックな話ですよね・・・
それからちょっと意外に感じるかも知れませんが、シャドー・ボクシングがある程度様になって来るまでにはそれなりに年数がかかります。
4日 木曜日
毎年恒例の年末のコンサートですが、とりあえず12月15日(日)に仮予約をしました。
例によってある程度の人数が集まらなければ開催は出来ないのでお早めにご連絡頂けると助かります。今年もまたどさくさにどこかマスコミ関係の人達が来てくれると良いですね。
それからまたアホな事を書きますが、たった一言ですがミック・ジャガーが返事をくれましたっ!!(本人かどうかは怪しいですが・・・)。もし本当だったら凄いですよね。勿論俺なんかとは何かが繋がる事は絶対にないでしょうけれど・・・
3日 水曜日
今週月曜に弦を換えて火曜にレコーディングをする予定でしたが、さすがに昨日のトイ・プードルの事が頭から離れないので少しだけ日にちを遅らせる事にしました。
もう少し心が落ち着くまではまだソロではなくメロディー辺りの軽めのものにした方が良さそうですね・・・
その犬に最後に会った時に、少し撫でてあげたら俺に寄っかかって来たのが忘れられないですね・・・
2日 火曜日
貧相な顔をした犬が永眠してから今年の9月で5年になり以降家には犬はいませんが、それでも唯一知人の家に仲良くしていたトイ・プードルがいてそしてその犬が昨晩永眠しました・・・
子供の頃から知っていた犬だったのでやはり悲しいですね・・・
生きている時には沢山癒しをくれますがその分死んだ時には見事に反比例しますよね。今度その犬にも花をあげてこようと思います・・・
それから現実主義の俺ですが、ちょっと変わった事があったので書いておきます。
俺のマラソン・コースは普段ウサギに会う事等はありませんが、今から約4年前にウチの貧相な顔をした犬が永眠した時に何故かその3日程の間に折り返し地点辺りで茶色のウサギが2度も現れて、そのうち1度は俺の方に駆け寄って来て目の前5メートル程のところで立ち止まってそして立ち上がってしばらく俺を眺めてから草むら入って行った事がありましたが、あれ以来そこでウサギに会う事はありませんでしたが、そのトイ・プードルの事を思いながら走っていたらまたその折り返し地点で茶色のウサギが横切りました・・・
現実主義とは言いながらもさすがに何か考えてしまいますよね。どちらにしてもその瞬間だけは少しだけ気が紛れました・・・
1日 月曜日
ボクシングを始めてから既に30年とか経っていますが、何の目標も無くなってからはマラソンもあまりしなくなり、せめて落ちないように時折惰性で続けていましたが、やはり心まで腐りたくはなかったので気持ちを切り替えてボクシングのためのマラソンではなく、地球一周程度を走る事に目的を変えてそして2012年から具体的に何キロ走ったのかを記録するようにしていますが、6月が終りこの12年程で23,000kmになり、後15,000キロちょっとでいよいよ地球一周ぐらいになると思います・・・
今から38,000キロ走ろうと思うと気が遠くなって来ますが、コツコツと続けていると意外といつの間にか結構な距離になっています・・・
一歩一歩等とはよく言いますが、本当にその一歩一歩の積み重ねがそんな膨大な距離になって来ました・・・
とりあえず後15,000キロこのまま頑張って走り続けて見ます。もしも興味がある人は一緒に地球一周目指して走って見ませんか?意外と出来そうですよ。