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人はなぜ不安になるのか



千葉啓







 人はなぜ不安になるのか。臨床心理学では不安と恐怖の意味を分けている。前者ははっきりとした対象のないぼんやりとしたもの、それに対して後者は対象が確認できるものとされる。だが不安は恐怖とどこかしらつながった関係を持っている。その逆もまた言える。ここでは私自身がこれまで生きてきた過程において、感じてきた不安を分析してみようと思う。

 

 思い出すのは小中学校のとき、他人に見せておきたい自己像というものがあった。それも色々な像があったが最も意識していたのは「クールで、落ち着いた感じの、物事に動じない」自己像であった。それがどこからきたのかといえば、漫画やアニメのキャラクターからだと思う。当時は(今でも少年向け雑誌には多く見られるが)どんなストーリーの中にも必ずそんな大人びた冷静な登場人物がいて、私は自分はこんな風に人から見られたいという欲を密かに抱いていた。恰好いい人間の代表が、自分にとってそのキャラクターだったのだ。

 今思えばばかばかしい話なのだが、そんな自分像を保持したいためにいろんな“告白”を避けてきた。楽しい、辛い、苦しい、悲しいといった感情に伴う理由を誰彼に話そうと思わなかった。生意気にも親に対しても、である。親については弟に対して兄という体面を取りたかった、という思惑もあった。弟が母親の胎内にまだいた頃に読んだ絵本に、弟に両親がかかりきりになってしまい自分勝手に寂しがる兄の話を見たからである。そんな兄貴にはなりたくない、という心理が働いた。“告白”に関してさらにばかばかしい、むしろ呆れるような心理がある。恋心を抱いた相手に、私は「告白をするのではなく、受ける側の人間だ」という思い込みに近い幻想を持っていた。この心理は複合しているが根は単純であると私は考えた。維持したい自己像のために他人に自分の心の動揺を知られたくない、突かれたくないというのが正直な理由だが、要はプライドが高くそれでいて弱虫だからだと私は思った。中学の頃この心理の正体に気が付いたとき、思春期という多感さも手伝って私は激しい自己嫌悪を感じた。

 

 今私が抱える不安の一つに「人が自分のことを認めてくれないのではないか」という不安がある。これは自分に抱いた様々な嫌悪からきている。先に述べた、プライドが高く弱虫だということも、私にとっては望ましくない自己像としてその不安を助長している。自信がないからこそそのような不安を覚えるのではないかと言うかもしれないが、自信がないこととそのような不安を抱くことはむしろイコールであり、なぜ自信がなくそのような不安を感じるのかというと、自分に嫌悪感を持つほど自分を嫌っていて私自身が自分を認めていないということにその不安の土壌がある。

 おそらく自分が嫌いでなければ「人が自分のことを認めてくれないのではないか」などという不安は抱かないだろう。“クールな自分”や“プライドの高い自分”を確信犯的に行えてしまえるならば、堂々と人からの視線を気にすることもない。しかしなぜそんな自己像に対して嫌悪を抱いてしまったのだろうか。プライドの高さが逆に嫌悪の感情を増加してしまったのだろうか。確かに理想主義的な、完璧主義的な傾向が私にあったことは否定しない。理想とする自己像と現実の自己像とのあまりの差に(あまりの差に感じる必要はどこにもなかったのだが完璧主義の性格ゆえにそう感じた)、私は自分を激しく貶めた。自分の性格が自分の中の自己像の価値を低めた。だがそれとほぼ同じくらいに私は他人の視線が気になった。完璧主義者は、自意識過剰でもあったのである。

“クールな自分”は人から見たとき私が維持したかった自己像だった。“プライドの高い自分”はそれが人から見られたとき嫌われる体質のものとして感じた。クールさを目指していた自分が実は臆病でただの小心者だということに気付いたとき感じた、維持したい理想の自己像と現実の自己像とのギャップ。そして他人の視線を気にしたとき、プライド高く狭量な、おまけに実は非常に嫉妬心が強いなど、人に嫌われる可能性の高い(と思い込んだ)望ましくない本当の自分の姿。その両者が自己嫌悪の中に混じり合い、ますます自己像の印象を悪いものにしていった。

しかしこういった自己嫌悪の現象は思春期と呼ばれる時期に自然な成長の一過程として扱われるものでもある。誰もが通ることになる、心理的な関門といえる。思春期は確かに敏感で傷つきやすく、他人の視線も気になりそれまで保っていた自己像は崩れやすい。ならばこの苦しい過程をクリアした人間と自分との違いはいったい何であろうか。いまだに「人が自分のことを認めてくれないのではないか」などという不安を抱くのは、自分に対する嫌悪感がただ深いためなのだろうか。

 

 「人が自分のことを認めてくれないのではないか」というどうしようもない不安感が自分の態度や心理からくるものであるのがわかっていても、私はなかなか変えることができなかった。とりあえず一人では変わるのはむずかしいと思い、私はあえて人の中に飛び込むことにした。自分の問題だけでなく対人問題もそこには含まれているため当然の選択といえば当然だが、とても勇気のいったその試みは果たしていくらか成功した。

「人が自分のことを認めてくれないのではないか」という不安の影には、本人のコミュニケーション不足が隠れている。その不安は言い換えれば「自分を否定されるのが怖い」ということである。つまり自意識過剰で傷付きやすい状態である。嫌いな自己像が嫌いな自己像のまま変化せず平行線をたどってしまい、嫌悪すべき自己像で自己観念が埋まっていて、なおかつ自分に意識が集中している状態においては、否定的な言葉に対して敏感である。自分で育ててしまった最悪な自己像を他人によってさらに責められてしまうとどうにも耐えられなくなる。しかしそのような最悪な自己を自分自身が最も気にしているために、他人の言葉を無視し聞き流すこともできない。他人から聞いた言葉を自分が自分自身に向かって言っているように聞いてしまう。常に自分を責めている状態で、他人の声が自分を責めるとき使う言葉と同じ文脈のものであったとき、他人にその気があろうがなかろうが傷ついてしまう。それが自己否定を恐れる不安の裏側の心理である。気にしている自分の姿をいつどこで突かれるかを常に恐れている心の状態である。

さて、しかしそれは結局人から否定された経験も肯定された経験も少ないために、否定された場合の“自己防衛力”が未熟のままであるから抱く不安であるともいえる。“自己防衛力”とは、たとえ自己が否定されてもそこから回復できる、自我の力である。その力が成熟するためには他人とのやり取りの中から適切な自己肯定の体験を経て、揺らぎの少ない自己概念(「自分はこれでいい」という、他人からでなく自分が認めることのできる自己像)を手に入れることが必要になる。このことが先にこの不安の影にコミュニケーション不足を指摘した理由である。振り返ってみよう。私は「クールで、落ち着いた感じの、物事に動じない」人間になろうとしていた。果たしてそれは幾分か達成された。“告白”をよっぽどのことでなければしないような人間だった。自分の思いや考えを誰かに伝えるということをあまりしない人間だった。それは確かに私の幼い頃からの目的だった。けれど思うにそれは私の性格でもあった。非常な恥ずかしがり屋の私だから至極当然のようにそんな性格に育ったのかもしれない。恥ずかしがりの自分を隠すために、漫画のキャラクターになぞらえた理想の自己像を作り上げたのかもしれない。性格の成因はともかく、しかしこの性格は良い面も悪い面も持っている。良い面は例えば「真面目、寡黙、約束を破らない」といった行動であり、悪い面は「何を考えているのかわからない、とっつきにくい」というような対人関係の距離である。だがこの性格自体を良い悪いというように区別はできない。ただ他人と正面からぶつかることのしにくい性格ではあっただろう。本人は意識していなかったが、自分それ自体の抑制がこの性格特有の傾向であったと思う。

私の中で育ってしまった自己嫌悪感に対してはこの性格が悪い方向に作用したようだ。 コミュニケーションにおいて他人とのぶつかり合いが少ないためにうまく自己を守る力が成長しなかった。「クール」な性格に“自己防衛力”がついていっていなかったのである。勿論「クール」の他に、プライドの高い、他人の意見に対して狭量な自分もあったので一つの性格にコミュニケーション不足を還元はできないが。ともかく人との触れ合いが少なかったために、「人が自分のことを認めてくれないのではないか」という不安の土壌がはぐくまれてしまったと確かに言えると思う。

 

今のところ私がたどり着いた結論は、「人が自分のことを認めてくれないのではないか」という不安は、私自身の性格から陥ったコミュニケーション不足と、それゆえに思春期に膨れ上がった自己嫌悪感が是正されずに今まで保たれてきてしまったことにその要因がある、ということである。さらに付け加えると、コミュニケーション不足について以前は性格からの問題であったものが、今では自己嫌悪もそれを手伝っている。自分が嫌いであるゆえに傷つきやすく、他人との距離を取ろうとする。両者は螺旋状に絡み合いほぐれにくいためにますます厄介である。

さて、上記ではコミュニケーションの欠落を全て私の自己抑制的な性格から説明した。「人が自分のことを認めてくれないのではないか」という不安を私自身に限定して分析してきた。しかし自己を抑制する要素は、コミュニケーション不足に関わる要因は他にもあった。そしてその要素は、おそらく同時代に生きた人間にとっても、またおそらくは現在義務教育を受けている人間にとっても受容した記憶のある事柄なのではないかと推測する。自己に掛かる心理的抑制がその人間のコミュニケーション不足を招いたことをここで強調しておこう。次いでそれが今の若者たちの自信のない自己像に結びついたと私は考える。

 

 自分を抑制していたものは確かに自分の性格、自分の中の理想像であった。しかし他に、抑制というより抑圧に等しい強烈な圧迫感が私の義務教育時代の学校に存在していた。それは高度経済成長期に大きな教育的話題となっていた、「不良」「暴走族」「荒れた学校」というキーワードに表されている問題の一歩先に現れてきた現象だった。それは「いじめ」である。当時の新聞やニュースでは、その「いじめ」は従来のいじめとは違って非常に陰湿で心理的傾向の強い行為である、という説明がなされていた。そして「いじめ」による自殺が、さかんに報道されるようになった。

 「いじめ」とあの圧迫感は互いにリンクしている。しかしどちらが先に存在したかといえば後者である気がする。当時どこからかよく耳にした言葉に「レールに乗った人生」や「社会の歯車」がある。どちらも厭世的な気分で語られ、子供心にはそれが自分たちの将来であるという風にとらえてきた。あの時、どれだけの子供たちが自分たちの未来に明るい希望を描いていただろうか?勿論自分の人生を選んで迷わず邁進していた同級生もいた。そんな同級生が羨ましく、私の目にはまぶしかった。しかし私は厭世的な気分にとらわれてしまった。あの二つの言葉はいったいどこから出てきたのだろう。確かにバブルの崩壊はその気分を後押ししていたように思える。世紀末というイメージもそれを手伝っていたかもしれない。だがなにより当時の大人たちが自分たちの生き方に疑問を持ち始めていたのではないだろうか。その疑問があの二つのキーワードになり、子供たちに直接、本当に直接降りかかったのではないだろうか。大人たちが感じていた社会に対する圧迫感がそのまま子供に伝わっていたような気がするのである。そしてその圧迫感のみが伝えられていたように思えるのである。

新聞やニュースを見ると第一面が必ずと言っていいほど政治家や会社の不祥事や、異常な殺人など人々から非難される内容の事件であった。暗い世相がまず目に飛び込んできた。無論テレビなどメディアから受け取った情報は決して暗い内容のものばかりではない。明るい話題もあったし、歌手やスポーツの話題は夢中にさせる熱気を運んでくれた。それと同じような感じを学校の授業からも受けた。教科書は確かにおもしろいものを提供してくれた。知ることは楽しいことであるし、頭を使って問題を解けたときは快感を覚える。しかし「覚えなければならないこと」の中には悲惨な歴史的事件があった。現在には解決しなければならない問題が山ほどあり、そのような問題を積み上げていたのは人間であることを知った。数え切れないその問題群に圧倒され、それらに真剣に取り組んでいる人たちやその成果はいくつか聞いたはずだが提示された問題の多さを前にかすんでしまった。そしてまた、学ぶ楽しさは成績の順位を気にする中で小さく縮小していった。大人たちの中に敏感に感じ取った彼らの不満から、努力することにむなしさを覚えた。自分の存在はちっぽけで、何も変える力を持っていないように思い込まされた。

 

外側から得る情報においては、暗い内容が明るい内容を覆っていたような気がする。そのために確かに自分たちの良い未来は思い描きにくかった。しかしそれだけではあの強烈な圧迫感につながってはこない。ただ将来に希望がない厭世的な気持ちに止まる圧迫感とそれとは違う。ではいったい何が強大な圧迫感の原因なのであろう。この社会に対する嫌悪感や虚無感も確かにそれにつながるが要因となるものが他にもある。

ぼんやりと描いた未来の自分に押し付けられていた当時の大人たちが感じていたものと異なる、その圧力は何に対して感じていたかというと、「いじめ」という現実が身近にあるという感覚からだったように思う。「自分のいるこのクラスに「いじめ」の芽がある。自分は誰かにいじめられる可能性がある。」そんな認識である。そう考える以上、自分はめったなことがクラスの中でできなくなる。「目立ってはいけない」「大人しくしてなければいけない」「他の人と調子を合わせなければいけない」そのように思う。それは義務になる。自分がクラスで生き延びるための手段になる。それほど「いじめ」のイメージは陰湿で、事実陰湿であったのだ。それは自分とは離れた場所に起こる対岸の火事ではなく、いつ自分に飛び火してしまうかわからない隣家の火事であった。ゆえに絶えず人目を気にした緊張感を強いられる。これがおそらくもう一つの圧迫感の正体である。

現実に問題とすべき抑圧力はこれだけであるように思う。だが思春期に感じる他人からの圧力はこれだけではない。親からの圧力は当然感じるべくして感じるものである。しかし、これは子供の自立のためにむしろ必要不可欠の過程である。教師や学校からの抑圧もあるだろう。それらは大人側からの、上からの抑圧である。しかし問題とするべきは上からではなく横からの圧力である。上から押し付ける圧力に対抗しようと、子供は同世代間のつながりを強めようとするのが保障行為としては普通であると思う。しかし現実問題は、その同世代間のつながりすら絶たれている現状があった。それが高度成長期以前と以後の学校情勢の最大の違いであると思う。

 

 「いじめ」の発生については諸説ある。個人の家庭環境や資質の問題から、人間関係が希薄になった最近の社会状況などからアプローチされている。しかしここでは「いじめ」について深く議論はしない。ともかくそれによって子供同士の横のつながりが阻害されていたことが、自己否定感の強い現代の若者たちを育ててしまったことに深い関わりがあると思う。

 「いじめ」を恐れるあまり、我々は人より目立ってはいけないと思い、人の目を気にして必要以上に他人と同調することを要請された。それはもはや強制だった。強固な同列意識、そこから離れてはいけないという強迫観念。これらの言葉に言い表されているように“強い”心理的負担がいつも両肩にのしかかっていた。生徒らは常に他人を意識し、自分の見かけをコントロールしなければならない。そうなると当然自分のことを容易に他人に話せなくなる。下手なことをうかつにしゃべれば明日からいじめの対象にされることもあるのだ(そしてそのような噂を度々耳にしていた)。教師としゃべるわけにもいかない。内申のためのご機嫌取りかこび売りか、さもなければ告げ口かと疑われる。親とは話しづらい。思春期特有の反発心が邪魔をする。もしくは心配をかけたくないと、優しさが別の抑圧の力をもって話そうとする気分を排除する。元々親と子は生きる時代が違うので、お互いの気持ちをわかり合うことはなかなか難しい。しかし学校はすでに伏魔殿のごとく自分を圧迫する存在以外の何物でもないから親に縋るしかないが、試したところで大抵跳ね返されてしまう。

 以上が心理的圧迫に関わる事柄の記述である。この八方塞がりの状態を現代の若者たちは生きてきたのである。彼らがよくコミュニケーション不足に陥ったことは言うまでもない。彼らの自信のない自己像が透けて見えてくると思う。

 

 この環境からの抑圧を調べていったとき、改めて私自身の自己嫌悪感を振り返ってみると、それは維持したい自己像と現実の自己像とのギャップという自分の内部での問題と他人からの視線を気にした自分の外部での問題の、二つの要素の複合体として前に説明した。しかし後者の問題について、それは実は自己嫌悪感に直接的ではなく間接的に関わっているのではないかという疑問を持った。以前書いた内容を反復してみる。「他人の視線を気にしたとき、プライド高く狭量な、おまけに実は非常に嫉妬心が強いなど、人に嫌われる可能性の高い(と思い込んだ)望ましくない本当の自分の姿」を私は感じていた。「“プライドの高い自分”はそれが人から見られたとき嫌われる体質のものとして感じた」のである。「完璧主義者は、自意識過剰でもあった」…その後者の「自意識過剰」は、ひょっとしたらあの強烈な圧迫感に育てられてしまったものではないのか?人に嫌われるのが怖いから、もし嫌われてしまったら「いじめ」の標的にされてしまうから、前もって自分の嫌われるような性格に気付くようにして、誰かが嫌う前に自分が先に嫌ってその性格を捨てるようにしていたのではないか?

 だとすれば、「いじめ」という圧力に晒された環境はコミュニケーション不足以外にも、自己嫌悪感の助長という機能を内包していたことになる。以前私は「人が自分のことを認めてくれないのではないか」という不安は、私自身の性格から陥ったコミュニケーション不足と、それゆえに思春期に膨れ上がった自己嫌悪感が是正されずに今まで保たれてきてしまったことにその要因があると記述した。不安を生み出した構造はそれで正しいと思う。しかし原因は自分の内的事情だけに求められる事柄ではないように思える。

今、自信を持てない若者たちがメディアでもよく話題になる。現在も広がり続ける不登校やニート、集団自殺や摂食障害にもつながるであろうその問題は、おそらくこうした不可抗力的圧力ゆえの袋小路にはまった犠牲者なのではないだろうか。

 

 ではこのような自信のない自己を克服するにはどうしたらいいだろうか。単純な結論がこれまでの試論から引き出される。それは「自己肯定感の回復」である。自己嫌悪からの脱却とコミュニケーションの回復による“自己防衛力”の成熟が克服のカギである。

 そのための具体的活動はいろいろ考えられる。演劇や絵画など自己表現により自分を客観化するのも一つの方法であるし、客観化するのであれば生活環境をがらりと変えてしまうことも考えられる。客観化は脱却の意味合いが強い。自分自身すら巻き込んでしまうような非常に大きな自己嫌悪、自己否定感から脱出する力が客観化にはある。

 またカウンセリングを受けることも有効である。カウンセリングはコミュニケーション回復の第一歩として考えられる。コミュニケーションの回復には簡単に言えば人間の中に飛び込むことが必要である。しかし仮にそこで傷つくような体験をしたならば、普通よりも格段に低い“自己防衛力”のために立ち直るためのエネルギーが長い時間かかり、折角外に向いた意識が再び内向きに返って、自己嫌悪をさらに強めることになりかねない。傷つきにくい環境での成長が重要になる。その意味でフリー・スペースやフリー・スクールのような場所の役割は大切である。

 他にも音楽を聴くことが考えられる。特にロックは効果著しいように思う。自己感情の表出をもっと体験することによって自己肯定感が増すからである。気分に合った詩や小説を読むことも安心感を促してくれるだろう。この気持ちを自分だけが体感しているのではないという経験をしたならばそれは大きな意味を持つ。

 意外に社会は「自己肯定感の回復」のための保障機能を持っている。社会が生み出した歪みを社会自身が保障するのは当然といえば当然だが、生物の体内に存在する自然治癒力に相当する機能を社会自体が所持していることは、言い方はおかしいが不思議な気がする。だが、それらがどれだけの効果を持っているのかはいまだ未知数ではあるが、それらが向いている方向は正しいと私は感じる。


読みました。

自分の中で起きている問題と、日本という場で起きている問題(共時性)の両面から分析すること、その通りだと思います。

 

自分の中で起きている問題では、

「なぜ自分の思いが実現しないのだろう。」(鬱病)という思いと、「人が自分のことを認めてくれないのではないか」(神経症)という思いは、自我意識(自分の自我で世間や他者を動かし、自分の認識を実現しようとする努力)の二つの相を表しているのだろうと思います。

自我意識(自分の自我で世間や他者を動かし、自分の認識を実現しようとする努力)が、自我意識で思考し行為すると、他者や世間が自分を理解できずに無視したり逆に意識してしまう、又は他者や世間が自分を理解できずに無視したり逆に意識してしまうように自分が思い込んでしまう。という事でしょう。

「クールで、落ち着いた感じの、物事に動じない」自己像は、君自身の真の像をよくあらわしていると思います。みんな、君に会うと「かぎりなくやさしいひとだ」と思うんだよ。「やさしさ」は、他者への認識の深さからおこります。他者にとって、自分を深く認識している人にやさしさを感じるのです。

「物事に動じない」とは、認識をしているからおこることです。

自分は、そもそもそのように存在しているのだから、努力はいらないのです。このことが、自己肯定の中身です。

こう書いている父さんも、深い鬱と神経症をまだ持っています。

鬱と神経症の問題を解決するには、自分が何に努力しているかを気づいていく過程を意識していくしかないでしょう。

自分の努力に気がつけば、しばらくしてその努力は無くなっていきます。だから、自由になります。

話はとびますが、オデュプスコンプレックス、アジャセコンプレックスの問題も、この問題から解明できると思います。

 

日本という場で起きている問題(共時性)では、

「世間の価値にあわせて生きなければならない」という痛風意識と、「人間は自由であるべきだ」という痛風意識のせめぎ合いを感じます。

痛風意識とは、自分の意識や他者の意識を一定の価値観で形成しようとする意識を表します。

「世間の価値にあわせて生きなければならない」という痛風意識は、明治、大正、昭和と続いてきた意識で、皇国史観も民主主義も戦後の高度経済成長も、この痛風意識のもとで日本の中心的価値意識となって働きました。

「人間は自由であるべきだ」という痛風意識は、昭和になってから起こった意識で、実存主義が強くこの痛風意識を持っています。

「人間は自由であるべきだ」という痛風意識は、「これまであった自分、現在の自分、これからの自分、すべての自分は幸せである。」という認識を否定する思考です。

「人間は自由であるべきだ」という痛風意識を持っていると、自分が自由でない現実を発見してしまいます。

いじめをうけるこどもは、どこかで他の子どもたちと違う自分を演出してしまっています。他の子どもたちと違う自分を他の子どもたちに認めさせようとしてしまいます。

いじめる側になってしまう子どもたちは、「世間の価値にあわせて生きなければならない」という痛風意識を持っています。

「世間の価値にあわせて生きなければならない」という痛風意識にとって、「他の子どもたちと違う自分を他の子どもたちに認めさせよう」とする行為は、自分たちの価値意識を否定する行為と意識され、自己防衛のためにいじめという行為が起こることになります。

 

「世間の価値にあわせて生きなければならない」という痛風意識と、「人間は自由であるべきだ」という痛風意識を解決するのは、「これまであった自分、現在の自分、これからの自分、すべての自分は幸せである。」という認識に気づくことであると思います。

父さんは物語の基本形ということをずっと考え続けてきました。

 

言語の中心に物語の構造がある。

それは、

自分、又はお母さん、又はおうち、から出発して、

Aお友達との出会いがあって、

B自分、又はお母さん、又はおうち、に戻ってくる。

それは、とてもすてきな経験だったね。

これが、物語の基本形であり、人間の経験の基本構造だということだ。

 

@のでかける前の自分とBの帰って来た自分の間には時間の経過とともに成長が起こっている。成長への意志がカイロスの時間を創るということだ。

Aで出会いがおこるということは、他存在を識ろうとする意志がクロノスの時間空間を創るということだ。

いずれにせよ、この物語の中には、悲しみも苦しみも絶望も怒りもない。

あるのは、「これまであった自分、現在の自分、これからの自分、すべての自分は幸せである。」という認識のみである。ということです。

 

自分の経験したことをひとつひとつ、物語の原型に戻して、整理し、組み立て、バランスし、秩序し、全体を俯瞰し、していくことによって、自分の経験を肯定していく道があるのです。これがカウンセラーの本当の意味でしょう。

 

君の小論文と、今日の手紙をエッセのホームページに出してもいいかい?

ご返事ください。

 

2005年7月20日

千葉義行

ホームページに出すのはかまいません。小論文を見た人から何か反応があったら教えてちょうだい。

今日カウンセリングに行ってきてカウンセラーに論文見てもらいました。
まあ何というか、俺の精神的な成長にこの小論文がどのように関わっているのかで話が盛り上がりました。
逆にその時俺がもっとも聞きたかった反応(いざ論文としてはどうか、説得力はあるか、何か理解を促してくれるか)がほとんどなかったことはありがたいことです。
ある程度自分のことを話している中で、「小説も詩もこの論文も他の活動も、多分君の中で一貫しているんだろうね」と言われたことはかなり嬉しい思いがありました。
いくらそれを自分の頭の中で理解していても、人からその言葉を聞かなければ身体と精神とが合致した認識は起こらなかったのでしょう。
おそらくこのことは「不安」全体の性質に関わっている。
一方でこの「不安」は自分を許し認めてくれる神を希求する。
イエス・キリストや慈悲深い仏像のイメージの発生には「不安」の存在が深く関わっていたと思います。
「これまであった自分、現在の自分、これからの自分、すべての自分は幸せである。」という認識にたどり着くためには、自分の気づきと他者による肯定(もっと適当な言い方があるように思うが思いつかない)が必要なのだと思います。


2005年7月21日

千葉 啓