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 意識の発達とオィリュトミー・わらべうた

 

人間の意識は、前後の軸と左右の軸と上下の軸と時間から成り立っています。
 赤ちゃんの生育過程を見ていますと、
 寝たきりの状態からまず首を起こします。          ………上下の軸
 つぎに、前にはいはいし、後ろにずり下がります。      ………上下の軸
 つぎに、高這いで前に進みます。               ………前の軸
 首が据わり、お座りができるようになり、押さえ立ちをします。 ………上の軸
 押さえ立ちをしながらよこ歩きをします。           ………左右の軸
 立って前に進みます。                   ………前の軸
 そして、立って後ろに進みます。              ………後ろの軸

上下の軸ができてきますと、人間の現象界(現在の生で経験する意識)の意識の中枢(自分が主である意識・第四人称)が立ち上がるのです。
 前の軸ができますと、自分(第一人称)を感じるようになります。
 左右の軸ができますと、環境(第三人称)を感じるようになります。
 後ろの軸ができますと、他者(第二人称)を感じるようになります。

人間の一人一人は違った存在ですから、それぞれの意識体系(構造)をもっています。
 それぞれの意識体系(構造)は、上下の軸と前後の軸と左右の軸と時間を持っているのです。
 ですから、他者の気持ちを聴くということは、他者の意識体系を自分の意識体系に読み替えるという大変重要な作業なのです。
 この読み替えの作業で、他者の意識体系の一部を拒否したり(広義の自閉症)他者の意識体系を他の他者の意識体系と取り違えたり(広義の老衰やアルツハイマー)する誤解が起こります。
 また、自分の意識と他者の意識を自分の意識体系でまとめるときに、自分や他者の思いの一部を強調したり(神経症)自分の思いで他者や世間を造ろうとしたり(鬱病や広義の脳性麻痺)してしまいます。

数学における複素数空間(X軸、Y軸、Z軸を持つ)は、人間の意識構造を現しているのです。
 それぞれの人間は、別々の複素数空間の意識をもっており、それぞれ相互にトポロジー(位相幾何学)の同単射(相互の空間から同射と単射が実現していること)の関係にあるのです。

他者を聴くことがとても難しいのは、他者の意識体系を自分の意識体系に読み替えなければならないからです。
 自分の意識体系は、自分の経験(たての時間・カイロス)で育っています。他者の意識体系は、他者の経験(たての時間・カイロス)で育っています。
 ですから、自分の意識体系のX軸、Y軸、Z軸は、他者の意識体系のX軸、Y軸、Z軸とずれているわけで、他者の意識体系はどうしても読み替えが必要なのです。

読み替えの基準は、地球という宇宙・(物質と生命)にあります。
 それぞれの人間の意識体系が少しずつずれているのは、それぞれの人間が違った役割を担っているからで、すべての人間が集まって人類が在り、すべての人間の表象が地球という宇宙を造っているからなのです。
 それぞれの人間は、主・イエスの諸感覚です。
 それぞれの諸感覚にはそれぞれの役割があります。
 ですから、地球の上で起こっていることの全体は、主・イエスの意識を表しているのです。
 しかし、主イエスの感覚の一部であるそれぞれの人間にとっては、兄弟である他者との出会いは、他者を理解できない苦しみとなったのです。
 自分の意識体系で他者の意識体系を無理やり解釈したからです。

物質化したということは、それぞれの人間の共通意識が育ったことを現しているのです。
 プトレマイオスの平面的地球観から地球が球体であるとという認識が確立してきたことは、私たちがたくさんの他者と出会ったことから起こってきたことです。
 他者と出会い他者を知ること(生であり性であり愛)が、水平の時間(空間)・クロノスを育て、私たちの左右の意識を育てます。
 交通という言葉を、マルクスは流通という意味でも通信という意味でも使っています。
 近代文明は猛烈なスピードで、交通と流通と通信を発達させました。
 私たちは居ながらに、世界各地の人々の生活を感覚することができます。
 そして、私はあなたと直接会ったことはなくても、今、パソコン通信で、心のこもった手紙を書くことができています。
 それは、今、私とあなたが揺るぎのない物質を媒介にしてお互いの意識を聴きあっているからです。
 物質は人間同士の水平の時間(空間)・クロノスとそれぞれの人間の垂直の時間・カイロスから生まれてきたのです。

ゲーテは、物質と生命を研究した人でした。
「自然と象徴」の中でゲーテは植物や動物の成長を深く観察しています。
ゲーテの目は、まさに、生命を生命が育つ方向で視ることでした。
にんじんを観察します。
にんじんには輪切りにすじが入っていますね。
そのすじを、地下に向かって「もりっ、もりっ」と描いてゆくと、にんじんが描けてしまうでしょう。
茎はお日様に向かって「のびろのびろ」と、画面の上に向けて描けば描けてしまいますね。
これが、ゲーテの目なのです。
シュタイナーは、ゲーテの目から出発して、フォルムを研究し、オィリュトミーへの道を開きました。

オィリュトミーとは、体で物質と生命を聴くことなのです。
音楽を聴きますと、そのフレーズごとに脊椎が動きたくなるフォルムが感じられます。そのフォルムを足で歩いて描きますと、体と意識に納得が起こります。
詩を聴きますと、そのフレーズごとに脊椎が動きたくなるフォルムが感じられます。そのフォルムを足で歩いて描きますと、体と意識に納得が起こります。
「あ・え・い・お・う」と音声を発声し、手の形をいろいろ探りますと、特定の形で体と意識に納得が起こります。

これらは、物質と生命を媒介とした人間同士の共通言語なのです。
オィリュトミーを学ぶということは、他者の体と意識を聴き、人類の体と意識を聴き、それを支え創造している主・イエスの体と意識を聴くことに他なりません。

人間は、内界から意識界・現象界に生まれてきます。そして、意識界・現象界での生・経験をまっとうして内界に帰っていきます。
意識界・現象界での生・経験で、人間は物質的生命的に傷つきます。それは、他者を知り理解するためにどうしても通らなければならない道なのです。
内界には物質がありません。ですから、内界の人間は自分が意識したことが実現してしまう世界に住んでいるのです。
しかし、物質が存在しそれを動かせない、意識界・現象界に生まれることによって、初めて、他存在を理解する経験が起こったのです。

内界に響く音声は母音です。また、内界に響く音階はレ・ミ・ソ・ラ・シ・のペンタトンの音階です。
意識界・現象界に響く音声は母音と子音です。また、意識界・現象界に響く音階はド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・の長音階です。
内界から意識界・現象界に生まれることは、大変な緊張を伴うことです。
人間の意識は0〜7才で、徐々に内界の意識から意識界・現象界の意識に移行するのです。
わらべうたのほとんどがレ・ミ・ソ・ラ・シ・のペンタトンの音階でできているのは、人間の意識の構造上当然のことだったのです。

さて、わらべ歌は、レ・ミ・ソ・ラ・シ・のペンタトンの音階を持つと同時に、体の所作・遊びを伴っています。
前後の動き(はないちもんめ)円形の動き(かごめかごめ)、いろいろありますね。
これはまさにオィリュトミーなのです。
また、人間が生活と労働の中で行ってきた所作は、すべて、オィリュトミーなのです。

0〜7才の私たちの子どもたちに私たちがそっとして上げられることは、
まず、心臓のリズム鼓動をしっかりとり、こどもたちがこの世・意識界・現象界で生きることの肉体的楽しさを意識化することを助けることです。
そして、内界と感情から響いてくるわらべうたをたくさん歌ってあげて、その子の感情を肯定していくことなのです。
そして、わらべうたあそびをたくさんやり、オィリュトミーで無意識の体を育てるといいですね。

2001年6月15日(金)