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聴くこと

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 絵本と木のおもちゃの店を始めてから16年になった。
 所長先生や園長先生に「こどもたちをかしてね」とお願いし、保育所や幼稚園の子どもたちと遊び続けた16年であった。
また、幼児のときからサラリーマン時代まで続いた、38年に及ぶ深い鬱病が、治っていく過程でもあった。

 少年の頃、母に連れられて祖母の家に行くと、いつも叔父たちの兄弟げんかがあった。
叔父たちの気持ちを聞いていると、毎回のように、私の腕は脳性麻痺の方々のように、しびれ、捩れ、歯はくいしばり、頭痛が起き、吐き気が起きた。

高校時代に入り、数学で定理を使って問題を解くことが始まると、成績ががくっと下がった。公理から認識をゆっくり積み上げて問題を解くことは得意であったが、定理から問題を解くことに生理的嫌悪感があった。
大学では法学部に入ったが、法律を学ぶことを私の体は拒否していた。
なにせ眠い。授業中教授の講義を聞くということはとてもつらいことで、私は授業に出なくなった。それでも試験の一週間前に
1.2度教科書を通読すれば可の成績で通過できた。
企業に勤め、勤労、研修、福祉、といった仕事に就いたが、私にはいろいろな立場の人々の、苦しみ、悲しみ、怒り、わだかまり、あきらめ、わびしさ、さびしさ、が聞えてきた。
私には企業の立場から仕事をすることを求められていたが、私には私という人間が何をすべきかということしか考えられなかった。
だから、「何もできない」という結論しかです、「何もしない」自分でい続けた。
そんな私を
15年もよく会社が雇ってくれたと思い感謝している。
会社勤めの最後の7年間は、トイレに数時間籠もったり、会社の駐車場まで行ってもそこから山会社したり、悲惨な年月だった。 

私の鬱病の原因は、「一人ひとりの人間が、他の人間の気持ちをちゃんと理解できるようになって欲しい」という願いを繰り返したことにあったのだと思う。

少年の頃に叔父たちの喧嘩で腕がしびれ、捩れたのは、おじたちが相手を理解できないことに悲しみ、叔父たちの怒り、悲しみ、苦しみ、わだかまり、わびしさ、を強調して聞いてしまったからであり、
定理に対する苦しみは、人間が自分の思考をつむごうとすることにより人類全体の中での認識を失ってしまうことに対し反感を繰り返したからであり、
法律に対する反感は、「法律は思考であり認識ではない、人間は相手の気持ちを聞くことができれば自力で問題を解決できるのだ。法律も道徳も倫理も人間に一定の考え方を押し付ける、人間の本源的自由を侵すものだ。これはあるべきでない」という考えを繰り返したからであり、
会社勤めの
15年間は、「ひたすら会社の中にいる人々の気持ちを聴きつづける事」を繰り返していたが、またそれは、会社で出会った人々の苦しみ、悲しみ、怒り、わだかまり、あきらめ、わびしさ、さびしさ、に共感してしまって自分と他人が分けられていない状態になったことでもあった。 

子どもの本と木のおもちゃの店を開いたことは、私をとても楽にさせてくれた。

保育所を回っていると、そこには、体で子どもたちを保育している保母たちがいた。

「彼女たちの体は子どもたちの気持ちを聴いている!!

私の鬱病は、「保母のなかに、子どもの気持ちを理解できているひとがいる」という事実を発見することによって癒されていった。

ただ、彼女たちは体では実践しているのだが、自分の行っていることを話し言葉で説明することができていなかった。

私が、「あなたのやっていることを子どもたちのお母さん方や他の先生に伝えてあげられるといいね。」というと、きょとんとしていた。

私が、彼女たちのしていることを彼女たちに話し言葉で伝えることができるようになるために、さらに16年の月日が必要であった。

その間、私には、「私の言葉が、彼女たちの話し言葉の意識で理解されるようになって欲しい」という新たな鬱が起こっていた。

 

U 人間の間に意識の共有がおこりうるか

16年の間に、幼稚園や保育園で子どもたちと遊んでいると、多動な子、表情の動かない子、たたく子・かむ子・蹴る子、手足の冷たい子、アレルギー・アトピーを持つ子、が増えてきた。 

保育をしている先生方にはよくお分かりになることだと思うが、保育者が気になる子どもの状態をお母さん方に伝えることはとても難しいことなのだ。
お母さんが子どもの状態を心配していれば、保育者がその子のことを話すと共通の問題として相談することができる。
しかし、お母さんが子どもの状態を心配していない場合、また、子どもの状態から目を背けようとしている場合(否定している場合)は、保育者がその子のことを話しても受け入れられないか、拒否をされてしまうのだ。

お母さんが自分の子どものことを本当に心配になるまでにたいへん長い時間がかかる。
先生方はそれまで忍耐強く待たなければならないのである。

このことは、「成人した大人の中に、自分の経験した事実の全部が大脳の意識に昇っていない人がいる。または、自分の経験した事実をしっかり大脳の意識でまとめることができていない人がいる。」ことを示している。 

さあ、ここまで私が話してきたことで、自分自身のこととしてはっと気がつくひとはどのくらいいるだろうか、
「はたして、自分の大脳の意識は自分の感覚した全経験をしっかり表象できているのだろうか
?何かが抜け落ちていないか?何かをぐるぐる繰り返して思考していないか?

すべての人間は、自分のこだわっている感情や認識を繰り返すと、大脳がその思考の方向性にあわない感覚を閉じたり、一部を強調して全体像を作り出して思い込んだりするのである。 

多動な子、表情の動かない子、たたく子・かむ子・蹴る子、手足の冷たい子、アレルギー・アトピーを持つ子、には、大人に起こっていることがそのまま子どもに起こっている。

健常者だと思っている私たちに起こっている意識の歪みは、多動な子、表情の動かない子、たたく子・かむ子・蹴る子、手足の冷たい子、アレルギー・アトピーを持つ子、に起こっており、障害者だとされている子どもや大人に起こっているのだ。

だから、私たち人間は自分の意識と体を認識できるようになれば、多動な子、表情の動かない子、たたく子・かむ子・蹴る子、手足の冷たい子、アレルギー・アトピーを持つ子、の気持ちがわかるはずである。

障害を持つ子の気持ちが分かるはずなのである。

ここに、治療教育が成立する。

治療教育とは、人間全体のものであり、私たち自身のことであり、すべての子供たちのものである。 

 

V鼓動の知覚(自分の体を知覚すること) 

多動な子、表情の動かない子、たたく子・かむ子・蹴る子、手足の冷たい子、アレルギー・アトピーを持つ子、の多くに睡眠障害があることをご存知だろうか、多くは眠りが浅い、逆に眠ってばかりいる子どももいる。

保育所では午睡をするので、「添い寝して、子供たちの体を心臓のリズムで軽くたたいてあげるとよく眠る」ことを知っている。

睡眠障害が起こるのは、大脳の意識が体の緊張に対して緊張してしまうか、大脳の意識内部の問題で大脳に緊張が起こるからで、子どもたちの大脳の意識が自分の体全体を聴くことができるようになると眠れるようになるのだ。

手足の冷たい子は、手足を先生やお母さんの手で温めてあげると眠れるようになる。

アレルギー・アトピーを持つこの多くは足を突っ張って緊張させているから、手指足指の指遊びをしたり、足首や足裏のマッサージをしてあげると眠れるようになる。

 

0.1.2.才のときに、手、指、足、ひざのせ、舟こぎ、頭、顔、の遊ばせあそびをしっかり鼓動をとっておこなうと鼓動を感じられるようになる。

あかちゃんに「ウゴー」や「アプー」や「レロレロ」といったはじめてかけてあげる言葉を、家族でかけてあげると鼓動を感じられるようになる。

「てんこてんこ」「にぎにぎ」「かんぶかんぶ」「ちょっちょっ あわわ かいぐりかいぐり とっとのめ おつむてんてん」「ばんざい」「じょうずじょうず」「ちょうだい」といった真似あそびを行うと鼓動を感じられるようになる。

日本の伝統的な子育ての方法は、子どもたちに鼓動を響かせる大切な働きをしていたのだ。

がちゃがちゃどんどん 元永定正 (福音館書店)、もこもこもこ 谷川俊太郎・元永定正(文研出版)、どんどんどんどん 片山健(文研出版)、もけらもけら 山下洋輔・元永定正(福音館書店)といった、外の世界から聞こえてきた音や光を言葉と絵で表現した絵本を読み聞かせていくと、子どもたちの大脳の意識に鼓動が響くようになる。

子どもたちに、赤、青、黄色、緑、白、と、これらの色を混ぜ合わせた中間色を体験させていくと、大脳の意識に視覚情報が昇るようになる。

私は、「ジージーバー」や「たんぽぽ」などのわらべうた素材をつかって、色のついた布を振ったり、赤、青、黄色、白の水彩絵の具を使い混色体験をすることにより特定の色へのこだわりをはずし、大脳の意識に視覚情報が昇るように促している。 

自分の体の鼓動を知覚できるようになるということは、体が感覚した情報が大脳の意識まで昇るようになるということである。

体が感覚した情報が大脳の意識まで昇らない状態があると、腰椎や仙骨、肩や頚椎、に副交感神経系や知覚神経系の情報が詰まってしまうので、腰や肩が歪んだり、肩こり、腰痛がおこり、知恵遅れや不器用がおこる。

  

W呼吸の知覚

 呼吸の知覚(他者の体と自分の体を意識すること、感覚を整理することまとめること)

人間は他者と関係することで生きている。

人間は他者や環境を自分の体で意識するときに右回りを起こす。

自分の体が環境に働きかけるとき左回りを起こす。

なぜ美術館や博物館の展示は右回りになっているのだろう。

なぜトラック競技は左回りに設定されているのだろう。

なぜ輪になってわらべうた遊びをするときに、輪のみんなは左回りに動き、オニは右回りに動くのだろう。

人間の自然な体の働きは、おうちの中では右回り、お外では左回りが起こりやすいようになっているのだ。

 

人間の呼吸は吸うときに右回り、吐くときに左回りを起こす。

この人間に起こる自然な呼吸がまず一日のリズムを作り出す。

朝起き、排泄をし、食事をし、保育所に登所し、挨拶し、遊び、昼食を食べ、午睡し、遊び、挨拶し、おうちに帰り、夕食を食べ、お風呂に入り、睡眠する。

睡眠している時間と起きている時間でまずリズムがおこり、

おうちにいる時間と保育所にいる時間でリズムがおこり、

保育所内にいる時間とお外にいる時間でリズムがおこり、……

さまざまなリズムが重なり合うことにより、時間が起こってくるのである。

この中で一番基本的なのは、睡眠の時間と起きている時間である。

起きている時間に人間は他者との出会いをする、経験がそこから起こる。

睡眠は起きている時間に起きた経験を記憶するためにあるのだ。

睡眠している間に、大脳の一時記憶(海馬に記憶されている)が、内臓に記憶される。

内臓に記憶された情報は、体を形成する情報となり、地球に記憶されるのである。

 

一日のリズムは、一ヶ月のリズムを作り出し、季節のリズムを作り出し、一年のリズムを作り出し、生、老、病、死、のリズムを作り出す。

 

呼吸の本質とは、他者と環境から送られてくる感覚を正確に感覚し、自分の意識に正確に再構成し、他者の意識と第三者の意識と自分の意識をまとめ、人間の共通意識の結晶である地球に自分の発声を響かせることである。

左図のとおり、外界と肉体との関係においては、外界には左回り、肉体には右回りの8の字(レムニスカート)がおこるが、

肉体と脳(表象意識)との関係では、肉体に右回り、脳に左回りの8の字(レムニスカート)がおこる。

この、8の字のカーブの曲率の変更地点の直前で、緊張や繰り返しが起こることにより、人間の意識に歪みが起こるのである。

  

X呼吸の歪みから起こるコミュニケーション障害 

自閉症・アスペルガー症候群

視床に緊張があると、大脳基底核における脳を保護するための機能が働き、体から脳に上ろうとする感覚の一部が閉じられてしまう。

神経症

脊椎骨に他者を聴こうとする緊張があると、体から脳に上ろうとする感覚の一部に繰り返しが起こり、自分や他者の苦しみ、恐怖、怯え、怒り、等が強調されて意識されてしまう。 

鬱病

小脳に「人間は〜あるべきだ」という認識を繰り返す緊張があると、現実と認識との区別があいまいになり、現実に対し絶望、苦しみ、悲しみ、わびしさ、わだかまり、の感情を繰り返してしまう。 

脳性麻痺

脳梁に「自分の自我で自分の体や意識を動かそうとする」緊張があると、大脳から体に対して命令が出てしまい、本来の体自体にある運動調整機能が大脳に対してアレルギーを起こすために、麻痺が起こる。 

ADHD

前頭葉に「思考を論理化し普遍的意識を作ろうとする」緊張があると、前頭葉の作り出す価値意識に合わない現実を否定する。このために、絶望、憂い、怯え、の感情がおこりパニックを起こす。

ADHDが深くおこると、大脳基底核における脳を保護するための機能が働き、体から脳に上ろうとする感覚の一部が閉じられてしまう。これにより、自閉症に似た症状が起こる。 

行為障害

体に起こる感情が頚椎、肩甲骨、鎖骨で塞き止められ、意識に上らず、体の中で繰り返されると、エーテルやアストラルなどの擬似意識(波動霊)を作り出し、波動霊の意識が脳の意識を占拠する状態になる。

すると、大脳辺縁系(海馬、扁桃体、帯状回)に意識された大脳意識に起こった部分的感情で、思考を繰り返したり、怒ったり、殴ったり、たたいたり、噛んだり、蹴ったりする。

 

自我を感じ甘えることができないと、呼吸のリズムが不安定となり、自分の鼓動が聴こえなくなる。

恐怖・怯えがあると鼓動のリズムが不安定になり、他者を呼吸できなくなる。

  

Y呼吸を安定させ、自分・他者・環境を分離し意識を再構成しまとめる力を成長させるための方法 

@音楽(聴覚)からのアプローチ

 自分の感情のメロディをたっぷり歌い、喜び肯定すること。(0才〜)

ペンタトン(レミソラシ)の音階は人間の感情を表し、腰椎(5個の骨からなる)と内臓を育てる。あかちゃんのときからわらべうたによる子育てが行われること。

自分の発声している声や音を楽しみ肯定すること。(3才〜)

力を抜いて小さな声や音を聴き楽しむこと。グロッケン、ライアー、小さな打楽器などの音を自分の感情が外界に響いていることの喜びとして聴こえること。

他者の発声している声や音を楽しみ肯定すること。(4才〜)

役割交代遊びを楽しめること。(4才〜)グロッケン、ライアー、小さな打楽器などで自由演奏を楽しめること。(6才)多声の合唱や合奏を楽しめること。(7才〜)

 

 A美術(視覚)からのアプローチ

生命が形成される色とフォルムと方向(ムーヴメント)を意識に再構成することを喜べること。生命が自分の感情の表現であることを認識できるようになること。(3才〜)

描き始めの一点を決め、そこから色違いと成長の方向を追って描く。(キミ子方式絵画)

自分の意識の内部に起こっている色、フォルム、方向を意識に再構成し、それを喜び肯定すること。(5才〜)

クレヨンや水彩による画面分割。抽象絵画の方法。

自分の意識の内部に起こっている色、フォルム、方向の繰り返しを意識化し、その緊張を癒し和らげる方法。(2才〜)

ぬらし絵、ボディペインティング等

 

B踊り(触覚)からのアプローチ

上下、前後、左右、の空間意識の確立(0才〜)

寝返り、はいはい、押さえ立ち、たっち、自然な成長の過程の中で上下、前後、左右、の空間意識の確立がなされていくこと。

自分の感情の描くフォルムを喜び楽しめること。(0才〜)

あそばせあそび、あそびうたなど、わらべうたあそびの中に、自分の感情が描くフォルムが多数伝えられている。

自分の大好きな音楽や詩を聴いてそれぞれの分節の持つ、フォルムと方向を感覚できるようになること。オィリュトミー(6才〜)

母音を体全体に響かせることができるようになること。母音のオィリュトミー(2才〜)

これにより、自分の感情を肯定できるようになる。

子音を体全体に響かせることができるようになること。子音のオィリュトミー(6才〜)

これにより、他者や環境(他者と自分の集合)から響く音や光(感覚)に対するアレルギーを癒し、一人ひとりの他者を個別に知覚し自分の意識に再構成する能力が育てられる。

和声と色を体全体に響かせることができるようになること。和声のオィリュトミー・色のオィリュトミー(6才〜)

これにより、他者に対し他者の言葉で語る能力が育てられる。

 

C言語(臭覚)からのアプローチ

自分の経験を、「自分(またはおかあさん)から出発して、他者との出会いがおこり、再び自分(またはおかあさん)に戻る。」という、物語の原型でまとめられるようになること。(3才〜)

「のせてのせて まつたにみよこ・東光寺啓 童心社」

「がたんごとん がたんごとん 安西水丸 福音館書店」

などの物語の絵本の読み聞かせが、自分の経験を肯定する力を育てる。

他者の場と他者の場、他者の場と自分の場をつなぐ発見が喜びを持って起こること。(4才〜)

「たろうのひっこし 村山桂子・堀内誠一 福音館書店」

「はなをくんくん クラウス・シーモント 福音館書店」

などの絵本の読み聞かせや、日常の生活の中での関係の発見を描いた科学の絵本のよみきかせが、自分と他者の生活空間をつなぐ発見の喜びを育てる。

  

Z再び鼓動と呼吸

  これまで、人間の根源的なコミュニケーション障害の多くが呼吸がうまくおこらないことから起こったことを明らかにしてきたが、呼吸の安定は鼓動の安定を抜きには起こり得ない。 

自我を感じ甘えることができないと、呼吸のリズムが不安定となり、自分の鼓動が聴こえなくなる。

恐怖・怯えがあると鼓動のリズムが不安定になり、他者を呼吸できなくなる。

からなのである。

 

 鬱病、脳性麻痺、ADHDを持つ人たちは、自我を強く感じ自分で問題を解決しようとするために他人に甘えることができにくい。すると、呼吸のリズムが不安定になり、自分の鼓動が聴こえなくなるのである。

神経症、自閉症を持つ人たちには恐怖と怯えが深くある。すると、鼓動のリズムが不安定になり、他者を呼吸できにくくなるのである。

 したがって、すべてのコミュニケーション障害において鼓動の知覚を促してあげないと呼吸の知覚を促す準備ができないのである。

 

  

この文章は、新潟シュタイナー通信のために書きました。

シュタイナーを学ぶ人々が、シュタイナー学派の考えてきた事柄を超えて、他の人々の果たして来た成果を発見し、自分たちの認識を広げられることを希望しつつ

 

2004年7月20日(火)

千葉義行

音楽
Missa Sine Nomineより Benedietus quivenit in nomine Domini
Johannes Ockeghem(Flanders,1425-1497)

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