言葉と五感と芸術
お手紙ありがとうございました。
話し言葉は、私たちの体の感情を他者に伝えるために大切なものです。
まず、他者の気持ちを自分に伝えることが正確にできているかが問われなければなりません。誰でも人間は、他者の気持ちを自分に伝えているつもりでも、抜け落ちているわけで、そこに、自閉症(広義にも狭義にも)・アルツハイマーの問題があるわけですが、これの問題解決のために、音楽(聴覚)があると考えています。
つぎに、他者と自分の気持ちをすり合わせし、秩序付け、自分の意識の中で再構成し、バランスをとることができているかが問われなければなりません。他者と自分の感情の一部が繰り返されたり強調されたりしますと、判断がうまく働きません。判断に公平さがなくなるのです。そこに、鬱病、リューマチ、神経症、精神分裂病、の問題があるわけで、これらの問題解決のために、絵本・詩・物語・話し言葉(臭覚:大脳は臭球が拡大したものであるということをご存知ですか?)があるのだと考えています。
さらに、他者を支える環境を創造することができているかが問われます。創造することは、力が抜けることなのです。努力して自分や他者を作ろうとしている状態では、自分の認識は実現しません。自分の認識は思考として自分の中で、他者の中で、繰り返され、それが、更なる思考を生むからです。ここに、脳性麻痺、ADHD、痛風、ガン、の問題があるのです。これらの問題解決のために、労働と踊り(触覚)があるのだと考えています。
さあて、「他者の気持ちを自分に伝える。」「他者と自分の気持ちをすり合わせする。」「他者を支える環境を作る」に共通する意識を伝えるためのルールは、視覚の中にあるのですね。だから、視覚が歪むことによって、人間は、いま自分たちが触れている世界以外の世界を作り出してしまったのです。なぜ、いわゆる霊的世界があるのか、なぜ、宗教がたくさん分かれてあるのか、がこの問題からおきています。この問題の解決のために、絵画や彫塑があると考えています。
いま、わたしは、フェルトで、動物や、やさいや、くだもの、を作ることに熱中しています。「かさじぞう」や「はなをくんくん」の絵本をフェルトで作りました。これを、子どもたちにグロッケンやライアーの音とともに話しながら演じています。すると、子どもたちの体と意識に深く深く受け入れられていくのがわかるのですね。生きている生命を表現するには、筋肉の硬さをもったものでなくてはならないのですね。ここに、味覚という問題があるのかな。
2004年1月26日