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長崎の事件に寄せて

 

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音楽

林光  銀河の底で歌われた愛のうた

 

長崎の幼稚園児殺害事件で中一の男の子に”アスペルガー症候群”という精神鑑定の結果がでたことが、新聞で報道されました。
私は、新聞報道から漏れてくる彼の生育歴から、”ADHD”(注意欠陥症候群)があるであろうと予想していたのですが、事件の全体像のちぐはぐさを感じると、“アスペルガー症候群”(軽度の自閉症)という診断は納得のいくものでした。
おそらく、“アスペルガー症候群”だけでなく、”鬱病“”ADHD“”分裂病“も同時に起こっていたと思われます。

犯罪(みんなが維持しようとしている一定の秩序を意識的に否定し、破壊しようとする行為)は、鬱病で起こった思考を、ADHDが前頭葉で思考の繰り返しを起こし、分裂病でさらに繰り返される時に起こります。
サカキバラセイトの事件や、バスジャック事件、には、”鬱病“”ADHD“”分裂病“というキーワードが響いていました。

゛アスペルガー症候群”(軽度の自閉症)の多くでは、視床において、概念が、概念の内包・゛内容゛意味゛゛方向゛を失う(アルツハイマー)という現象を起こします。
生命という概念は、関係すること(愛)・空間という意味と、生死・時間という方向を失いやすく、
光という概念は、色彩という意味と、粒子性(空間)、波動性(時間)という方向を失いがちです。
生命と光で自閉症が起こりますと、箱庭遊びで人形や動物を倒してしまう現象がおきます。
生命の概念が、肉体と性・親子という内容を失いますと、自分の性の否定が起きたり、他者の生の否定が起こります。
光の概念が、意識という内容を失いますと、戦い遊びが起きてしまいます。

ADHDであっても、自閉症であっても、鬱病であっても、神経症であっても、一人で世界を作ろうとする恐怖と怯えが無くなることが治療の第一歩になります。
お母さんやお父さんや世話をしてくれている先生方に甘えられるようになることが第一歩なのです。
父母や教育者も、甘えることができるようになり、体と心のこわばりが解けてきて始めて、゛本当の自立が起こる゛ということを認識しなければなりません。

その次に、自然の中から聞こえてくる音や、光、自分の感情から響いてくる歌、肉体の鼓動、リズム、自分の素朴な感情が、それでいいものであり、又、自分と出会う他者に同じものが響いているのだという認識が、ゆっくりと自分を癒し始めるのです。

長崎の男の子が中学一年生まで障害があると分からなかったように、家族も学校関係者も幼児保育教育関係者も、まだまだ障害から目をそらしています。
健常者であると思っている自分自身の中に、他者の思いを正確に自分の意識に伝えられていないコミュニケーション障害があるのだということを、誰もが認識する時代が早く来るように願っています。

2003年9月24日

千葉義行

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