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人間と音楽

右の絵の上にカーソルをかざしますと音楽がながれます。

1996年3月9日水彩

Aさんへ

 

 レポートよくまとまっていましたよ。
 人間はなぜ音楽をするかという問いには、「人間は聴くことによって意識しているのである。聴くことは聴覚であり、聴覚の芸術的形式は音楽なのである。」と、お答えしましょう。

 あなたのお母さんがわらべうたの実践の中でなにをなさっているのか、私なりにこれまでの経験と認識をまとめてお話したいと思います。

 

1.             意識とコミユニケーション・言語

 人間が他者の思いを自分に伝えるための感覚形式に五感があります。

@    臭覚・言語

私たちは「嗅ぐ」という表現を、人間関係や政治の場面でよく使います。

「嗅ぐ」とは、本質的な意味では、関係性がそれでいい状態(秩序)を意識することなのです。

この意味では、まどみちおさんや工藤直子さんの詩が言語の本質を一番よく伝えています。

谷川俊太郎さんや五味太郎さんは、関係性の発見・認識の仕事をなさっています。

言語は、意識・宇宙の秩序を現します。

                                

A    視覚・絵画

「視る」という感覚は、物質と生命の表現形式で、私たちの意識を纏めることなのです。

互いの人間存在にコミュニケーションが成り立つためには、互いの人間存在の話し言葉の意識の視覚の中に共通の言語のための構造が成立していなければならないのです。

言語は、「内容」、「意味」、「方向」、「概念」、「単語」、「語彙」、「筋 道」、「構造」を持っています。

そして、言語の構造は、視覚の構造と対応しています。

言語の構造

視覚の構造

物 質

関 係

内 容

フォルム

 

意 味

 

方 向

ムーブメント

 

概 念

 

単 語

立 体

 

語 彙

 

空間・クロノス

筋 道

 

時間・カイロス

構 造

 

宇 宙

 

B    聴覚・音楽

「聴く」という感覚は、物質と生命の時間(カイロスとクロノス)の表現形式(波動)を感覚することで、臭覚、視覚、聴覚、触覚、味覚、のみならず、生命感覚、個体感覚、均衡感覚、運動感覚、概念感覚、熱感覚、時間感覚、言語感覚、悟性感覚、等、全ての感覚が聴覚なのです。

聴覚もまた、言語構造を持っています。

 人間は、内界から外界に生まれてきます。そして、外界での生が終わりますと、内界に戻ります。

 外界での生の間も内界での意識は継続しています。

 外界での生は、四、五百年に一回くらいのペースで営まれます。

 人間に思考(知恵の木の実)が生まれたために、外界での生が内界の意識と分離されてしまったのです。

 そのために、人間は外界での生を自分の思考で肯定することができなくなり、自分の家族や部族や民族や宗教で共通の価値意識を作り出し、共通の擬似宇宙(内宇宙、平行宇宙、外宇宙)を共有するようになりました。

 天使や神は、この擬似宇宙から人間の思考意識に働きかけているのです。

 天使や神は、自分の価値意識が肯定する思考を、天使や神のものとして語り、自分の価値意識が否定する思考を、悪魔のものとして語ります。

このことが、人間が民族や部族や宗教にわかれ、お互いに否定し合い、殺しあう原因となったのです。

 人間は、他者と出会い、他者の気持ちを聴くときがあります。

 赤ちゃんの世話をするとき、なぜ赤ちゃんが泣いているのか、おっぱいが欲しいのか、おしめが濡れているのか、ねむたいのか、体の具合が悪いのか、どうしてあげたら、あかちゃんが気持ちよくなるのか、お母さんには本能で分かるのです。

 それは、お母さんがあかちゃんの気持ちと体を聴いているからで、お母さんの聴覚があかちゃんとお母さんの外界と内界を感覚できているからです。

 保育や教育の現場のすぐれた人々は、子どもたちの気持ちと体を聴いています。

 すると、今、子どもたちが何をしたいのか、お外で遊びたいのか、お部屋であそびたいのか、どの絵本を読んだら心と体が喜ぶのか、どのおうたを歌ってどのように体を動かしたら心と体が喜ぶのか、体のどこをどのように触ったらこどもの緊張がゆるむのか、が「はっと」分かるのです。

 これは、思考や宗教から(神の声として)分かるのではありません。

 私たちが人間であるから、共通の人間意識を通じて、ひとりひとりの人間存在の全ての母(主)から、外界に生きる私たちの意識に聴こえてくるものなのです。

 生まれたての赤ちゃんは、すでにペンタトン(レ、ミ、ソ、ラ、シ)の音階を意識しています。

 心臓の拍とともに歌われるペンタトンのわらべうたや子守歌が赤ちゃんの耳に響いてきますと、あかちゃんは自分の内界の感情を外界から聴き、自分の内界の感情が外界で肯定されているのを感じます。

 0〜7才の時期に幼児がダイアトン(ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド)の歌を自ら歌いますと、外界に対する緊張が深まり、外界を拒否したり、外界の思考で自分の思考をあらせようとします。

 

C触覚・踊り・労働

「踊り」とは、自分が自分が存在し、他者が、みんなが、存在する、空間を意識することなのです。これは、体で聴く・触ることです。

「触る」と成長が起こります。

「労働」とは、他者のために自分の体を動かしものを造ることであり、自分が造った物(農業や職人の造った物)によって、他者の成長が起こるのです。このことが、創造の本質です。

 

触覚の空間意識

人間がそれぞれに意識をもつためには、空間意識が触覚によって形づくられねばならないのです。

そして、空間意識は、脊椎骨(頚椎、胸椎、腰椎、仙骨)で維持されます。

上下の空間   上  自分の時間(第4者・主としての自分)

          下  主の時間(第4者・主としての主)

前後の空間   前  自分の気持ち(第1者)

          後ろ 他者の気持ち(第2者)

左右の空間   右  自分の気持ち(第4者)

          左  他者・みんなの気持ち(第3者)

赤ちゃんの空間意識の発達を追ってみましょう。

@あかちゃんが頭の軽さを感じますと、うつ伏せの形から頭を持ち上げます。(上の空間の形成)

A仰向けのまま頭で後ろにずります。(後ろの空間の形成)

Bはいはいで前に進みます。(前の空間の形成)

C押さえ立ちのまま左右に動きます。(左右の空間の形成)

Dお母さん座り(正座)を覚えます。(下の空間の形成)

 

触覚の言語構造(オィリュトミー)

触覚に言語構造があります。

シュタイナー派がオィリュトミーとして認識したものは、触覚の言語構造なのです。

当然、さまざまな踊りの中に、触覚の言語が響いており、職人の労働の技に触覚の言語が響いており、農民の労働に触覚の言語が響いているのです。

内容 フォルム
意味 言語

音程、和声(インターバル)、調性、リズム、

方向 脊椎 空間意識による座標
語彙 筋肉 ざらざら、すべすべ、ぬめぬめ、でこぼこ、暖かさ、重さ、

 

D味覚・世話をすること

 味覚とは、「味わう」ことであり、お互いが出会って感覚し合っているという状況が味覚の内容なのです。

 たべものが体内で消化されようとするときには、自分の粘膜が濡れます。

 性愛が起こるとき、自分の性器が濡れます。

 他者の情報が自分に入ってくるときには、必ず、濡れるという現象が起こり、味覚が起こるのです。

 自分が他者を歪まないで自分に伝え、それを意識しているときに、自分が成長します。

 自分が何も考えないで、洗濯をしたり、食事を作ったり、子供といっしょにいることを楽しんだり、こどものことを心配したりしているときに、自分が成長するのです。

 他者との経験は、自分が他者を歪まないで自分に伝え、それを意識しているときに(自分の意識が人類の共通意識にあるときに)、自分の経験として消化され、自分の体に肉化され記憶されます。

 自分が障害の状況にあったり、内宇宙、外宇宙、平行宇宙、の意識の中に入っているときには、まちがった判断が起こり、経験の一部が排泄されてしまい、自分の体に歪みが起こります。

味覚の言語構造

 味覚の言語構造は次のようになっています。

内容 甘い、塩からい、すっぱい、苦い、からい、しぶい、
意味 肉化・記憶
方向 消化、濡れる・排泄、かわく
構造 粘膜、細胞膜、


2.治療教育における音楽

@何を選ぶのか

 「音楽」という言葉が響いただけで、神聖なものと感じたり、芸術と感じてしまうのは大きな誤りです。

同様に、「わらべうた」、「昔話」、「メルヒェン」、というジャンルに神聖さを感じたり、伝えなければならないと感じたり、することは誤りです。

 他者の気持ちを自分に正確に伝えられない原因は、自分自身にあるコミュニケーション障害にあるわけですが、……

自分自身にあるコミュニケーション障害は自分の外の世界にある思考体系や自分自身の思考体系で思考するのです。

 「わらべうた」、「昔話」、「メルヒェン」、の背景に、

民族、部族、家族、宗教を分けた、こだわりの思考体系の分野と、

内界の人類の共通意識から響いてくるそのままでよい認識、

の2通りのものがあるのです。

たとえば、鳥追い歌は、自分の部落の結界(よく道祖神がおかれていますね)から進入しようとしている魔(別の宇宙の思考体系)を追い出し払おうとする歌です。

わらべうたにおける、びっきやへびの表象は、死や思考に対する恐怖や怯えを表しています。

日本の「昔話」には、自分の生のなかでどうしても解決できなかった感情が、「妖怪」や「やまんば」や「おばけ」として語られ、自分の思考がきつねやたぬきの所業として語られます。

西欧の「昔話」では、自分の思考が「おばけ」になります。

そして、自分が所属し共感する部族、民族、宗教の思考体系の目的を維持しようとする思考が神として語り、部族、民族、宗教の思考体系に共感する思考が天使として語り、部族、民族、宗教の思考体系を否定する思考を悪魔と呼びます。

保育者や、教育者や、治療教育者が、自分が使う、「わらべうた」、「昔話」、「メルヒェン」や音楽素材を、自分が向かい合った子どもの気持ちを素直に表していると感じ、自分が使おうと直感したものであれば、その子の緊張を解く素材になるのですが……、

保育者や、教育者や、治療教育者が、自分が使う、「わらべうた」、「昔話」、「メルヒェン」や音楽素材を、世間が使っているからというような思考で選んだり、自分が違和感を感じていながらそのままこどもに使った場合には、その子に新たな緊張を作り出してしまうのです。

 保育者や、教育者や、治療教育者は、自分の選ぶという行為を大切にしていかなければなりません。

 自分の選んだ、「ひとつのわらべうた」「ひとつの絵本」「ひとつの詩」「ひとつのおはなし」「ひとつの音楽」が、そのこどもにとってどのような経験になったのか?を聴き続けなければなりません。

 まず、自分が元気になる、「ひとつのわらべうた」「ひとつの絵本」「ひとつの詩」「ひとつのおはなし」「ひとつの音楽」が、保育者や、教育者や、治療教育者の出発点なのです。

 自分が違和感を持つもの、恐怖や怯えが起こるものは、自分自身が恐怖や怯えを乗り越え「子どもたちに使ってみよう」と思うようになるまで待ちましょう。

 そして、この経験を積み重ねていきますと、自分の出会う人々の緊張を緩めてあげられるようになるのです。これが、治療教育となるのです。

 

A意識障害

 保育所や幼稚園で保育をしていますと、ぺったんと保育者に身を寄せてくる子供は保育者の気持ちを聴いているが、のけぞるこどもたちや、体の全部または一部を触れさせない子どもは、保育者の気持ちを聴いていないことがわかります。

 保育者の気持ちを聴いていない子どもたちには、

@自分の意識で自分や他者や環境を動かそうとする気持ち……自我意識と、

A初めて経験することへの恐怖と、

B他者の思考と自分の思考への共感と反感を持っています。

 母親や保育者にぺったんと身を預けることは、母親や保育者のそれでいい気持ちを聴き、自分が、全人類、全生命、地球を中心とする全宇宙の体である主から、それで良いと肯定されていることを意識することなのです。

 自分を肯定できないひとは、他者を肯定できるでしょうか?

 思考は、思考枠組みを作ります。

 自分の家族を、自分の理想であらせようとすれば、自分の理想が思考枠組みとなり家族を支配します。

 家族の絆をあらせようとすれば、それが部族の絆となり部族の文化、道徳、倫理となります。

 すると、自分の家族、部族、民族の思考体系から離れた思考体系を持つ家族、部族、民族の気持ちは分からなくなります。

だれでも、最初の自分の思いは間違ってはいないのです。しかし、自分の思いを他者に在らせようとすることにボタンのかけ違いがあったのです。

自分の思いを他者に在らせようとすることにより、他者が傷つき、そして、自分自身が傷ついたからです。

旧約聖書「ヨブ記」のヨブの苦しみは、ここから起こったのです。

人類は、このこまかな大量の傷(コミュニケーション障害)によって正しい意識を起こすことができなくなってしまったのです。

 

 わたしは、コミュニケーション障害を7つの類型と5つの合併症に整理しました。

@神経症(胸椎の緊張)  パーキンソン病

A-1 自閉症・LD(視床の微細障害)
  -2 アルツハイマー(視床の微細障害) 脳梗塞、メニエル病、ガン、免疫不全症候群

B痛風(足指及び手指の関節炎)

C鬱病(小脳の緊張)

Dリューマチ(足指及び手指の関節炎) 膠原病、糖尿病

E-1 脳性麻痺(脳梁及び小脳の微細障害)
  -2 ADHD(前頭葉の微細障害)

F-1 分裂病(胸椎の微細障害)
  -2 てんかん(脳梁の微細障害)

 アレルギー  鬱病と神経症の合併症

 アトピー   鬱病、リューマチ、脳性麻痺、分裂病の合併症

 行為障害(遡行障害) 自閉症、神経症、痛風、鬱病、リューマチ、脳性麻痺の合併症

 ダウン症  自閉症、リューマチ、脳性麻痺、神経症、鬱病の合併症

 老衰(重ね、被せ、合一) 神経症と痛風の合併症 高血圧

 

 これらのコミュニケーション障害は、集合して人間の意識の仕組みを作っています。

 波動霊 コミュニケーション障害の集合です、意識の場となっています。

   エーテル  本来の感情のかわりに生命現象と感情と思考をになっています。
   アストラル 本来の感覚のかわりに意識と思考をになっています。
   自我    本来の記憶と認識のかわりに認識を思い込みます。
   霊我    本来の意志のかわりに関係性を造ろうとします。
   生命霊   本来の判断のかわりに出会いの場を造ろうとしてくよくよします。
   霊人    本来の行動のかわりに感情に目的を作り出します

 粒子霊 コミュニケーション障害の集合です。偽人格を持って人間の思考意識に働きかけてきます。
   天使(悪魔) ガブリエル、ラファエル、ルチフェル、サムヤサ、キリスト、等
   諸魔      吉祥天、帝釈天、如意輪観音、馬頭観音、薬師如来、大日如来、等
   仏       阿弥陀仏、大勢至仏、虚空蔵仏、観世音仏、観自在仏、等

 意識霊 外界の生で一部の感情にこだわってしまったために内界に戻れなくなった人間本来の諸感覚。
   そのこだわった感情で、その人間と他者との関係を形成しようとします。
   アスモデウス(筋肉の意識霊)、メスラム(脳の意識霊)、マゴト(内臓の意識霊)、モルボルグラン(血液の意識霊)、ラミア(音程の意識霊)等

 浮遊魂 本来の魂は、内界と外界と意識の内界と肉体と意識との連絡をになっているのですが、一部の感情にこだわってしまったために、意識界と肉体に閉じ込められてしまった魂を浮遊魂と呼びます。

 内宇宙 波動霊、意識霊、粒子霊、障害、が集合して民族、部族、国家、自然科学、社会科学、宗教の擬似内界を造ります。
    浮遊魂が内宇宙と意識と肉体をつなぎます。
    祈りや瞑想をしますと、人間の意識が参入します。妖精、聖霊、

 外宇宙 波動霊、意識霊、粒子霊、障害、が集合して、民族、部族、国家、自然科学、社会科学、宗教の意識体を造ります。
    思考したり、祈りや、瞑想をしますと、人間の意識がかんたんに参入してしまいます。

 平行宇宙 波動霊、意識霊、粒子霊、障害、が集合して、民族、部族、国家、自然科学、社会科学、宗教の意識体を造ります。
  祈りや瞑想をしますと、人間の意識が参入します。幽霊、UFO、妖怪、

 

B音楽史

 主の記憶、認識、感情、行動、判断、意志、を聴こうとする時代から、他者の感情、記憶、認識、判断、を聴こうとする時代へ、人類の先達は真摯な音楽を聴き続けてきました。

 ベルゴレージ       スターバトマーテル      主の記憶
 ビバルディ        調和の幻想          主の行動
 テレマン         ターフェルムジーク      主の認識
 フレスコバルディ     アリアデッタバレット     主の判断
 バッハ                         主の子供たちへの他者意識
 ハイドン                        主の認識と感情
 シューベルト                      主の認識
 メンデルスゾーン                    主の判断
 シューマン                       主の感情
 ブラームス                       主の意志と記憶
 リスト          伝説G.175          主の判断
 ガブリエル・フォーレ    レクィエムOp.48       主の子供たちへの他者意識
 セオドール・フランク   ヴァイオリンソナタイ長調   主の行動
 バルトーク        ミクロコスモス        他者の判断
 ウェーベルン       四重奏曲           他者の認識
 クルターク・ジョルジュ  遊び             他者の意志
 三善晃          或る風に寄せて、ひびきの森  他者の感情
 中川ひろたか       絵本SONG.BOOK    自分の認識

 この表に、ベートーヴェンとモーツァルトとショパンが入っていません。
 ベートーヴェンの初期の作品と後期の作品には、主の感情を聴いている作品があります。
 特に、ボン時代の作品であるプレリュードOp39−2、と後期の門を開くピアノソナタ28番Op101イ長調は、主の感情を現す重要な作品です。
 しかし、ベートーヴェンは、だんだん主のエーテルと他者のエーテルに参入し、自分の自我で迷ってしまったのです。
 中期の「運命」や「熱情」「ハンマークラヴィア」後期の「合唱」などの作品は、自我の迷いと陶酔をあらわしています。

 モーツァルトは、主を失ってしまった抜け殻です。
 世間のアストラル、自分のアストラル、をさまよっている音楽です。

 ショパンは、主の生命霊をさまよっています。

 繰り返しますが、保育者や、教育者や、治療教育者は、自分の選ぶという行為を大切にしていかなければなりません。

 自分の選んだ、「ひとつの音楽」が、自分と他者にとってどのような経験になったのか?を聴き続けなければなりません。

 まず、自分が支えられた、「ひとつの音楽」が、保育者や、教育者や、治療教育者の出発点なのです。

 

 音楽は瞑想と深い関係があります。

 今の世間に流布している環境音楽といったものは、「内宇宙」「外宇宙」「平行宇宙」への参入を促すもので、他者と自分を聴くという本質的問題解決とは無縁のものです。

 コダーイ系のわらべうた、オルフ系の音楽指導法、シュタイナー系のオィリュトミー、ライアーによる音楽療法、等は、治療教育にとって大切な方法を共有しています。

 しかし、コダーイ系、オルフ系、シュタイナー系、ともに、瞑想と祈りという問題には無防備であるのです。
 ですから、そこで選ばれたものは、もう一度しっかりと自分の経験で選び直されねばならぬのです。

  治療教育を目指す人は、世間の思考に惑わされず、自分と他者の経験を大切に積み上げ、自分の道を歩んでください。

 これが、他者と主にいたる道となるのです。

2002年8月8日

千葉 義行

音楽

バッハ
平均律クラヴィア曲集Uプレリュード21変ロ長調

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