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周囲から

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千葉様

 メールをどうもありがとうございました。

>ともあれ、9月15.16日、9月22日、9月23日には、発言しようとしていない私がいました。
>私の言葉は、周囲の皆さんのほうから、周囲の皆さんの体と意識から、発声されているからです。

 この話はいいですね。
今、シュタイナーの「西と東の緊張」というのを読んでいるので すが、その中に、
「外部の物理的世界は人間の内部で記憶として精神化する、外部の精神 的世界は人間の内部で物質化する。したがって、人間は世界の記憶である。」
というよう な主旨の話がでています。
これはまあ、壮大なレベルの話ですが、
私が思いますに、もっ と日常的なレベルでも、
「宇宙の彼方へと延びる直線が反対側から還ってくるように、宇 宙全体に発散されたものは人間の内部から再び現れ、人間の内部へと消滅したものは再び 周囲から現れる。」
ということが言えるのではないでしょうか。
人間として存在すること の意義と責任がいかに重大であるかを考えさせられます。

 

何といううれしいメールをいただいたことでしょう。
始めのメールをいただいたときから、共通の言葉で話せるSさんの存在を感じていました。

「外部の物理的世界は人間の内部で記憶として精神化する、外部の精神的世界は人間の内部で物質化する。したがって、人間は世界の記憶である。」

これは、正しい認識です。

私たち人間の発声とは、じつにあたりまえの緊張の取れた体と精神から発せられているのです。

「け」と「はれ」という言葉があります。
「け」とは、日常であり、寝ること、食べること、排泄をすること、性があること、子どもを育てること、他の人のために自分の体が動いてしまうこと、ようするに生活です。
「はれ」とは、非日常であり、祭りであり、まつりごとであり、認識の一部であり、緊張した言葉であり、緊張した意識であります。

「け」こそが、物質化した人類の記憶なのです。
また、私たちの「け」こそが、私たちの発声そのものであり、お互いを支え、支持し、維持し、敬愛し、尊敬し、畏敬しあった私たちの経験の物質化であり、私たちの記憶なのです。
この、物質化された記憶が、人類の「かけがいのない地球」という「共通の意識の場」を形造っているのです。
草花も、木も、海も、川も、湖も、山も、空も、星ぼしも、太陽も、月も、動物たちも、魚たちも、私たち人間の記憶であり、私たち人間が発声した言葉なのです。

「外部の物質的世界」は、それぞれの人間たち(それぞれ違った役割を持った)の言葉の総体・記憶の総体でできています。
ですから、私たち人間は「物質的世界で生きる」ことを繰り返すことによって、自分の他の存在の言葉・記憶を聴き、視、味わい、嗅ぎ、触り、自分を認識しようとしたのです。
そうすることによって、「外部の精神的世界(自分と違った役割を持った他者の記憶)を人間・自分の内部で物質化・記憶」しようとしたのです。
ですから、自分は世界の記憶を持っているのです。......自分の経験した範囲において......
シュタイナーを学ぼうとなさっておられる方々の深く共感なさっているアントロポゾフィ(オシリスがセトに殺害された後に、オシリスの妻イシスがオリシスのバラバラにされた体を拾い集めつなぎ合わせて復元したという神話)の考え方は、まさに、人間がなぜ繰り返しこの世に生まれようとしたかを現しているのです。

体と精神の緊張は、「はれ」の方に問題を起こしたのです。

「自分の認識」で「他者の意識」を解釈しようとしたり、「自分の認識」が「人類の認識」であると思い込んだ(罪)のです。
また、「他者を理解すべきだ」「他者を愛すべきだ」とおもい、自分と他者を在らせようとした(鬱病と悪)のです。

この、罪と悪が自分と他者の経験を傷付け、カルマ(業)を作り出し、人間の歴史を血塗られたものとし、民族と国家と部族と宗教を分け、人間の本来の意識を大脳の表層的思考:末那識と波動霊(エーテル、アストラル、自我、霊我、生命霊、霊人、......):阿頼耶識の意識で覆い隠しまった原因となりました。
そして、主の超歴史体の波動霊の影響で民族と国家と部族が分かれ、主の波動霊の影響で宗教が分かれ、民族、国家、部族、宗教ごとに、少しずつ違った意識体系(内宇宙、平行宇宙、外宇宙)を持つようになったのです。

それぞれの意識体系(内宇宙、平行宇宙、外宇宙)に入りますと、その意識体系のもつこだわりが自分の外側から話かけてきます。
自分が帰依をする価値意識は善として、神の代理人と称する天使や仏の言葉として、響いてきます。
自分が帰依をする価値意識を妨害していると感じられる価値意識は悪として、天使や仏と称する意識が訴えます。
神とは、天使や仏が自分の価値意識を語っているもので、存も在もしていないものなのです。
そして、天使や仏は、人間の思考が自分の外側から語りかけているもので、人間が作り出したものなのです。

イスラムの方々は、自分の神に帰依をしています。それは、自分の価値意識に帰依をしているのです。
一方アメリカ合衆国は、アメリカ合衆国という国家の意識体系で、イスラムの宗教の意識体系を解釈し捻じ伏せようとしています。
それで、お互いに、相手の意識体系を悪魔であると言い合っているのです。

私は、保育所や幼稚園や養護施設で多動があり他の子どもたちの意識や体を動かそうとし甲高い声で叫ぶ子どもたちを多数見てきました。
ADHDと診断されている彼らは、前頭葉に大きな緊張があり、目を見開いています。
彼らの正面に立ち、「彼らが本当は何を望んでいるか」をたんねんに聴きますと、「お友達の持っているものを自分も持ちたかったり」、「お友達といっしょに遊びたかったり」、「お友達の気持ちの一部に深く同情していたり」、……彼らのそもそもの感情の動きは「そのままで良いもの」なのです。
しかし、「そのままで良い感情」が前頭葉で繰り返され、体と意識を動かそうとし、さらに、他者の体と意識を動かそうとしているところに、彼らの障害があるのです。

彼らの手足を丹念にマッサージし、だんだん頭に近づいてマッサージできるようにします。
そして、前頭骨、側頭骨、蝶形骨大翼、頭頂骨、後頭骨、のフォルム治療ができるようになりますと、前頭葉の緊張が弛緩してきます。
常に鼓動を取ってわらべうたで子どもたちに働きかけていきます。「ずくぼんじょ」や「まあるくなあれ」で垂直の意識を育て、輪になって左右に歌いながら歩くことで左右の意識を育て、前後にうたいながら動くことで前後の意識を育てます。
すると、自分と他者が分かれ(前後に歩く)、自分とみんなが分かれ(左右に歩く)、自分と自分の母性が分かれ(立ち上がる・しゃがむ)、意識できるようになります。

「宇宙の彼方へと延びる直線が反対側から還ってくるように、宇宙全体に発散されたものは人間の内部から再び現れ、人間の内部へと消滅したものは再び 周囲から現れる。」 という体験は、他者に対する帰依・本来の聴覚から起こるのです。
それは、自分の体と精神の緊張が無くなったときに、他者も自分もそのままでよいと肯定できている自分が在るということに他なりません。

2001年9月28日

千葉義行

音楽

バッハ
平均律クラヴィア曲集U プレリュード]Tヘ長調

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