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靖国神社の鎮魂

8月7日に、私は靖国神社に参拝した。

一の鳥居から入り、結界と灯篭ごとに二拍手しながら進む。
特に各灯篭にはおびただしい浮遊霊が結びついており、その繰り返しの思いは私の体を解体させようとするかのように感じられ、私の体は重くだるく感じられた。
当然、 私の体からは大量の咳が出た。

靖国神社の中を歩みながら私の心に響いてきたことは、それぞれの霊の思いの純粋さであった。
「世の中を平和にしたい」
「家族が平和にありたい」
「自分が他者を思いやるように他者が他の他者を思いやって欲しい」
「自分は天皇の赤子である」
「自分の思いは実現されていない」
「日本における人間関係が、アジアに全世界に実現して欲しい」

このように思うことがなぜいけないことなのかと霊は私に問うてきた。
「このように思うことが、アジアの人々に日本のたてまえを押し付ける原因であった。」
「このように思うことが、日本が戦争への道を歩んだ原因であった。」
「全世界の人々は自分自身で自分の道をしっかりと歩いているのである。その道に干渉したのだから、戦争が起こって負けることは当然である。」
「あなたが自分の子どもをその子らしく育てようと生きてしまうように、他の国のことは他の国に任せればよいのだ。」
「あなたは自分は不自由であろうとも、あなたに出会う人の自由を奪わないで生きることはできる。だから日本人の大半は、自分の子どもが彼自身で生きるようにそっと援助するだけで生きているではないか。」
と、私は答えた。

「世の中を平和にしたい」
「家族が平和にありたい」
「自分が他者を思いやるように他者が他の他者を思いやって欲しい」
「自分は天皇の赤子である」
「自分の思いは実現されていない」
「日本における人間関係が、アジアに全世界に実現して欲しい」
と思ったことは、アジアと全世界の自由を奪うことであったのだ。
「他者の自由を奪う思い」は、「悪」である。
「悪」は、「悪」を起こした本人が気付けば消滅する。

「鎮魂」の真の意味は、浮遊霊を起こした本体がその「悪」に気付き納得することなのである。
この気付きと納得が起こることにより、本体の緊張の一部が解ける。すると、浮遊霊が消滅するのである。

コミュニケーション障害はこの「悪」から起こったといえる。
ひたすらに子どもたちとその親たちの心と体の緊張を解きつづけることが、人類の平和をもたらすのである。

 

音楽

目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ

バッハ

2001年8月14日

千葉義行

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