・ 山口瞳の会 第一回例会報告 ・


1年目の会の活動が会報「山口瞳通信」1号の発刊だけに終わった反省を踏まえ、02年8月31日の土曜日に一日遅れの草臥忌をかねてプレ例会ー今後の会の運営についてーを開いた。集まってくれたのはわたしも含めて6名。ピースさん、西村さん、夢の輪さん、山田屋さん、かねたくさんである。
午後3時、山口さんの応接間として雑誌の取材やら打ち合わせに使われた「Catfish」に集合。夢の輪さん、かねたくさんとはこの時が初対面である。掲示板「CAFE」でやりとりをしているせいか、すぐうち解けた雰囲気で進行することができた。
夢の輪さんは、「福永武彦研究会」の主要メンバーでもあり、ここでは毎月例会を開いて研究発表や講演会を実施している実績もあり、積極的に例会開催を主張された。会員が全国バラバラにいることから、例会開催しても参加人数への不安、そして、わたし自身が北海道に居住しているため、おいそれと上京することの難しさもあり消極的意見を出すが、夢の輪さんの気迫に圧倒され例会開催が決定する。
夕方5時少し前に、歩いて数分の山口さんのお宅へ治子夫人をお迎えに行く。これからは「草臥忌」である。場所は国立の「鰻の押田」。山口さんが揮毫し、関敏さんが彫った扁額が掲げられた「寒庵」で行いたかったが、そこは4名〜5名が限界とのことで諦めた。
店主の押田さんは、山口さんの絵や書のコレクターである。治子夫人から「『押田』でやるなら見せてもらったらいいわよ、とてもいいものばかり持ってるから」と言われていたので事前に押田さんにお願いしてあった。挨拶もそこそこに作品を見せてもらう。嫉妬で気が遠くなる。
それから、3時間あまり不謹慎だが楽しいひとときを過ごす。治子夫人のお体を考えて、最初は2時間弱の予定であったがいつのまにかそんな時間になっていた。治子夫人をお送りしてから、これまた近くの「夢いちもん」へ場所を変える。それから「書簡集」で美味しい珈琲を飲んで解散したが、例によって西村さんと阿佐ヶ谷でまた飲んで1日が終わった。
例会会場やら段取りなど、面倒な準備はピースさん、西村さん、夢の輪さんにすべてお願いした。この3人の尽力がなければ例会開催も実現せず、絵に描いた餅で終わったことだろう。あらためて感謝する次第である。

さて、第1回例会だが、1月25日(土)午後1時30分〜4時30分、学習院創立百周年記念会館で開催した。心配していた参加者は(余り少なかった場合、夢の輪さんが「福永武彦研究会」のメンバーをサクラで呼ぶ手筈になっていた)38名である。会場の定員は20名であり、嬉しい誤算であった。そのかわり参加者の方には窮屈な思いをさせてしまった。
ゲストは山口さんの早稲田時代にもっとも親しかった元毎日新聞社主筆の上田健一さんと山口治子夫人であるが、ほかにも山口正介さんが特別参加してくれたし、元文藝春秋の豊田健次さんも来てくれた。
開会の挨拶のあと参加者の自己紹介をしてもらい(これがすばらしかった)、いよいよ上田さんの講演である。
早稲田時代のことは山口さんはあまり書かれてなく、年譜上の空白時代となっている。そこを上田さんに埋めていただこうとお願いしたのだった。詳しい内容は「山口瞳通信」3号までお待ち下さい。初めて知る事実がいくつもあり、驚いたりワクワクしながらお聞きした。
そのあとは休憩をとった。会員でもある「銘菓大坂家」さんのご主人倉本さんが有名な「秋色最中」を差し入れてくださったのでみんなでいただいた。上品な甘味でとても美味しい。
休憩後からは質疑応答がありたくさんのやりとりがあったが、進行役の西村さんが上手にコントロールしてくれ、超過室料を払うことなく時間通りに終了した。
懇親会は目白駅前の中華料理店「華天園」である。山口さんの新婚時代に通われ、一番最初にツケで呑ましてくれた店であると山口さんが書いている店である。ここの2階を借り切ったのであるが、ここも定員は20名といわれていたのを無理矢理詰め込んでもらった。これまた身動きできない狭さであったが、その分親密度は濃いものとなりワイワイガヤガヤと盛り上がり方も尋常ではなかった。
あちこちで自慢の山口さんグッズの見せあいが始まり、わたしも負けじと入手したばかりの映画「江分利満氏の優雅な生活」のシナリオ(決定稿)を見せびらかしてしまった。その模様を例会カメラマンの山田屋さんがしっかり写しており、自慢げな品の悪い自分の顔を見て、大いに恥じ入ってしまった。反省。
会計を終えて外に出てみると、去りがたい思いの会員がごそっと残っていてくれ、2次会3次会と続いたのでした。
なお、ゲストお二人のささやかな謝礼を上田さん、治子夫人もそっくり会に寄付してくれましたので、次回(8月草臥忌)に繰り越すことができました。


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