---くにたちを愛した山口瞳展レポート---

<最終回>

パーティは国立でログハウスの設計施行をされている
佐藤氏の司会で始まった。
佐藤氏はご自分ではお酒を一滴ものめないのに
プライヴェートワインを持っておられる。
ラ・サトウというワインのラヴェルには
山口瞳氏の絵が使われている。
山口瞳ファンにとってまさに垂涎のワインである。



特別展実施委員会代表の
関頑亭氏の乾盃で
パーティは始まった。
ちなみに、実施委員の顔ぶれを見ると、
そこには文壇関係者の方はいない。
多くが国立在住の所謂「山口組」のメンバーである。
司会の佐藤収一氏が何度も
「手作り」という表現をされたが、
まさにそうしたアットホーム的なパーティであった。
他にこの種のパーティに出席したことはないので
比較はできないが、これほど暖かな、
和やかなものはないのではないだろうか。
町内会の集まりのような気安さがあった。



そうした雰囲気のなかで、佐藤氏から、
書誌を編むにいたった経緯を話すように言われ、
固持するも許して貰えず、
マイクを持つ仕儀となった。
シドロモドロに話し終えると、
沢山の拍手を頂いて感激してしまった。



考えてみると、山口瞳氏が国立を舞台にした
「わが町」をお書きになったのは、
昭和43年の4月からである。
国立暮らしを始めて4年後のことだ。
タクシー会社の野球部の監督になり、一緒に練習をしたり、
酒を飲んだり、沢蟹を捕りに行ったりしながら、
国立の住人として根を下ろしている
山口瞳氏を見ることができる。
私は密かにこの作品は山口瞳氏の
「青べか物語」だと思っている。
日常のなかで接するごく普通の人たちの交流を通して、
交友の輪が自然と広がっていったのではないだろうか。



町の人たちは山口瞳氏を
高名な作家であるから愛したのではない。
氏の持っている人間性、同じ視点での暮らしぶり、
細やかな心配りといったものを愛したのである。
自然発生的に「山口組」は生まれ、
その団結力は神戸のもの以上であるに違いない。
利害が絡んでいない分だけ純粋である。



今回の特別展は、「山口組」が中心となって
開催の運びとなった。
そうである以上、通り一遍のものでないことは
ご理解いただけるであろう。
是非機会を作ってご覧になることをおすすめしたい。
「くにたちを愛し、くにたちから愛された山口瞳展」
であると確信している。

                  (99.11.08)

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