一関一高サッカー部OB会報

vol.    2001 Jul..


御挨拶

一関一高サッカー部OB会会長   刈谷耕太郎    41年卒 

武田菱設計常務取締役

 はじめにお詫びを申し上げます。昨年の会報にはOB会出席を皆様に呼びかけ「再会することを楽しみにしております」と会報に述べました。ところが、直前になって私自身体調を崩し欠席をいたし申し訳ありませんでした。

 OB会も回をかさねるうちに単なる旧交をあたため昔を懐かしむことだけでなく、現役サッカー部後輩の支援も徐々にではありますが、それなりの支援ができるようになりました。これもOB会の皆様のおかげと心から御礼申し上げます。

支援の成果がどのように現れているかは、後日のOB会席上で報告があると思います。

成果はともかく何らかの形で母校のサッカー部とつながりが持てることは、OBとしてうれしいことです。このことについては総会で皆さんの意見をお聞きして、いっそう充実していきたいとおもっています。

 さて、2002年のワールドカップが近づいてきました。そのせいかサッカーも昔と比べるとずいぶん国民的なスポーツになってきたなと感じています。

私も日ごろスポーツには縁のない体型と生活をおくっていますが、これでも昔はサッカーをやってきたのだと、ココロモチ体をそらして言ってみたりしています。ところがこのごろ聞きなれないサッカー用語が出てきまして、聞くわけにもゆかず、実はチョット困っています。今度また皆さんと会ったときいろいろ教えてもらい2002備えたいと思います。皆さんにまた会えることを楽しみにしております。

一高サッカー部誕生秘話

柏山 修三(愛称:黄金の足)  S40年卒 埼玉在住       大東ガス専務取締役

 ビッシ!バッチ!「貴様ら何を考えてるんだ、サッカーなんかやらないでラグビー部にはいれヨ」とラグビー部の部室に連れて行かれてビンタを喰らったことが発端でした。釜本杉山といった名選手が、実業団で華々しい活躍をしていた頃でしたので、過去に一度も勝利した事がなかった(?)ラグビー部を、逆に我々一年生坊主がサッカー部に引っ張り込んでやろうという気持ちで一つになれたがために、チームワークは抜群だし、誰が言い出すわけでもなくスーッとと練習にはいっていけたような氣がしております。

 一つだけあったゴールポストを、野球部の練習の邪魔になるからと言われて、皆で磐井川の河原に移設し、カンパで集めたお金でゴム製のサッカーボールを買い、壊れたボールに砂を詰めてキック力をつけるためにと蹴ってみたりと、今から思えば結構激しい練習をしていたような氣がします。関中とのデビュー戦はオウンゴールがあったり、サッカーコートの周りの関中生全員の声援(?)があったりして薄氷を踏むような試合だったかなと思います。

 いろいろな試練をくぐり抜け、卒業前には過去に県内ベスト4の実力があった二高にも勝利するだけの実力がついておりました。今から思えば、あの時のビンタが無ければ、ヒョッとしたら一高サッカー部は生まれてこなっかたかモシレマセン。

勝ち負けより、気合負けだけはしなかった

 照井 太郎 S40卒 愛知県東海市在住 中村県税事務所勤務

 昭和39年、二年生の春、同じ下宿の飯塚力也君が、キャプテンとなり、関高サッカー部が産声を上げた。(当初は、同好会でした。、、、、、、ラグビー部の先輩から止めるようにと恫喝されてもめげずに発足!)当時、日本代表に、釜本、杉山というスーパースターが活躍していて、東京オリンピック直前のサッカーブームでした。我々素人集団は、毎日、河川敷の練習場で、皆は家で勉強している時間に、黙々とボールを蹴っていました。猛練習というほどではなかったが、戦績は自分なりにはマアマアと思っている。勝ち負けより、気合負けだけはしなかった。

 三年の高体連で、遠野高校と対戦したことがあった。戦前、監督から十点差以上の大差を覚悟しろとのことだったが,5対0とマアマアのスコアだった。私はオヤジみたいなセンターフォワードのマークで、タックルで何回もぶっ飛ばしてやった。気持ちが良かった。何しろ向こうは、プロみたいな高校で、しかも完全にアウェイの試合の状況だった。我が関高の応援団は,当日試合がなかった水泳部の友人たち十数人だったが、大声で応援してくれて、涙が出るほど嬉しかったのを覚えている。この時、いわゆるサポーターの真情を理解した。

 監督,チームメイト達と過ごした37年前の思い出を胸に、母校の活躍を、遠い名古屋の地で見守っています。

 W拝をきっかけに、我がサッカー部からも世界へ翔け!

 大怪我をしないように御奮闘下さい。

 一関一高サッカー部後輩諸君へ。    千田 元               

昭和62年卒 藤沢町立病院勤務       

私が責任学年のときのサッカー部は、県大会で1勝も出来ずとても残念な年であった。一つ上の学年は、高校総体にてベスト4(準決勝にて現東京Vの菊池新吉がいた遠野高校に0対2で敗れた)と、華々しい成績であったため余計にさびしく感じられた。高校でのサッカーが不完全燃焼であったため、大学に入ってからもサッカーを続けた。医大のサッカー部ではあったが、体育会のサッカー部であり、先輩には読売クラブ(現東京V)の練習生であったという方がいたり、後輩には宮城県代表の東北学院のDFだったという者がいたり、東京代表の暁星高校のFWで、正月の高校サッカーでベスト8、しかも、高校日本代表の9番を付け、ヨーロッパ遠征をし、その後日産(現横浜M)の22番を付けていたという者がいたりと、かなりハイレベルのメンバーもいた。DFであった私は、わざと暁星高校出身の後輩を相手に練習をしていた。そいつのドリブルを止めたり、シュートを防いだりすると表情では平然としていても、内心鼻高々であった。そいつの私への評価は『無名の高校出身にしてはやりますね。』というものであった。結局、そいつとは約5年間サッカーをプレーしたが、県大会で1勝も出来なかった私でも、ハイレベルのサッカーを肌で経験することができ、自分がレベルアップしていくのが分かった。5年生の時には総勢40名にもなるサッカー部のキャプテンを任され、全国医科大学体育大会準優勝、関東医歯薬獣リーグの1部リーグ3位の成績を修めることが出来た。後輩諸君へ言いたい事は、サッカーへの取り組む姿勢、考え方、練習方法などによって君達は選手権出場も可能であるということである。今後の歴史を作っていくのはまさに君達である。短い3年間であるからこそ是非とも無限の可能性に兆戦していってほしいものである。

                         高校総体について

中嶋 元 部長(一高3年)

 終わってすぐには、引退の実感なんか全然感じられず、結構さっぱりしたもんだと思っていたが、時が過ぎ、グランドで一、二年だけで部活をしている姿を見ていて、ようやく、『ああ、終わったんだな。』とか、『思い返せば色々あったんだな。』と思えるようになってきた。中でも一番大きいのは、キャプテンが部を去ったことだろう。部活というものが、ただサッカーをしていればそれで良いというものでない、人とつき合うのは本当に難しいということを学んだ。今思えば、彼らにはずいぶん悪いことをしたと思っている。

 昨年の新人戦地区大会を主力を欠き、辛くも勝ち進み、その後、新しく後任を決め、キャプテン、副キャプテンは部を去っていった。そんな状態でベスト8になった。正直なところ驚いている。でも、今思えば、ぎりぎりのあのような状態だったから勝てたのだろう。試合に臨む姿勢、気迫と勝利への執念が勝利をもたらしたのだ。

 新人戦はそんな特別な背景があった。では、高総体でのベスト8は何故達成できたのだろうか。冬の特訓練習は無かったも同然。ごく一部の変な人を除けば、確実にチーム力は下がっていたものと思う。となればやっぱり実力で勝ち進んだのか、自分としても判断できない。確かに上手い人もいるけど下手なののほうが多かったような気がするし、下手な僕は、三年間の成果としてこの結果には満足です。負けて満足なはずがないのだけれど、他の部の人たちと話すうちに、やっとこう思えてきました。二年とちょっと、楽しかった。

サッカー部でいて良かった。他の部なんか考えられないです。ありがとうございました。

出陣 高総体

 佐藤 和昭 主将(一高3年

 六月の一、二日に高総体が行われ、私たちは宮古北高校、金ヶ崎高校を破り、新人戦に続き、県ベスト8進出を果たすことができました。0−5というスコアで敗れましたが、念願の遠野との再戦も果たすことができました。

 今回の高総体では、新人戦ベスト8だったため予選免除のシード校としての参加となりました。私たちには、今までとは違ったベスト8としての自負とプレッシャーがありました。その中で一、二回戦を戦いました。この二試合は、後半に先制点を入れるまでなかなかリズムをつかめずに、自分たちの思うようには試合を運ぶことができませんでした。

しかし、この二つの試合に勝つことができたことで大変自信がつき、再びベスト8に入ることができ、我々としても思い描いていた責任を果たすことができたと思います。

 そして、遠野戦では、我々にとって初めての芝での試合となり、経験の差もあり5失点という悔しい結果になってしまいましたが、自分たちの持っていた力はすべて出し切れたと思います。

 最後に、このような良い結果を残せたのは、部員全員の努力と、顧問の先生をはじめ保護者、OB会、地域の人々の協力があったからだと思います。これからの人生、サッカー部での三年間の経験は良い財産になると思います。また、後輩の1,2年生諸君には、これからの目標を定めて頑張って欲しいと思います。サッカー部を多方面から支えていただきありがとうございました。

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