ここの背景画像はまりまりさんの「いろいろ素材」からお借りしました。
父親 カルロ・ボナパルト (1746-1785): 気が好くおしゃべりで、金銭に多少ルーズでした。コルシカの英雄パオリが亡命した後、フランスの手先となって働きました。ナポレオンは父の裏切りを許せませんでしたが、そのおかげで本国フランスにあるブリエンヌ士官学校に国王給費生として入学できました。 ナポレオンが16歳のときに他界し、以後、兄よりも性格の強いナポレオンが父親の役目を果たします。
母親 レチアナ・ラモリーノ: 父よりも一家の支えていました。倹約家で信仰心が強く、口数は少ないものの人の話はよく聞きます。ナポレオンがお腹にいたとき、パオリ率いるコルシカの独立戦争に加わり、女性闘士として参加したほどの女丈夫でした。小柄で手足が小さく、ときどき鋭い目つきになるところもナポレオンに遺伝しました。
その気丈な性格は生涯変わらず、ナポレオンの死後15年生きましたが、なお一族を率いていました。
長男 ジョゼフ:ナポレオンによりスペイン王になります。好人物ですが無能でした。ナポレオンはこう嘆きます。「私はジョゼフをスペイン王にするために、数十万の人命を犠牲にしたが、私の王朝の安泰のためには兄が必要であると考えたのは、私の過失のひとつだった」
次男と四男は早期に死亡。
ナポレオンは三男にあたります。
五男リュシアン(1775〜1840):ナポレオンにも引けをとらないほど優秀だと言われており、ブリューメル18日のクーデターで活躍しました。しかし、その功績を誇って勝手な行動が多く、span class="classn">カニーノ大公となりましたが、ナポレオンと仲たがいします。 (人物スケッチはこちら→)
長女エリーズ(1778〜1846):1805年にリュッカおよびピオンビーノ大公妃となりました。陰謀好きです。
六男ルイ:オランダ王となり、ジョゼフィーヌとの子供であるオルタンス・ボーアルネと結婚します。しかし、ナポレオンと妻オルタンスの仲を疑ったルイは別居。1810年には王位を去ると共に離婚しました。詩人肌で国民に気を遣う彼は、暴君化する兄についていけなくなったとも言われています。その子シャルル・ルイはナポレオン3世となり、フランス皇帝になりました。 二女ポーリーヌ(1780〜1825):ナポレオンの妹の中仲で一番の美人でした。ルクレール将軍と結婚しましたが、将軍がサント・ドミンゴ出征中に死亡したため、 ボルゲ―ゼ大公と再婚しました。他の弟妹は自分勝手だったり頼りにならなかったりした中で、ポーリーヌだけが兄ナポレオンに感謝と愛情を持ちつづけました。
三女のカロリーヌ(1782〜1839):ナポレオンの部下で当代一の伊達男ミュラと結婚しました。姉エリーズと共に陰謀が大好きでした。
七男ジェローム(1784〜1860):甘やかされて育ったのか、お金使いが荒くお人よしで軽薄(父親似?)。はじめアメリカ人女性エリザベス・パターソンと結婚しましたが、1805年ナポレオンにその結婚を無効とされ、泣く泣くカトリーヌ・ド・ヴェルテムベルク王女と結婚し、ウェストファーレン王になります。
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