ここの背景画像はまりさんの「いろいろ素材」からお借りしました。

王妃裁判の小部屋

La Chambre du proces de la Reine

「ここにいらっしゃる全ての女性に訴えます」

王妃裁判の小部屋にようこそ。ここでは、王妃裁判だけに焦点を絞り狭く深く扱ってみたいと思います。

   はじめに

  「時間は語る」

  「登場人物」

「王妃裁判」    「ギャラリー」




●はじめに

上の言葉の前には、「私が答弁しなかったのは、自然が母性と言うものに加えられたこのような非難を拒むからです。」と言う言葉が来ます。これは、息子のルイ17世との事実無根である近親相姦について告発されたときの答弁です。王妃裁判においては、浪費からオーストリアとの密通など数々の罪状が告発されましたが、一番馬鹿馬鹿しいのが、この近親相姦です。

法廷には、かつてヨーロッパのファースト・レディとして権勢を誇ったマリー・アントワネット惨めな姿を一目見ようと集まったおかみさん連中がたくさん集まっていました。オーストリアとの内通や浪費についての尋問に対して野次を飛ばしていたおかみさん達は、エベールによってなされたこの告発に、マリー・アントワネットがどう答えるのかしんと静まり返って待っていたそうです。

そして、少しも動揺せず毅然とした態度で為されたこの答弁に、いつもは口の悪いおかみさん達が拍手喝采をしました。この時、マリー・アントワネットとおかみさん達は同じ「女性」として奇妙な連帯感を持ったのでしょう。味方から拍手されるのは当たり前ですが、今にも取って食おうと待ち構えている人々がした心からの拍手喝采を受けたこの時、マリー・アントワネットは本当に光輝を放っていたに違いありません。おかみさんの中には、きっと後々までマリー・アントワネットの姿を忘れることのできなかった人がたくさんいたことでしょう。

もちろん、この連帯感は長持ちせず、王妃は予め決められていた「死刑判決」を受け入れます。結果は死刑ですが、マリー・アントワネットは歴史の中では勝利しました。今まで非難中傷ばかり受けていた王妃の真価を発揮できたときだからです。誰かの話として王妃の凛とした態度を知ることはできますが、それが多少たりとも虚飾されていたかもしれない、という疑いは残ります。一方、この裁判は公式のものであり、記録も革命裁判書によってきちんと残されていますから、ここでの答弁は全て事実です。後世によって認められているマリー・アントワネットの威厳、頭の良さ、度胸が遺憾なく発揮されています。

私はマリー・アントワネットに非常に興味があり、フランス革命に出てくる人々の中で一番好きな人物でもあります。ですから、アントワネットの美質があますことなく現れているこの裁判は爽快です。しかしながら、いくらマリー・アントワネットが魅力的な人物だとしても、是々非々で見ていかなければならないと思うのです。革命前はもちろん、革命後も国益に反することをしたわけです。その点に目をつむって、やたらと誉めていたり、かわいそがったりしていたのでは説得力がまるでありません。マリー・アントワネットが何をしてきたのかを正しく見極め、国王一家の不幸の半分以上はこの軽薄な女性が招いたものであるということを認め、その上で語っていかなければならないと思います。

例えば不注意で火事を起こし死者まで出たとします。その後、その不注意をした人が一生懸命償ったからといって、罪は消えるでしょうか。遺族は心から許せるでしょうか。罪と恨みは背負っていかなければならないのです。しかも、マリー・アントワネットの場合、罪の意識はありませんでしたから、反省はもちろん、償いもしていません。

私はここで、マリー・アントワネットの応援演説をする気などまるでありません。犯した罪を軽く見て、不幸を脚色したり同情したりするつもりもありません。私は「明晰なる神秘」と言う三島由紀夫の言葉が好きです。おそらくは善行よりもはるかに悪行の方が多いこの女性をなるべく客観的(明晰)に見詰め、それでもなお人を惹きつける神秘を探っていきたいと思います。好きな人だからこそ、感情論で評価をしたくないわけです。

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