初・生フミヤさん

最近、よく「あなたの初・生フミヤさんはいつですか?それは何年生?」のような
ことを質問される。
 
もちろん、このHPに来てくれた人からのメールであることがほとんどなのですが。

 
みんなライブがデビューなので、「私は」とツアータイトルをあげてくれるのだ
けど、私の場合はラジオの公開放送だった。
 
札幌の茨戸公園というところがあって、そこにものすごい人数のファンがやってき
て公開の生放送だった。時期は84年の6月。まだ前髪がチョロッとしていて、3曲
同時ベストテンの直後だった。本当は、ハートにチェックインの時に行きたかったん
だけど、場所がすすきのにあるライブハウスで、中学生としてはちょっとムリかなぁ
と涙を飲んで我慢したのだった。今思えば、その2年後くらいにはすすきので飲んだ
くれていたのだからちょっと惜しい事をしたと後悔しちゃったりする。
 
その時の状況は、1ブロック200人くらいで、30ブロックくらいまであり、そ
の配置は2ブロックずつ15列くらいになっていた。つまりは30人が2列に並んだ
状態だった。そこで私の持っていた往復はがきの返信は28ブロック!!限りなく後
ろで、どうして?って感じ。事前に配置を噂で聞いてたから見えないの覚悟で会場に
向かう事に。

 
でもね、神様は見放さなかった。自転車で15分で地下鉄の始発に乗った。当時は
我が家の方に延びてる地下鉄の線がなかったから東西線の駅へ。さすが日曜日の始
発、乗ってる人はみんな公開放送目指してチェックの洋服を着ていた。ある女の人か
ら声をかけられた。
 
「チェッカーズを見に行くの?」と。彼女はわたしよりちょっと年上だったと思
う。多分、私たちが自力で行ける最低年齢じゃないだろうか。茨戸公園っていうのは
札幌の中でも一番外れで、こんなことでもなかったら行かなかったと思う。後にその
近くの大学に4年間通うことになるとは想像もつかない頃だった。
 
話はそれてしまったけど、そのお姉さんはどうやら友達が28ブロックなので、同
じブロックの人を見つけて交換してほしいとの事。たまたま28ブロックを持ってい
たのは一緒にいた友達の中でも私だけだった。そこで、交換することになるんだけ
ど、そのお姉さんのブロックはというと、何と「1ブロック」なのだ!!!!!
 
本当にいいのか確認したところ、こっちがお願いしたいくらいのことを言われたの
で、即成立。私はまんまと、かなり前の方で会うことができたのでした。
地下鉄も大通りで乗り換え、終点の麻生でバスに乗り30分くらい。よく行ったよ
ね。本当に楽しかった。

その公開放送は、前半が杉山清隆とオメガトライブ、後半がチェッカーズだった。
まだ発売前の「星屑のステージ」を歌ったことがすごく印象的だった。
そうだ、今度実家にあるテープを掘り起こして聴いてみよう。

 
その後のライブといえば、「夏は絶対」はみごとにハズレ。その次の「もっと!!」
からは行ってる。中3の冬は会場が家から徒歩20分ということもあり、担
任からも
マークされていたのは覚えている。「お願いだから勉強して!!」という担
任を尻目に
「お願い!チェッカーズ」を聴くことの方に夢中になっていた頃の話だっ
た。
いや、あの頃は「危ない!チェッカーズ」だっただろうか・・・?


もどる