優しい謎。


 かららん、と軽いベルの音がして、最後の二人連れが店を出て行く。
 レジを閉めながらそれを見送った店主が、やれやれ、と肩を竦めた。手際よくテーブルを片づけている黒髪の少女の、長い髪の毛がゆらゆらと揺れるのを何とはなしに目で追っていると、ドアベルがからん、と小さく鳴った。
 「…おや、今日はお終いですか?」
 間に合ったかと思ったんですがね、と苦笑する青年を、「早かったじゃない」という少女の声が出迎える。
 「もっと遅くなるのかと思ったのに。」
 月末進行とかって言ってたじゃん、とトレイを下げつつ首を傾げるクイーンに苦笑して見せ、クオータが小さく溜息をついた。
 「…お願いですから思い出させないでください。」
 まったく、編集なんてするもんじゃありませんね、と思ってもいないことを呟きながら、カウンター席へ座る。とりあえず冷えた水のグラスを出してやりながら、クワイエットが「簡単なものしかないぞ」と断りを入れた。
 軽食も扱っているとはいえ、本業は珈琲が専門の店である。終業時間に近くなれば材料が切れる位にしか仕入れをしていない。
 「ええ、何でも結構ですよ。」
 アナタの料理は美味しいですからね、と微笑む青年に、「ねー、いつものでいい?」とミルを開けたクイーンが声を掛ける。濃紺の瞳に訝しげな色が浮かんだ。
 「アナタが挽くんですか?」
 「けっこう美味しく出来たよ、ねぇ?」
 同意を求められた店主が苦笑する。手元で野菜を刻みながら、控えめに同意した。
 「…前よりはな。」
 「…いいですよ、自分で挽きますから。」
 気持ちだけ、と言われて、少女がむくれる。それを笑いながら、「豆はお薦めでいいですよ」と言うと、途端に機嫌を直して、棚に並んだ陶製のキャトラリーをあれこれと物色し始めた。
 今日のオススメは、どうやらブルーマウンテンらしい。
 滑らかな後味を思わせる穏やかな豆の香りに、クオータは顔を綻ばせる。
 
 ─────1日を終えた後のご褒美としては、なかなかではないか。
 
 
 「…そういえば、さっき表でオラトリオ達とすれ違いましたけど。」
 供されたプレートの上のオムレツをつつきながら、クオータが思い出したように呟く。とろりと程良く固まり掛けた黄色から生まれる白い湯気は、優しく食欲をそそった。
 「あぁ、何て言ったっけ、あのほら、キレイな幼稚園の先生。」
 「…幼稚園じゃない、保育園だろう。」
 カルマと待ち合わせだったらしいぞ、とクワイエットが訂正する。へえ、と面白そうに相槌を打って、青年がオムレツを口へ運んだ。濃厚なチーズの芳香に目を細めて舌鼓を打つ。
 「保護者面談ですか?」
 確かオラトリオの一番下の弟が通っているのだったか、と、実はご近所さんでもある担当のライターを思い浮かべる。
 「うーんと、何だかヌイグルミがどうとかって。」
 傍らのクイーンが同じようにフォークを使いながら呟いた。ああ成る程、と付け合わせのプチトマトを噛み潰すと、酸味と甘味の中にほんの少しだけトマトの青臭い味が残る。
 「何がナルホドなのよ?」
 「…それ、オラトリオのお手製でしょう。」
 あの人、あれで結構器用なんですよねぇ、と呆れ半分で言うと、クイーンが「えー?」と不審そうな声を上げた。
 「見えませんか?」
 「全然!」
 「…でしょうねぇ。」
 くすくすと笑うクオータも、最初は我が目を疑ったモノである。まあ何というか、知ってみればそれはそれでらしいような気もするのだが、あまり家庭的には見えない外見ではあるのだ。
 ───────というか、男性としては珍しい方向に家庭的だというか。
 「あ、でも、そしたらクオータ分かるかなぁ?」
 当てたら作ってくれるって言ってたの、アタシでも有効だよね!と振り向いた先では、クワイエットが、「さて、どうかな」と気のない返答を返している。それに首を傾げた青年は、詳細を聞いて小さく笑った。
 「話は分かりましたけど…ちょっと足りないですね。」
 「そうなの?」
 もともとちんぷんかんぷんだけどさ、とクイーンが肩を竦める。
 「ええとですね、クマとイヌとペンギンとウサギでしたっけ?」
 スーツの内ポケットからペンを出したクオータが、破いた手帳へさらさらとメモった。 「うん、そんでイヌが緑って言ってたよ。」
 「あのですね、そのヒントだとクマとペンギンが決められないんですよ。」
 「…そうなの?」
 「そうなんです。」
 いいですか?と青年が説明を始めた。
 「まず、ユウキちゃんとタクミくんがクマとペンギン、はいいですよね?」 
 「あー…うん。」
 「てことは、残ったウサギとイヌがマリノちゃんとケンタくんなわけですよ。」
 で、マリノちゃんがイヌ嫌いだから、緑のイヌはケンタくんでしょう、と言われて、少女が「あ、そっか」と呟く。
 「じゃあマリノちゃんはオレンジのウサギなんだ?」
 合ってる?と首を傾げるクイーンに「合ってますよ」と微笑んで、クオータが続けた。
 「ピンクは男の子ですからね。」
 タクミくんがピンクで、ユウキちゃんはイエローなんでしょう、という言葉に、クイーンが「あ!」と大きな声を出す。
 「ペンギンとクマ、どっちがピンクか分かんないワケ?」
 「そうなんですよ。」
 だから正解は出せないんですけど、と苦笑して、クオータはコーヒーを啜った。
 「…なぁんだ、アタシも作って欲しかったのに。」
 「残念でしたね。」
 「でもさぁ、作ってくれるかどうかも分かんないしね!」
 まぁいいや、とクイーンが笑う。「頼んであげましょうか?」と首を傾げるクオータに、「いいよいいよ」と白い掌が翻った。
 「クオータ、借り作りたくないでしょ?」
 青年のプレートも取り上げて、「洗っちゃうからね」と踵を返した少女を見やって、思わず苦笑いする。それしきで借りだ何だと言うような男でもないのだが、まあ甘えておきましょうか、とカップを傾けると、深い甘味を思わせる香りが鼻腔をくすぐった。
 「オラクルはこれで分かったんですよね…」
 どうしてでしょうね、と首を傾げる。取りこぼした情報があったろうか、とメモを眺めるが、どうもそうではないらしい。ちょっと悔しいですね、と誰にともなく呟くと、思ってもいないところから返答があった。
 「多分、ピンクがクマだと思うぞ。」
 耳があったからな、とさらりと告げる男は、「袋から見えた」とこともなげに言って湯煎していたガラスのポットを引き上げる。
 「…カフェオレでいいか?」
 「…お願いします。」
 あっけなく解かれた謎に少々気の抜けた返答を返して、クオータが苦笑した。
 
 
 ───────謎なんてそんなもの。
 
 やれやれ、と口に含んだカフェオレは、柔らかく舌の上で転がる。
 苦みはほんのちょっと、分からないくらいがちょうどいい。
 こんな風にね、とミルクの優しい味が言っているような気がした。