子猫の飼い方教えます


 ───その日、カシオペア家ご令嬢はとても困っていた。
 
 「困りましたわねぇ…」
 電脳空間には上下の観念がない。優雅にくるん、と一回転しながらほう、と溜息をつくご令嬢は、公共空間(オープン・ネット)にふわんと浮かんだまま小首を傾げた。
 「すっかり家出癖が付いてしまったようですわね。」
 見覚えのある信号が遙か遠く明滅しているのを、苦笑しながら目で追う。どうやらふらふらと彷徨い出たものの、遠くへ行く気配は今のところないようである。
 「…わたくし、小さい生き物って飼ったことがありませんものねぇ…」
 でも躾はしておくべきなのでしょうか、と考えて、エモーションはにこり、と笑った。
 「やはり、その道のプロにお伺いした方が確実ですわ♪」
 さて、何を思いついたものやら。
 
 ホログラム・プロジェクターが低い作動音を立て始める。三枚のパネルがゆっくりと立ち上がり、中央のスクリーンからネオン・グリーンの光球が現れた。徐々に人の形を作るそれは、最後に少女の形を作るとにこっと微笑んだ。
 「ご機嫌よう、カルマさん。A-E〈EMOTION〉ELEMENTAL-ELECTRO-ELECTRAでございます。」
 「エモーション?」
 ホログラムの少女に一瞬驚いた表情を向けた青年ロボットが、ほろりと顔を綻ばせる。A-K〈KARMA〉、海上都市リュケイオンの市長として作られた市長ロボットである。
 「どうしました、お珍しいですね。」
 「ひとつ、教えていただきたいことがあって参りましたの。」
 「…私に、ですか?」
 何でしょう、と優雅に首を傾げたカルマのフェア・ブロンドがさらりと揺れた。調べ物というなら、それこそ《ORACLE》ででも検索した方が早いのではないだろうか。そう言うとご令嬢は困ったように微笑んだ。
 「実はそれで分からないところを、ぜひカルマさんに教えていただきたいんですわ!」
 「それは無理なのでは…」
 妙に力説する少女に気圧されつつ、それでも反論するカルマである。演算能力こそ《ORACLE》──A-O〈ORATORIO〉に匹敵するものの、カルマ自身が所蔵する情報量自体は《ORACLE》本体に叶うべくもない。 そもそもの作られた目的が違うのだから無理もないが、《ORACLE》で分からなかったことが自分に分かるとは思えない、と言うと、目の前の少女プログラムは自信たっぷりにこう言ったのである。
 いわく。
 「あら、だってオラクル様もオラトリオ様も、生き物は飼ったことがないと仰るんですもの。」
 「…は?」
 「確かカルマさんは正信ちゃんとご一緒に、子猫を飼われたことがおありでしたでしょう?」
 「ええ、まあ…」
 なるほど、と納得したように深い緑の瞳が苦笑する。確かにその質問は《ORACLE》の二人でも難しいだろう。 彼女に質問されて目を白黒させている様が容易に想像できて、カルマはくすり、と笑みを零した。
 「猫を飼われるんですか?」
 最近ではデジタル・ペットの類も随分進歩している。新しもの好きの少女が飼い始めたのかと思ったカルマの予想は、期せずして外れることになった。
 「いえ、わたくしではなくて、余所のお子さんなんですけれど。」
 ふらふらとお家を出て、迷子になってしまわれるんですわ、と苦笑する少女である。しかも、最近では送り届けた自分の信号を追って、随分遠くまで出てしまっているようなのだ。
 「放っておいたら、違法空間(アンダーネット)に降りてしまうかも知れませんし…」
 わたくしもそういつもいつも見て差し上げるわけにもいきませんしね。そう言って溜息をついたエモーションに、カルマはくつくつと笑った。優しいテノールが心地よく部屋に響く。
 「まあ、笑い事ではありませんわカルマさん!」
 「…ああ、そうですね。すいません。」
 ひとしきり笑ってから、カルマは白く細い手で口元の笑いをおさめた。ボルドー・レッドの裾が動きにつられてふわりと靡く。 ひとつ咳払いをして笑いをごまかすと、カルマは思案するように首を傾げた。
 「ということは、外へ出ないようにすれば良いということですか?」
 「そうなんですの…持ち主の方にお知らせできれば一番良いのですけど。
 そうもいかなくて、と小首を傾げてみせる少女の言い分は正しい。お宅の猫ちゃんが電脳空間で迷子になってまして…と届けにいくわけにはいかないだろう。ましてや、飼い主だからどうこうできる類の問題でもない。
 「そうですねぇ…」
 かといって、こちらで出てくる回線の部分を塞いでしまっては、飼い主が困ることになる。さて、どうしたものかと記憶を辿り、カルマははた、とひとつの案を思いついた。以前飼っていた猫が研究室に入らないように、音井教授が実践していた方法を思い出したのである。
 「本物の猫でしたら、入り口に蜜柑の皮などを置いておくといいんですが。」
 猫は柑橘系の匂いが嫌いなんですよね、と呟きながら、カルマはにっこりと笑った。
 「その子の嫌いな物など、ご存じではありませんか?」
 出入り口の付近にそれを置いておけば、多分寄らなくなりますよ。と微笑むカルマに、少女も笑って答える。
 「さすがカルマさんですわ♪名案ですわね♪」
 早速やってみなくては、と何事か思いついた少女は、優雅に一礼する。
 「有り難うございました、カルマさん。また相談に乗って下さいませね?」
 それではご機嫌よう、と典雅な挨拶を残して消えた少女の幻に薄く苦笑して。残された美貌の青年市長は、遠くを見る目でふわりと微笑んだ。
 「…可愛いんでしょうね。」
 記憶の底から漂うような、ミルクの甘い匂い。ふわふわと細い毛の感触。愛らしい仕草やか細い鳴き声を思い出して、カルマは愛おしむようにその美貌を甘く緩めた。過ぎ去った愛しき日々に繋がるその記憶は、カルマの中にほわん、と温かい温もりを生む。
 「見せていただけたら良かったですね。」
 ───遠くない未来に、その『子供』と会うことになるとは。
 いかなカルマとは言え、想像しえないころの出来事である。
 
 
 「あいつの化けモン嫌いはウイルスに追いかけられたせいじゃねーのかね?」
 「…それがトラウマになってるのか。」
 《ORACLE》で出されたその結論はあながち間違いでもないのだが。
 ───賢明なる読者諸君はお気づきだろうか。
 そう、前述の方法がしっかり実行されたのである。A-S〈SIGNAL〉に対して。
 
 その効果は皆様の知るところである。