Valentine's Confession


 「…そう言えば、もう用意しなきゃなぁ。」
 まいっちゃいますよね、とふと思い出したようにかしかし収まりの悪い銀髪を掻きながら、カカシがぼやいた。
 如月も終わり近く、日中の日射しはだいぶ緩んできたものの、それでも日暮れとなれば吹く風は冷たい。底から冷え込むような空気をいっぱいに吸い込んで白く溜息を吐いたカカシに、イルカは首を傾げる。
 「何がですか?」
 いつも飄々とした風情を崩さないこの上忍にしては、まいった、と言う口調にもどこか心底持て余すような響きが潜んでいて、珍しいと同時に好奇心をそそられた。こんな風に自分相手に口にするということは、少なくとも任務がらみじゃないことを窺わせる。すぐ前まで話していたことはそろそろ昼間は温かくなってきたとか、今夜の店はどこにしようかとか、そんな他愛のないことで。
 関係のありそうな物でもあったかと、きょろりと瞳を動かしたのに気付いたのか、カカシがきまり悪げに頬を掻いた。
 「いえね、大したことじゃないんですが…ほら、アレ。」
 夕方の賑わいを見せる木の葉の商店街。
 雑多な人混みの向こうに見える店を指して、男は肩を竦める。示されたそこはこじんまりとした佇まいだが、外国の菓子を扱うことで有名な菓子問屋だった。ひらひらと店先で幟が揺れているところを見ると、何か珍しい菓子が入ったところなのだろうか。
 アレってアレだよな、とイルカは首を捻る。自分にはとんと縁のない類の店で、さほど嗜好に違いがあるわけでもないだろう男同士、おそらくカカシにもそうだろう。それがどう溜息につながるのかが分からなくて、素直にそれを口にした。
 「アレがどうかしたんですか?」
 「…イルカ先生、チョコもらったんでショ?」
 「は?」
 なんでここでそんな話が、とイルカは鼻白み、つい数日前のやりとりを思い出して眉間に皺を寄せた。
 
 
 「すごいですねカカシ先生、持って帰れるんですかそれ。」
 上忍控え室から出てきたカカシにイルカが目を丸くする。カカシの抱えた袋からこぼれそうな包みの数は、多分自分のそれとは桁違いだろう。カカシは曝した右目だけで苦笑した。
 「…ええまあ、何とかなるでショ。イルカ先生は?」
 「嫌みですかそれ。俺なんか義理ばっかですからね、大した数じゃないですよ。」
 「あ、でももらったんだイルカ先生も。」
 「…何ですかそれは。」
 俺だって義理チョコぐらいもらいますよ、と口を尖らせると、カカシが困ったように笑った。
 「いや、こういうのってやっぱ戦忍の方が多いのかなって思ってて。」
 「そんなん関係あるんですか?」
 「あるんじゃない?でなきゃ俺なんかこんなもらいませんよ。」
 しゃらりとそんなことを言う口が憎たらしい。本音で言えば写輪眼がそれを言うか、と言いたいところだが、そこはぐっと我慢してイルカも笑う。
 「それにしても、それだけあったんじゃお返しも大変ですね。俺、内勤で良かったかも。」
 「…どっちかと言えばそれが目的だろうなぁ。」
 俺も里に帰ってきたから、減ると思ってたのに、と肩を落とすのは本気のようだけれども。
 いつもより更に丸いような気がする背を見送りながらも、贅沢言ってんなぁ、と同情する気にはなれなかったイルカである。
 
 
 今目の前で首を傾げている上忍にも同情する気にはなれん、とイルカは溜息を吐いた。それをどう取ったのか、カカシが可愛らしく首を傾げる。
 「イルカ先生、もらったのはどうしてるの?」
 ちゃんと全部食べる方?
 「…はあ、まあ。」
 「お返しとかもちゃんとしてるんでしょ?」
 大変だよねぇ、としみじみ言われたイルカの視線が険しくなる。そりゃあ上忍と比べればしがない中忍の懐は若干寂しいかもしれないが、お返しも買えないほどじゃない。そもそもあれだけあったところで傷むこともない財布をお持ちの上忍様が何言ってやがる、とちょっとやさぐれた気分になったところで、その不機嫌を読み取ったのか、カカシがほんの少し困った色を瞳に浮かせてがしがしと髪をかき回した。
 「…別に怒らせるつもりはないんですけど。」
 「じゃあなんでそんなこと言うんですか。」
 むう、とへの字に曲げた口で唸るようにそう言うと、カカシは肩を竦める。
 「だってイルカ先生、俺、もともとチョコってそんな好きじゃないんですよ。」
 あれって火とかいらないし、口当たりや腹保ちは良いんで携帯食には良いと思いますけど、どっちかって言うと個人的には丸薬でもらった方が嬉しいし、だいたい上忍師になってからそんな外の仕事多くないじゃないですか。あんなにもらっても始末しきれないし、感謝してくれる気持ちは嬉しいけどそれでお返しってもね、と言うカカシに、イルカは何だか変だな、と首を捻る。
 「…カカシ先生、どうしてチョコくれるか御存知ですよね?」
 「はい?」
 きょとん、と一瞬見開いた目が、訝しげな光を浮かべた。今更、と思っているのだろうが、それでも一応きちんと答える辺りが妙に律儀である。
 「ええと、戦忍として里に貢献してくれる忍に、携帯食を差し入れたのが始まりなんですよね?」
 だからもらった忍は無事に帰還できたら、その御礼を相手に渡すんですよね。一種の験担ぎみたいなもんでしょ。
 それがだんだん一般にも普及して、日頃の感謝を表すとか、ああ、今では愛情表現ってのもあったんでしたっけ、と数え上げるカカシに。
 何だか頭を抱えたくなったイルカだった。
 「逆です、逆。」
 バレンタインのチョコレートと言えば『愛の告白』がメインだろう。
 確かに忍びの里ということもあって、カカシのいうような意味がないこともないが、やはり世間一般には女性からの好意を表すものだ。しかも里でも名高い「写輪眼のカカシ」であれば尚更に、こめられた好意は自分へのそれとは桁違いのはずで。
 どうも無神経な物言いだ、と面白くなかったのだが、どうやら無神経と言うよりは無頓着というか、とにかくこの人の中で「バレンタインのチョコレート」というのはお年始お歳暮お中元と同様の位置づけだったらしい。
 誰ですかそんなこと教えたの、と溜息混じりに聞けば、スリーマンセルの上忍師だという。カカシの上忍師と言えば4代目火影だ。
 「アンタ担がれたんじゃないですか?」
 腕はそりゃあ良かったが性格はそれに輪を掛けてヨカッタ、といつだったか3代目が評していたのを思い出し、イルカが苦笑すると、「…あー、そーですかねぇ?」何か変だなとは思ってたんですけどね、とカカシも苦笑した。
 「ま、苦肉の策ってヤツだったんじゃないかな。」
 そうでも言わなきゃ俺が受け取りそうに無かったからでしょ、と青い瞳が懐かしそうな色で微笑む。今の今まで、結構本気で信じてたんでスがねぇ、と言いながらも、騙されたことへの怒りなどはないようだ。もしかしたら、薄々感づいてはいたんだろう、とイルカは思う。
 「とにかく、大なり小なり、相手の『好き』って気持ちがこもってるんですからね、大事にしてあげないと。」
 「…勘弁して下さい。」
 ただでさえ面倒くさいのに、余計面倒になっちゃいましたよ、とかぶつぶつぼやく上忍の背を宥めるように叩いて、イルカが笑った。
 「贅沢ですよ、カカシ先生。モテるのはいいことじゃありませんか。」
 「他人事だと思って
 「他人事ですからねぇ。」
 俺なんか気楽です、と肩をすくめるイルカを恨めしげに見やって、がしがしと髪をかきやると、額当ての上で銀の光が揺れる。
 「去年までだって悩んだのに、そんな気持ちとか言われたら余計じゃないですか。」
 ほとほと参った、と肩を落とす男の様子を笑い、イルカはまあまあ、と肩を叩いた。
 「一緒に考えてあげますよ?」
 「…それは嬉しいかも。」
 何故か照れたように頬を掻き、銀髪の上忍はほんの僅か高い背を屈めてイルカを覗き込むと、に、と目を細める。
 「お揃いのお返しなんて、意味シンですよね?」
 「お揃い? やめて下さいよ、そんなことしたら俺文ナシです!」
 アンタ上忍でしょ!
 慌てて噛みつくイルカに、カカシが喉の奥で爆笑を必死にこらえたのは一瞬後。
 
 
 ───────その意味にイルカが気付くのは、もう少し後のことである。