幸せで、あるように。
「あ、そういや名前決めたのか、このお嬢さん。」
ラボへ遊びに来たハンプティが、丁度広げてあったCGを指で弾きながら信之介の方へ振り向いた。今回、初めて外部から依頼されたHFRは、国連の女性高官専用護衛ロボットだ。もちろん今までは人間がその役割を努めていたわけだが、そのことが、警護対象である女性に精神的負担を強いるという理由で。
要人の警護は、通常複数の人間がチームを組んで行う。たった一人の人間が日常生活の全てをガードできるものではないからだ。神経を張り詰めたSPの任務は、4交代制が限度である。そして、それだけの人間に絶えず周囲を囲まれると言うことは、それだけで対象人物の神経を逆撫でする。そのうえ、集団特有の人間関係がそれに敏感な女性の神経に負担をかける。警護対象が女性であるということは、SPが家庭の内部にも立ち入るということであり、それが更に追い打ちをかける────
その点、女性型の『ロボット』であれば、対象の負担は軽減されるというわけだ。ひとつに、人間には不可能な単独での警護を可能とすること。そして、女性という形をとることで、不必要な警戒心や虚栄心を持たずに気を許せること。その上、能力的にも絶対の信頼が置け、万一の場合の罪悪感も少なくて済むこと。
そういった利点から、シンクタンク・アトランダムにHFRの制作を依頼したい、と。
注文通りなかなかの美人さんじゃないか、結構結構♪とだらしなく喜ぶ同僚に呆れ顔をしながらも、信之介がカップを差し出すと、サンキュ、と受け取った男は嬉しそうにCG画を覗き込む。
「黒髪に石榴石(ガーネット)の瞳か…」
エキゾチックな感じで良いじゃないか、と笑うハンプティは、最近お目当てのインド美人をようやく口説き落としたところである。それを知っている信之介が人の悪い笑みを浮かべた。
「そう言って褒めてたって、女史に言ってやろうか?」
「あ、そう言うこというのかお前は?」
可愛くねーなっ、と頬を引っ張られて、信之介は笑いながら両手を挙げる。
「分かった、言わない言わない。」
「よしよし。」
満足げに離された頬を両手でこすりながら、信之介はデスクの上に散らばったメモ用紙を目で示して見せた。書き殴られた単語の数々に目を留めて、ハンプティの瞳が面白そうに瞬く。
「ちょうど今、何にしようかと思っていたところでな。」
「A-Lだっけ?…L、ね…」
ふうん、とメモ用紙を何枚か拾い上げた男が考えるようにそれを眺めた。
「LisaとかLindaとか?」
「お前の彼女遍歴を聞いとるわけじゃないんだが。」
「だってお前、女の子の名前だろ?」
ロボットって言ってもやっぱ女の子らしいのがいいなぁ俺は。
「そりゃあ俺だってそう思ってるよ。」
信之介が苦笑してメモ用紙を揃える。もしかしたら自分の子供の時より悩んでいるかも知れないくらいだ。
「正信のときはそんなに迷わなかったじゃないか?」
「そりゃあなぁ…」
息子と娘は違うよ、と苦笑する。『正しいと信じる道を、歩んでゆける人になってほしい』と付けた名前。あのときも迷わなかったわけではないのだが、「絶対信にーちゃんの『信』の字は入れるんだからねっ!」と強硬に主張する奥さんのおかげで、選択肢は意外と少なかったのである。
「ロボットといえども、親の込める気持ちに違いはないもんな♪」
せいぜい悩むこった、と無責任に笑うハンプティを恨めしげに見やって、信之介がぶつぶつと零した。
「自分はさっさと決めたクセに…」
「俺?俺だってちゃんと気持ちはこもってるよん♪」
先日認可されたハンプティのプロジェクト・ナンバーはA-M。彼は自分のHFRに『メッセージ』と名を付けた。「HFRから人への『メッセージ』を運ぶ者」であるように、と。
「愛のメッセンジャーってトコだな。」
うんうん、と満足げな男に苦笑する。続けて認可されたDr.マリアのA-Nは、『ニイハオ』と名付けられていた。「アナタが元気だと良いな、ってことよ。」と笑った同僚を思い浮かべる。そして、世界で一番多く使われる言葉(中国語を喋る人間の数はとても多いのだ)で、誰もが笑顔でこの言葉を言うのだから、と。
「俺はどうもそういうのが苦手なんだよなぁ…」
名前に想いを込めること自体はさほどでもない。ただ、母国語で付けるのと違って、あまりにもそれがストレートなので照れくさいのだ。
「いい名前付けるからなぁ、お前。楽しみ楽しみ♪」
「それがプレッシャーなんだってば。」
女の子らしくて、呼びやすくて、誰からも親しみを覚えられるような名前。様々な国籍の女性が彼女に命を預けるのだから、そうおいそれと付けるわけには行かないだろう。
「花の名前にしようかとは思ってたんだが…」
「花か、いいかもな。」
花の嫌いな女性はないもんな、とハンプティが頷く。そこに咲くだけで人を安らがせる、確かに良い名前かも知れない。
「花でL、っていうと…Lilyとか?」
谷間にひそりと咲く、純白の花。純潔の象徴でもあるそれを思い浮かべて、男は首を傾げた。悪くはないが何となくぴったり来ないような気もする、と言われた信之介も苦笑する。
「俺は『Lavender』にしようかと思ってる。」
本当は、大分前から頭にあった名前だ。人に安らぎを呼ぶ香り。育てるのに手が掛からない、丈夫な花であること。そして、その小さな花弁に託された『私を信じて下さい』という言葉。人に信頼されなければ、その役目を果たすことが出来ない彼女に相応しくはないだろうか?
「…あぁ、そりゃいいや。」
しみじみとそう呟いたハンプティに、信之介もふわりと笑んで応えた。
どうかこの命が、生き生きと咲き誇る華であるように。
いつもいつも祈っている。
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