青い鳥

 
 転がるような澄んだ高い声が、繰り返す軽やかな歌。 

 チッチー、チロロチルリ。

 ぼんやりと薄明るくなってきた部屋で、イルカはうっすらと目を開けた。枕元を見るまでもなく、目覚ましより幾分早く目が覚めてしまったのが分かる。

 「…もうちょっと、寝られるか…」

 行事があるわけでもないのに、何で今日に限って目が覚めたんだ?とどうでもいいことをのたのたと考えながら、掛け布団の中でぐるんと寝返りを打った。追いかけるように背中からまた声が聞こえてくる。

 チッチチー、チチロチルリ。

 ──────ヒタキかな。

 いつも聞き慣れたスズメのチュンチュンという鼠鳴きや、ジュクジュクジュク、と賑やかなツバメの囀りとはちょっと違うそれを、ぼんやりと追う。木ノ葉の名の通り里の中にも緑の多いこの里は、時折珍しい野鳥が人家のすぐ近くまでやってくることもあるのだ。

 なんか来てるんだろうな、と思いながらほんのりとほどよくぬくまった布団の感触を楽しんでいると、こつこつこつ、と窓をつつく小さな音がした。

 「…ん?」

 ぐるりと窓の方に向き直ると、やはりこつん、と小さな音がして、僅かに光の通るカーテンの布地の向こうに、小さな鳥の影がうっすらと透けて見える。

 「遣い鳥、か?」

 人に慣れやすい野鳥を寄せて、言の葉を伝える術式。

 主に用いられるのはカラスやハト、あるいはスズメなどのごくありふれた人里に住む鳥だが、稀に海鳥や高山に住む鳥などの珍しい鳥が使われることもある。

 チッチー、チチロチロロチルリ。

 急かすようにまた囀り始めた影は、窓枠でちょんちょんと跳ねながら行ったり来たりしている。    

 「…はいはい。」

 むく、と起きあがったイルカは、ふわあ、と欠伸をかみ殺した。のそのそ、と寝床から出ると、脅かさないようにカーテンを開ける。

 「お、ルリビタキ。」 

  珍しいなぁ…とガラス戸を開けてやると、イルカは、ちょんちょん、と寄ってきた鳥に手を差し出してやった。オスのルリビタキ。鮮やかな瑠璃色の背、純白のぷっくりした腹とその境目に僅か筆で橙色の線を入れたような模様の小さな鳥である。利口そうな黒い瞳がきょろりと光を弾き、その上に刷かれた白く小さな丸い眉が、ほんの少し困ったような人間くさい表情を与えている。

 「お遣いありがとな。」

 思わず鳥を労ってから、イルカはちょっとだけ考えるように「ええと…」と視線を泳がせた。遣い鳥は仕組みは単純だがなかなか難しい術なのだ。何しろ時には重要な伝言を運ぶこともある。そうそう簡単に誰にでも解かれてしまうようでは問題なのである。

 「確か、解印はこう…」

 鳥を留まらせたのとは反対の手で印を切りながら慎重に『解』と唱えると、小鳥がその小さな嘴から術者の声を紡いだ。

 『イルカ先生、おはよーございまーす♪』

 「…は?」

 ちゃんと無事に聞こえてきたそれに、イルカがぱちりと目を瞬いた。

 その、聞き間違いようのない無駄に甘い声、妙に間延びした口調。

 「カカシ先生…」

 『今回の任務、朝までには終わりそうなんで、イルカ先生のご飯が食べたいでーす♪』

 がっくりと青年の肩が落ちる。

 懐いた野良犬じゃないんだから、と思わなくもないのだが、あの呆れた上忍ときたら、正しく昼夜の区別がない…というか、忍者のクセに規則正しいセイカツを送っているイルカの方がそもそも珍しいのだが。

 『ナスのみそ汁だったりしたら嬉しいなー?』

 「あー、はいはい。」

 ナスね…と遠い目をしながら呟くと、『じゃ、そーゆうことで♪』 と、小鳥が口をつぐんだ。

 「…テンプラにしてやる。」

 お遣いを終えたヒタキがちょいちょいと羽繕いを始めるのを見下ろして、イルカが根暗く呟く。その響きに怯えたのか、小さな青い鳥はぱっと飛び立った。

 その途端、窓の前に張り出す欅の太枝に、すっ、と長身の影が現れる。

 「えー、楽しみに帰ってきたのに、ヒドイですよイルカ先生?」

 「…アンタね…」

 俺の安眠を妨害したのはヒドくないんですか、と睨め付けられて、カカシの右目が泳いだ。

 「いやだから、ちゃんと帰ってくるのはもうちょっと後にしようかなー、とは…」

 思ってたんですケド、と言いさす目の前でぴしゃん、とガラス戸を閉じてやると、「もっとヒドイですイルカ先生ー!」と鬱陶しい上忍がガラッと窓を開けて窓枠に乗っかる。

 「予告ナシでお邪魔したらマズイと思ってお遣い出したんですよ?」

 「…アンタ馬鹿ですか。」

 それで鳥より早く着いてどうすんですか、と言う青年に、しまった、という色が男の目に浮かんだ。

 「…分かりましたか。」

 「当たり前でしょう。」

 アンタ中忍舐めてませんか、とイルカが不機嫌に呟く。解印を切った瞬間に、僅かだけれど気配が動いたのだ。気配を断っていたとはいえ、掛けた術を破られたようなものだから無理はない。いくら中忍でもそのくらいは分かる、とイルカは憤慨した。

 「大体、ゆっくり帰ってきたらいいじゃないですか、終わったんだから。」

 チャクラの無駄遣いしないでくださいよ、と溜息をつく。『木ノ葉一の技師』と異名を取る元暗部、写輪眼のカカシともあろう者が、たかだか朝ご飯のメニューをリクエストするために遣い鳥を寄越したり、その鳥より早く里に着くためにチャクラを使ったりしたのかと思うと何だか情けない。

 「ゆっくりですよ、ゆっくり。」

 お遣い出してすぐくらいにカタがついたんで、結構のんびり帰ってきたんです、とカカシが慌てたように言った。途中で夜になったから、飛べなかったんでしょう、と苦笑する。

 「…そんなに早く終わったんですか。」

 Aランクでしたよね、とイルカが感心したように言った。

 「確かAランクの中でも難しかったのでは?」

 さすが、才能のある方は違いますねぇ、と納得の様子で頷くと、カカシが「違いますよ」と首を振る。

 「これは才能ではなくて『愛』!溢れる『愛』故です♪」

 きっぱりと言い切る男を胡散臭げに見やり、イルカが「どこに愛があるんですか…」と力無くこぼした。

 「えー、もちろん二人の間に、ですとも。」

 「…ありません。」

 全然まったくこれっぽっちも、と心の中で呟く。否定しながらもそこまで口に出さないのは後が鬱陶しいからだ。

 カカシの右目が不思議そうに瞬いた。

 「そうですか、俺には見えるんですが。」

 「俺にも見えてますよ、暗くて深い溝なら。」

 「あ、海のように深い愛ってコトですか?」

 「…アンタいっぺん耳ほじって出直して来たらどうです。」

 「あ、じゃあ風呂貸してもらえますか、そのまんま来ちゃったんで。」

 「どこまで図々しくできてんだアンタは…」

 賑やかなそのやり取りの聞こえる窓辺に戻ってきた青い鳥が、小さく囀る。

 

 ─────チチチ、チロロチロロチルルリ。

 

 

 

 

 

 旅から帰ると。

 温かい家があって、そこには青い鳥がイルのだ。

 

 

 ───────そんな、ドコにでもある話である。