瞳の底に宿る獣の血

陽炎うは銀の焔────



夜の棲む瞳



「カカシさんの目の色って不思議ですよね」

俺が何の気なしにそう言ったのはいつのことだったろう。

里でも指折りの上忍、はたけカカシ。
彼がいつもは隠している左目は写輪眼だという。写輪眼といえばうちは一族に伝わる血継限界で、だったらサスケと同じ紺色をしているのかと思ったら、見せてくれたそれは透き通った赤色で。
彼のそれは写輪眼が発動しているときの色なのだと教えてもらったけれど。

俺がそのとき口にしたのは、そして今でもそう思っているのは見えている方の右の瞳のことだった。

深い青の底に、ゆらりと沈む色がある。

「…そうですか?」

自分じゃ気づかないですけどねぇ、と言ったカカシ先生の口調も表情も、いつもと変わらず柔らかかったのに、俺は何故か次の言葉を飲み込んでしまった。

その、目は笑っていなかったから。






底に夜を飼っている瞳だ、と思う。

深い青の奥に群青が沈む右目は、更にその奥底に得体の知れない闇を飼っている。時折浮かんでくるソレは、瞳孔に暗い銀色を滲ませた。



最初にその瞳を見たのは、もう随分前のことだ。











中忍になりたての任務で、国境の小競り合いに回されたことがある。下忍に毛の生えたばかりの中忍が配置されるのは珍しい任務で、逸る気持ちと不安を半々に赴任した。暗部も来ているというその部隊はほとんどが上忍で、主に後方支援と伝令が中忍に割り振られる仕事だった。

少々物騒だけれども、いつも通り過ぎていくはずの任務。

ソレが一転したのは、誤った情報が流れ、そのせいで味方の陣が崩れたときだった。
膠着状態にあった戦況を打開するために、敵陣に増援があったという情報。それに基づいて布陣した裏をかかれ、左右に展開した陣の、薄い中央を突破された。後陣に配されていた中忍部隊も油断は無かったはずだが、それでも相手方の上忍部隊の猛攻は支えきれない。

「…退避!」
悲鳴のようなその命令に応えられる者が幾人あったか。
最初は数人で一人の敵に対する余裕があったはずの戦況は、一人減り二人減り、いつの間にか掃討戦の様相を呈していた。左右両翼の戦況は木の葉に有利、けれども中央を分断されれば終わりは近い。
「…チっ!」
紙一重で避け損ねたクナイが頬に紅い線を引く。それを拭う間もなく地を蹴ると、その後を炎が薙いだ。咄嗟に印を切って水の結界を張ると水蒸気が上がって視界を塞ぐ。
「ちょろちょろとすばしこい」
くつり、と笑う霧隠れの忍は余裕の表情でイルカを追ってきた。パワーで押すタイプなのか体術の動きは大振りで読みやすかったが、止めたとしてもイルカのウェイトではダメージの方が大きい。受け流して力を利用するにも限界があり、流し損ねた蹴りをマトモにくらった肋骨がみしり、と嫌な音を立てて砕けた。
「…ぐ!」
そのまま叩きつけられて地に這う。避ける間もなく肋を踏みつけられて、イルカは、かは、と血を吐いた。
踏みつけられている胸が燃え上がるように熱い。痛みに先立つそれを冷やそうと吐いた息もそれ以上に熱かった。
くくく、と嗤う男は、どうやら戦況を勝ちと判じたらしい。止めを刺すことよりも獲物をいたぶることを優先することにしたようだった。

それならそれでやりようはある。

腕や指が無事なら印は結べる。イルカは背に回した手でこっそりと印を結んだ。身のうちに熱を溜める木の葉の陰呪、自爆用の術だ。
どうせこのまま殺されるのを待つしかないのなら、というのは本来イルカの考え方には添わないけれど、それでも今自分にできることの中で最も有効なのがこの術だから─────

「…ちょっと待ちなよ、アンタ」

静かな声が落ちてきたのは、その時だった。
ソレと同時に胸元に感じていた熱が消え、じくじくとした痛みに取って変わる。それが今までイルカを踏みつけていた男が消え失せたからだと分かったのは、霞んだ目にその男が立ち上がるのが見えたからだ。
今まで自分を踏みつけていたはずの男を吹き飛ばしたのは、突然現れたもう一人の男だった。敵と自分の間にいつの間にか割って入ったのは、すらりとした痩身に白いベスト、黒いアンダーを纏い、背に直刀を背負った獣面の忍──────木の葉の暗部。
「あ…暗、部?」
「そ。早まんないでよね、アンタ」
今片付けてあげるからさ、と振り向いた獣面は白狐。激戦のせいでか半分欠けたそれを無造作に着けた隙間から覗いた瞳は深い青色で。


その日の新月闇よりも暗い色を秘めて、くつり、と嗤う。



「木の葉で遊んだツケは高くつく、って、知らないワケでもないだろうにねェ?」
くくく、と嗤う声は、さっきと違って己に向けられたものではなかったのに、イルカを芯から震え上がらせた。






闇よりも暗い光があると知ったのは、そのときだった。