ごくふつうの恋


 ───この気持ちは、どこから来るのだろう。
 
 ふうっと浮き上がるように意識が浮上する。うっすらと温かな空気が自分を取り巻いている気配に、微かに笑みが浮かんだ。柔らかな毛布が肌に馴染む優しい感触。つるりとしなやかなシーツの肌触り。静かな薄闇に閉ざされた室内にぼんやり灯されたランプの明かり。
 オラクルは微かに息をもらした。眠気の残る意識で傍らに静かな寝息を探り、僅かに上下する男の懐へさらに身をすり寄せる。ほんの僅かな隙間にすべり込んだ冷気が、染み入るようなぬくもりに満たされ、オラクルはくすくすと笑った。
 自分の躰が一対の温かい腕に抱かれていることがこんなにも嬉しいと、教えてくれたその人の優しい鼓動。
 背中越しに感じるそれがもどかしくて、オラクルはもぞもぞと寝返りを打った。
 思ったより間近にあった男の貌に一瞬胸が高鳴る。オラトリオは未だ眠りの淵に深く沈んでいるようだった。
 寝乱れて額にかかった曇金の髪は、合間から覗く男らしい整った容貌を何処か幼く見せる。体躯を僅かに傾け、半身を伸べるように差し出された腕の間に閉じこめられている自分の姿勢に気付いて、オラクルは微笑を浮かべた。
 心の芯まで蕩けるような暖かさ、伝わる確かな熱、彼の匂い。
 それをもっと感じたくて、鎖骨と首筋のラインが交わる僅かな窪みへ鼻先を擦り付けると、頭上で掠れた呼気が漏れて、目覚めの気配が漂う。
 「…オラクル?」
未だ眠気の勝る掠れた声に笑って、オラクルは半身を起こした。ひいやりとした部屋の空気に少し身震いすると、伸びてきた腕にまた閉じこめられる。
 「まだいいだろ…もうちっと寝てようぜ?」
 オラトリオの声に混じる、眠りの残滓。下から見上げてくる濃紫の瞳に浮かんだ甘えるような色が嬉しくて、 オラクルは男の胸元へ頬を擦り寄せた。
 「あったかい…」
 「…お前なぁ…」
  微かに苦笑する気配がして、オラトリオが体勢を入れ替えた。身の下に敷き込まれて、のし掛かる圧倒的な重みに微かな吐息が漏れる。片手を付いて覗き込む男は、両の腕を伸ばして己を引き寄せる動きに喉で笑った。
 「誘ってんのか…?」
 返事の代わりに指を滑らせ、絡む金の糸を引き寄せて口づける。こんなに充たされていてもまだ欲しいと想う、この気持ちはどこから来るのだろう。一向に応える様子もなく、ただしたいようにさせている男に、ややあってオラクルが困ったように呟いた。 
 「…おかしいのかな…まだお前が足りないと思うなんて。
 気配を感じれば姿や声を。姿を見、声を聞けばその温もりを。温もりを与えられればその熱を。もっと近くで、もっと深くで感じていたい──── 閉じこめられた腕の中で、これ以上なくひとつでいるときでさえ。
 消え入るようにそう囁いたオラクルは、頭上でオラトリオの苦笑する気配に身内が熱く濡れるような感触を味わう。思考が真白に溶け落ちて、ただこのまま消えてしまいたいと思うような羞恥。きっとオラトリオは自分の欲の深さに呆れているだろう。
 「…ごめん…」
 俯く代わりに雑音(ノイズ)の髪を擦り寄せ、オラクルは小さく謝罪の言葉を落とした。際限のない欲と分かっていて、それでも求めれば与えてくれる。どこまでも優しい恋人に甘えていると、分かってなおこの手を離せない。
 縋り付くように伸ばされた手を、オラトリオは外そうとはしなかった。代わりに押し殺すような吐息に乗せた言葉を、触れ合う肌へ落とす。
 「…ばぁか、それは俺の台詞だ、この世間知らず。」
 気持ちが触れ合った部分から流れ込んでくるような切ない錯覚が身を焦がす。求めているのは自分だけではないのだと、言葉よりも確かに伝えてくるそれが嬉しくて。
 オラクルは、泣きたいような気持ちで微笑んだ。
 
 ───どこからやってくるのだとしても、この気持ちはふたりのものだ。
 
 
ここにあるのはそんな、ごくふつうの恋。