造られたこころ


 『ようこそネット〈ORACLE〉へ。』
 静寂に支配された電脳の闇の底、穏やかな統御者を模して響く声。
 『御利用、誠にありがとうございます。』
 純白の絹の手袋が、深紅のトルコ帽を胸の前に捧げて恭しく礼を取る。客を招き入れる守護者の向こうに、眩しく開けるは知識の巨塔。初めて踏み入る電脳の聖域は、広いホールへと客人を招き入れた。
 白々と固い大理石の床、列を成す大理石の柱が支える空間にA-NUMBERSが揃いつつある。最後のひとり、最新型A-NUMBERS、A-S〈SIGNAL〉を迎えて、遙か上に開いていた入り口が静かに閉じた。
 ────電脳会議が始まるのだ。
 
 「もし自らの力で何とかしたいと思うのなら」
 天の高みより告げられる神の預言のごとく、言葉が紡がれる。遙か宙に浮いた式台の上で、静かに目を閉じたオラトリオは、先ほど覗かせた瞑い光をその白い瞼のうちに隠していた。
 『俺は《ORACLE》を護る為に造られた。』
 あの底冷えた響きが嘘のように、穏やかな声音で真摯な願いを告げる男を、若草の瞳が瞬きもせずに見つめる。「力を貸してくれ」と乞うその言葉を、皆が沈黙をもって受け止めた。《ORACLE》の、そしてA-O〈ORATORIO〉の特殊性は誰もが承知している。独立主権を持つ唯一のHFR、A-NUMBERSでありながら厳密にはそこに属さない彼の心は、造物主たる人間の元にはない。
 『人間なんて知ったこっちゃねえ…』
 低く漏らされたその本音を、その場の誰もが真実だと知っていた。彼にとっては《ORACLE》こそ神だ。人が許した傲慢さは、すんなりとエララの内にも収まった。
 
 ───人に定められたそのように、自分たちはあるべきなのだとすれば。
 
 「ぼくは行く!」
 即座にきっぱりと宣言したのは、守護者とよく似た紫水晶(アメジスト)の瞳を輝かせたシグナルだった。「自分自身でケリをつけるチャンスが欲しかった」と言う少年の言葉が、先刻から少女の内に沈むオラトリオの言葉に、かちり、と音を立てて填る。 
 
 ───与えられた力で、為し得ることがあるならば。
 
 「細雪を越えた時から、俺様はお前につき従うと決めたのだ。」
 どこへなりとも好きに行くがいい、と己を差し出した兄は晴れやかにそう告げた。しんと冴えた氷の気配を内包した白木の鞘を、パートナーと定めた少年へ預けるように捧げ持ち、琥珀の瞳が薄く微笑む。潔いその言葉が、欠けた思考の最後の一片を完成させる。
 
 ───心の決めた道を行くのに、何の躊躇いがあろうか。
 
 「…私も一緒に行きます。」
 にこやかにそう言ったエララを、コードもシグナルも躍起になって止めようとした。それでも、心は揺るがない。
 人は、彼女を『看護ロボット』として造った。癒しの手を必要とする者があれば、いついかなる状況でもそこにあれと。音井教授は彼女に《MIRA》を扱う能力を与えた。星の輝きを身に負う者の助けとなるように。
 そのことに喜びすら覚えて、エララは静かに微笑んだ。そう造られて、今ここにあることがとても嬉しかった。
 
 
 「どうぞエララに調整をお任せくださいな。」
 
 ───そう言えることの、ただ誇らしく。
 
 人に逆らわず人を裏切らず、それでも流されることなき揺らがぬこころを。
 人は咎めることができるだろうか。