太陽の東、月の西



 暮れも押し迫った夕暮れのことである。
 「ごめんくださぁい!」
 垣根越しにひょこりと覗いた紫の髪がふわん、と風を孕んで夕陽を弾いた。見るともなしに庭を眺めていた屋敷の主が、微かに目を眇めて睨むのにびくびくと首を竦めて、シグナル少年は己の師匠にお伺いを立てる。
 「えっと…入ってもいい、コード?」
 無言で顎をしゃくってみせた青年に安堵して、少年はおずおずと枝折り戸を開けた。縁側に面して開けた庭先へと入り込み、辺りをきょときょとと物珍しげに窺う。その様子を面白そうに眺めていたコードは、ややあって少年を縁側へと促した。
 「…おじゃまします。」
 折り目正しくそう断ってちょこん、と腰を下ろした弟子に僅か頬を弛める。ふとした拍子で現れる、音井ブランドらしい育ちの良さが、コードは嫌いではない。何と言っても、礼儀は人間関係の基本である。
 「して、何用だ?」
 一応の客扱いをしてやろうと供した煎茶の熱さに苦労していた少年は、その一言で慌てたように居住まいを正した。
 「えー、と…これなんだけど。」
 ごそごそと持参の袋から取り出した酒瓶に、コードが目を丸くする。古びた素焼きの酒瓶には墨跡鮮やかに蔵元の名が記され、それを認めた琥珀の瞳が満足げに細められた。
 「…悪くない土産だ。」
 「コードには世話になってるから、と思って…」
 お歳暮って言うのかな?と語尾を濁して言い淀むシグナルに、琥珀が悪戯げな金の光を弾く。
 「酒の相手には役者不足だが…まあいいだろう、上がっていけシグナル。」
 「え!ぼく?!」
 「他に誰が居る。」
 「え、だってぼくお酒なんか呑んだことないしっ!」
 じたばたと暴れる弟子をこともなく引きずり込んで、コードは嘯いた。
 「如何な美酒といえども、酌み交わす相手が居なくては唯の水だ。」
 ───単に面白がっているだけだと思うのは、作者の穿ちすぎだろうか───
 
 白磁の器にとろりと落ちた月を愛で、コードは満足げな溜息をついた。夜半も過ぎた座敷では、早々に潰れたシグナル少年がうつらうつら舟を漕いでいる。
 「まったく誰の入れ知恵やら…此奴の土産にしてはちと荷が勝ちすぎたな。」
 「あれ、お見通しでしたか?」
 夜更けてからやって来たオラトリオがにやりと笑う。お見通しも何も、ぴたりと合う肴持参で現れるに至っては、隠すつもりもなかったというべきだろうが。オラトリオの持参した鮪の漬けといい、この酒といい、およそシグナルの思いつくものではないことぐらい、コードにも分かっていた。 
 「お歳暮と言えばハムか海苔の詰め合わせを持ってきそうだからな、此奴は。」
 くつくつと笑うコードに、オラトリオも苦笑した。
 「最初はそのつもりでしたからね、コイツ。」
 「それが純米大吟醸古酒、とは…化けたな。」
 名高い『月乃桂 琥珀光』、日本の古都でも指折りの名酒である。コードの機嫌の悪かろうはずもない。
 「やっぱ相手が嬉しいモンでないと、ねぇ?」
 師匠なら酒っしょ?と指を振るオラトリオに、コードは手の内の白磁をぽん、と放った。片手で受け取る男が差し出すそれに、とぽり、と酒を落として、コードが酒瓶をぐい、と呷る。目を細めて口元を拭い、ごくりと鳴らした喉に含みきれない滴が伝った。
 「ふん…久しぶりに旨い。」
 「そりゃ何よりで♪」
 良い肴もあったことですしねー、と片目を瞑ってみせる男に苦笑する。どうやらシグナルを付けて寄越したのは確信犯だったらしい。
 「やはり此奴も込みか。」
 「師弟の交流を深めるって大事でしょ、やっぱ♪」
 「…交流?」
 訝しげなコードの疑問には答えず、男は弟の前髪をつんつんと引っ張った。煩げに顔を顰めながらも一向起きる気配のない少年に笑って、オラトリオは己の師匠を振り返る。
 「まあ、あんまり甘やかすのもどうかなーってトコですけど。」
 カワイイ弟ですから、よろしくお願いしますねししょー♪と粋な仕草でウインクを投げて寄越す押し掛け弟子を、コードが鼻先であしらう。
 「…子守はせんぞ?」
 「それはコイツの甲斐性ってもんですから。」
 「…まあいい。そのうちサポートくらいはしてやろう。」
 俺様の仕事だからな、と冷たい口調で言いながら、これで結構コードも楽しみにしている。未だ可能性の領域にあれども、己が半身となり得る者のあることがどれほど心浮き立つものか。
 一度半身を失ったコードにとって、シグナルは待ちこがれた陽の光にも等しい。
 補助(サポート)ロボットとして企画された自身は、決して単体で完成する者ではないとコードは思っている。あくまで主たるロボットの補助を目的として作られた存在である以上は。
 「此奴が望むようにしてやれるかは分からんがな…」 
 太陽と月が同じ大地を照らさぬように、きっとこの少年ロボットと己が見る物は異なるだろう。同じ物を見ながらも決して重なることはないだろうそれは、サポートを目的として作られた己にはどうしようもないことだ。
 けれども、時には真昼の月のように。
 自分にも、陽の下に輝く世界を見ることが叶うだろうか。
 その想いはコードをひどく楽しませる。それまでの道のりがいかに遠く険しくとも。
 「…あ〜あ、風邪引くぞお前…
 いつの間にか畳に突っ伏して本格的に寝始めた少年の面倒を見ているオラトリオに、コードは軽く笑った。
 「捨て置け。これしきで寝込むほど柔でもあるまい。」
 とろりと琥珀が緩む。冬の月を愛でながら、己が未来を夢想するのも悪くはないだろう。
 コードは小さく笑みを零した。