ただあなたのまなざしを

「…すごい量ですねぇ」
「ええまあ、教師なんてやってるとね、量だけは」
受け持った子どもとか、保護者とかね。
山と積まれた葉書を仕分けながらイルカが苦笑した。
「カカシ先生は見なくていいんですか?」
きっと自宅に届いてますよ、と水を向けられたカカシはうーん、とこたつ布団に顔を埋めながら首を傾げた。
「や、俺年賀状とかってもらったことないんで」
ほとんど家にいませんでしたからねぇ、とぼそぼそ呟くと、上目遣いに目の前の山を眺める。
 
子ども達との初詣の帰り(と言っても年始の神社警備のついでなのだが)、たまたま出会したイルカに、家に誘われたのは元日の昼過ぎ。子ども達はルーキー同士で新年会があるとかでそこで別れ、こうして上がり込んでいるわけだ。
正月らしいものもないんですけど、と供された昼飯は夕べの残りらしき蕎麦で、それに焼いた餅を入れれば雑煮の代わりだろうと二人で笑いながらかき込んだ。食後はミカンかなぁと台所に立ったイルカが、ミカンのカゴと一緒に持って帰ってきたのが年賀状の束だったのだ。
 
蕎麦を啜る間に「ごとん」と重い音がしたのには気づいていたが、それが葉書の束だとは思いもしなかったカカシである。
輪ゴムで止められていたそれを外し、イルカがそれをあらためはじめてからしばらくは物珍しさも手伝ってそれを眺めていたが、ミカンを食べ終わり、入れてもらったお茶を啜り終わって、もう一つミカンを剥き終わってもまだ、イルカは葉書を眺めている。
何となくそれが面白くなくて、カカシはミカンの筋をことさら丁寧に剥いた。
外側にある筋は毛羽立っていて剥きづらい。指先につい力が入ってしまうのはそのせいで、自分が苛ついているからじゃない。
カカシは自分に言い訳をしながら、ひとつ、またひとつと筋を取っていった。表面がつるりと滑らかになった袋を矯めつ眇めつしながら窺うと、イルカはまだ葉書をあらためている。
 
「…ったく、鉛筆の跡くらい消しゃいいのに…って、しょうがねぇなヤマセは…」
「お、ワカナはうまく描けてるなぁ…ちょっとコブタみてぇだけど」
 
イルカはにこにこと一枚一枚じっくり眺めては裏返して差出人を確かめながら、三つに分けた山を更に二つずつに分けた。
「イ〜ルカせんせ、それってどう分けてんの?」
「職場関係と友人関係と子ども達なんですけど、それぞれ出したのと出してないのがあるんで」
「はーなるほど〜」
「…あ、字ぃ間違ってる…いつも同じ字間違ってるんだよな、ツクシ…」
 
会話の間にちょっとだけこっちを向いた視線がまた葉書に戻り、カカシは指先で摘んだミカンの房を口へ放り込んで溜息を噛み殺した。
ふわりと口の中に広がる果汁は優しい味を舌に届ける。
思ったよりも甘味の勝るそれに、酸味が足りないとケチをつけ、カカシは次の房を取り上げた。
その合間にちらちらと目をやっても、イルカは葉書に熱中していて気が付かない。
 
───少しはこっちを見てくれたらいいのに。
 
たかが紙一枚に負けているような気がして、カカシは白い筋をぶちぶちと毟った。
年賀状なんて出したこともなかったけれど、出せば良かったなんて今更なことも思ってみたりして。
むき終わった一房は、薄皮からきれいなオレンジ色が透けていて美味しそうなのだけれど。
なんだか口へ放り込む気がしなくて、カカシは指先のそれを眺めた。
何となく視線が険しくなっていたのだろう、ふと顔を上げたイルカが苦笑する。
 
「…酸っぱかったですか?」
 
どうやら酸味に躊躇っていると思ったらしい。一山300両だったんでつい買い込んじゃったんですけど、ときまり悪そうな顔をさせるには忍びなくて、カカシは溜息をついた。
「や、美味しいは美味しいです…」
「そうですか?」
俺まだ食べてないんですよね、と思い出したようにそう言ったイルカは、「でも汚れるからなぁ…」と葉書の山に視線を流した。ミカンの汁でせっかくの葉書が汚れるのはいやなのだろう。
「あぁ…ミカンの汁って厄介ですよね」
柑橘類の汁は思いがけないほど遠くへ飛び散るし、染みになるし、あとあとまで匂いが残る。書類仕事は元より、せっかくもらった葉書を汚してしまっては、と思うのだろう。
それでも、こたつでほどよく体が温まれば、その水気が欲しくなるものだ。
視線がほんの少し指先のミカンに止まったことに気づいて、カカシはひょい、とそれをイルカの口元へ差し出した。
 
「甘いですよ、ほら」
 
うっすらと頬を染めたイルカがぱくり、とそれを口に入れてからふいと視線を逸らす。
逸らされた視線が今度は嬉しくて、カカシははくすり、と笑みをこぼした。
 
「…もっと剥いてあげましょうか?」
 
────もっとたくさん葉書があってもいいな。
 
そんな風に思うのだから現金なものだ。

けっきょくのところ、ただその視線を向けてもらえるだけで嬉しいし、気持ちを向けてもらえるならそれでいいのだから。
 
一年の計は元旦にあり。
今年はいい年になりそうだな、とご機嫌で呟くカカシであった。