想い出


あれはね、俺がまだ5才頃のことだったと思います。
 
──────ご存じでしたか。
 
えぇ、その年です。
父が自ら命を絶ったのは。
まだ俺は小さかったですから、よくは分かっていなかったですね、「死ぬ」ってことが。
だから、それからもしばらくは父の帰りを待っていたんです。
任務から帰ってくるのを、待っているみたいにね。
うん、淋しいとかは思わなかったんです、最初は。
だってそれはいつものことでしたから。
一緒に任務に出る以外は、家で待つのが俺のすることでした。もとより二人っきりの家族でしたから、それで淋しいってこともなかったし。
それに、父の忍犬がいてくれたんです。立ち上がったら俺と同じくらいありましたから、当時は大きいと思ってたけど、中型犬くらいかな。俺はシロって呼んでました。白い毛並みがふかふかでね…笑わなくたっていーでショ、5歳児の語彙なんてそんなモンですよ。
そう、ソイツとは生まれたときから一緒でした。や、俺より年上ですよ。俺が生まれたときには、もうベテランだったんですから。
うーん、まあ今考えればいいトシだったんでしょうね、俺のお守り役ってことで、一線は引いてました。それでも俺が父と一緒に出るときには着いてきましたし、随分教わったり助けられたりしたんですよ。
ソイツと二人でしたから、特に普段と変わったカンジもしなかったんでしょうね。
 
それに、父の死に方が死に方でしたから。
葬儀も行われなかったんですよ、実は。
埋葬なんてこともしないですしね、忍ですから。
それで余計、実感がなかったんでしょう。
 
そんなわけで、俺はシロと二人で父の帰りを待っていました。
そうして、1ヶ月ほども待っていたでしょうか。
だんだん自分が空っぽになっていくようなカンジがしましたね。乾いていくって言うか。
最初は食事も睡眠も普通に取っていたのに、だんだんそれが必要なくなっていって、その頃にはほとんど食べも眠りもしませんでした。思考も感覚も鈍くなっていたし。
考えたら俺、あの頃は何も話さなくなってましたね。
いや、話せなかったのかな。自分が待ってる人のことも、何て呼べばいいのか分からなかった。
 
───────とても、呼びたかったのに。
 
「お父さん」
その一言がね、どうしても思い出せなくて。他の言葉だってそうです。全然必要なかったし、思い出そうとしても出てこなかった。ま、もとから無口なガキでしたから、そのせいもあったと思うけど。
そんなカンジで、ただ毎日が過ぎていくだけでしたね。毎日同じことの、繰り返し。
 
それでもその日の夕焼けだけは、何だかとてもきれいでした。
ぼんやり父の亡くなった部屋で膝を抱えていたんですけど、その光がね、障子越しにとても気になって。
からり、と障子を開けたら、世界が金色だった。
全部、その色に溶けたみたいでしたねぇ。
ゆっくりその金色の陽が沈んでいくのを、ただずうっと見てました。そしたらね、自分も染まっていくような気がしましたよ。だんだん空が紅く染まっていくように、父が染まった色に自分も染まっていくんだな、って。
あのとき、じわじわと沁みてきた気持ちが、哀しいって、言うんですかねぇ。
なにか押さえきれないものが自分の中にいっぱいになって、溢れそうで溢れなくて、とても辛かった。
 
そのときでしたよ。
俺の傍にはいつもシロがいました。ええ、父が亡くなってからもずっとです。そのシロがね、俺の顔をぺろり、と舐めたんです。
あったかい舌でしたねぇ。
その途端、いろんなモノが解けた気がしました。
シロの名前を呼んで、父を呼んで。言葉にならなかったですけどねぇ。久しぶりに、声を出しましたよ。
その間、ずうっとシロが俺の傍にいて、涙を舐めていてくれましたね。
 
───────とても、暖かかった。
 
そのまま、寝入ってしまったんですよねぇ、俺。
 
 
 
えぇ、俺が忍犬を使うのは、そのせいもあるでしょうね。











シロですか?
 
次の朝、俺が目覚めたときには、傍らで横たわっていました。
まだ温もりはありましたけど、冷たくなり始めてましたよ。
 
考えたらねぇ、父の忍犬だったんですよ、アイツは。だから本当なら、父が死んだ時点で死んでいてもおかしくなかった。
忍犬ってそういうモンでショ?
それなのに、アイツは俺についていてくれた。
ま、死んだのはトシのせいだったかも知れないですけど、そんな風に思えたんですよ、その時の俺にはね。 
もう俺は大丈夫だって思えるまで、いてくれたんだろうって。
一人前って、認められたような気がしてねぇ。
 
 
うん、そりゃあ泣きましたよ。
引きずるみたいにして運んで、穴掘って、ずっと泣きながら埋めたんですよー。後にも先にも、あんなに泣いたのはあのときだけですねぇ。
あの二日で一生分、泣いたのかも知れませんね。
 
 
 
───────だからって何も今、イルカ先生が泣かなくたっていいでしょーに。
 
 
困った人ですねぇ。
…ダイスキですよ、イルカ先生?